(暫定)「ラブライブ!」2期記事のまとめ

「ラブライブ!」2期についての文章です。新しい記事を投稿するときに、このページも更新します。

「ラブライブ!」2期第1話:#14∧#1
高坂プロメテウス穂乃果「ラブライブ!」2期第2話
キョウドウライブ「ラブライブ!」2期第3話
7人のバックダンサー「ラブライブ!」2期第4話
星空中心的「ラブライブ!」2期第5話
オルタナティブみんながセンター「ラブライブ!」2期第6話
ホワイトカラーダイエット「ラブライブ!」2期第7話
のぞみののぞみ「ラブライブ!」2期第8話

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ホワイトカラーダイエット「ラブライブ!」2期第7話

 7話には大きく分けて二つのお話がある。主に前半、穂乃果の体重の話と、主に後半、生徒会の予算の話。穂乃果のダイエットはなかなかうまくいかないが、もう一つのお話=生徒会の問題が最後に一件落着すると、体重の問題も同時に解決される。問題は、一見この二つのお話がうまく繋がっていない、というか、ほとんど結びついていないように見えることだ。中盤のランニングシーンは動きがあって印象的だが、生徒会のお話が進むと画面は動きを失っていき、最後は居残りの書類整理で全てが解決されてしまうのである。残業デスクワーク! ホワイトカラー的非活動が画面からおもしろみを奪う。こんな流れで「成長できてるんだと思う」(ことり)といい感じにまとめられても、それは思うことがない。

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冒頭の紙はペラ一枚だが、次の生徒会室では書類が積み上がっている。重さの可視化。/中盤では穂乃果に直に書類の束を持たせる。当然、穂乃果の重さは増える。体重と生徒会問題の接続。

 では7話はなぜこんな構成になっているのか? ここで印象的だった例のランニングシーンを入口にしてみよう。穂乃果がダイエットすることになったあと、部室では花陽がわざとらしくオニギリを食べていた。ここから7話は、花陽も体重が増えていたということで、二人が組になってダイエットへ、と展開していく。例のシーンは、穂乃果と花陽が「ご飯屋」に入るかどうか、ランニングしながら吐息とジェスチャーで会話しているのがギャグ的でおもしろみがあったわけだが、しかし花陽は次のシーンで「元の体重まで戻りました」と言われて、あっさりダイエットから離脱してしまう。その後の展開にも特に絡むことがない(このことも7話の印象を散漫にしている)。では花陽はなぜ出てきたのか?

 花陽が出てきたことでどんな効果があったのか? 例のランニングで、二人は吐息で会話をしながらも頑なに足を止めない。二人の動きはほとんど同じであり、ほぼ同一の運動をしている。となれば、逆に二人の違いに注意が向く。二人の違いは、まさに花陽がダイエットから離脱してしまったこと、つまり運動の結果として明確に表れている。Bパート最初の結果発表で、海未は次のように宣告する。「まずは花陽、運動の成果もあって、なんとか元の体重まで戻りました。しかし穂乃果、あなたは変化なしです」。運動の結果、花陽は元に戻り、穂乃果に変化はなかった。この差は何か? 

 海未と穂乃果の会話では、穂乃果が隠れて間食していたことが追及されるが、画面上にその間食は現れていなかった。というか、7話では、穂乃果は散々食事のことを言われながらも、最後にパンを食べ(ようとす)るまで、モノを食べる描写が全くない。7話で食べる描写といえばむしろ花陽のほうで、オニギリを食べるところは繰り返しの動きもあって妙に印象が強かった。この食べる描写の有無、つまり体重が増えた原因が明確に描かれているか否か。これが二人の違いと見える。花陽はあのデカいオニギリを食ったから太った。これはカロリーの問題である。よって運動して燃やせば元に戻る。それに対して穂乃果はモノを食べていない。だから運動しても元に戻らない。そういえば穂乃果本人も「毎日あんなに体動かして、汗もかいてるでしょ? まさかあそこまで体重が増えているとは……」と不思議がっていた。さらに、穂乃果は身長が変わっていないという事実がある(穂乃果の身長はなぜか二回も言及があって、変化がないことが強調されている)。ということは、穂乃果の体重増加は、肉体の変化によるものではない

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花陽は穂乃果に「仲間」と言われて目を逸らす。二人は同じ「ダイエット組」に見えるが、実はそうではない、ということ。彼女は決して米好き設定で引っ張られてきただけではない。/二人は同じ動きをする。同じ運動量だが、結果は違った。/最後のシーンも食べずに終わる。食べたのか曖昧なままカットするのもそれらしい。

 では穂乃果の重さは何なのか。今回、穂乃果の重さはどのように表されていたか? 序盤の生徒会室のシーンで、穂乃果はファーストライブの衣装を着せられることで「現実」を知る。衣装が入らなかったという想像を誘われるが、ここで「穂乃果の身に何が起こったのか」(海未)は、本当のところは見えないからわからない。直後、ことりが「体重は増えたかもしれないけど、見た目はそんなに変わってない」と言いかける。これは全くその通りで、穂乃果の見た目は変わっていないように見えている。衣装は入らなかった(らしい)が、見た目はそんなに変わっていないという、微妙な体型の差に穂乃果の重さがある。重さと見た目(肉体)の関係が危うくなる。

 次の操作は屋上のシーン。練習中、生徒が唐突にサインを求めてくる。ここのやり取りは、生徒「実は私、園田先輩みたいなスタイルに憧れてたんです」、海未「そんな、スタイルだなんて……」。体型のことを「スタイル」と言い換えて二度言わせる。ここで「スタイル」という言葉を置いているから、少し先の神社のシーンでまたこの言葉が出てきたときに引っかかる。神社に集まったメンバーが、ネット上で自分たちのことが褒められているのを見る、という流れで、希が「どうやら今までどおりの自分たちのスタイルでいって、正解やったみたいやね」と突っ込んでくる。この「スタイル」は当然「型」とか、もっと言えば「在り方」とかいう意味で使われている。「スタイル」の意味が「体型」からずらされる。そのことに意識がいったところで、すかさず凛が「最終予選も突破してやるにゃー」と言ってくる。そしてトドメは絵里「それまでに、二人にはしっかりしてもらわないとね

 以下展開。希のスタイル発言は、当然、前回6話の内容を汲んだもの。ありのままの自分たちで闘う決意をした、というのは問題ない。では直後の「最終予選も突破してやるにゃー」という凛の発言はどうか。振り返れば、2期は1話のラストで「優勝を目指そう!」と穂乃果が宣言したことから始まった。だから凛の言葉は2期のμ'sの一貫したスタイル=在り方を示す直接的なセリフと取れる。この凛は2期μ'sのスタイルに準拠している。さて今回、穂乃果はファーストライブの衣装から自身の「現実」を知ったのだった。このファーストライブをやったのは1期3話(半年くらい前)である。つまり穂乃果は2期7話の自分を1期3話の自分と比較して認識する経験をしたことになる。ということは、この経験をもって、穂乃果は自分の「スタイル」を1期の頃と比較して見る視点を得ていると見える。そしてこの時点で1期まで遡って自身の在り方を認識する視点を持っているのは、おそらく穂乃果だけなのである(だから「最終予選も突破してやる」と言っている2期μ'sの人たちに、「しっかりしてもらわないと」と言われてしまう)。2期1話に準拠したμ'sに対して、穂乃果にとっての戻るべきスタイルは1期3話の在り方であり、有り体に言えば初心のこと。そこからのズレが、スタイル=体型=重さの差になって表れた。7話の穂乃果の重さとは、2期1話の自分が規定してしまった、2期μ'sの在り方の重さなのである。

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衣装のシーン、穂乃果はよほどショックだったのか、涙を浮かべて「ごめんみんな、今日は一人にさせて……」と漏らす。これを言ったとき、穂乃果の周りには海未とことりの二人しかいなかった。そういう状況で「みんな」という言葉を選択している。自分以外の8人に向けた言葉。/結果発表のシーンで、海未は「本当にラブライブに出たいと思ってるのですか!?」と凄み、穂乃果は「当たり前だよー!」と返す。穂乃果と2期μ'sの微妙な距離感。これを見た凛は「穂乃果ちゃんのこと、嫌いなのかな……」とかなり頭の悪そうなことを言っているが、何か違和感を受けていたのだとすれば鋭い。/予算会議で、にこが「生徒会以外」の一人として描かれるいいカット(後述)。「無い袖は振れません!」が意味するところは言わずもがな。

 ここまで来れば7話終盤の動きのなさも妙に説得的に見えてくる。最後のところ、穂乃果の体重はどうして元に戻ったのか。本人は「3人で一生懸命がんばってたら、食べるの忘れちゃって」と説明していたが、もちろんここで重要なのは、食べるのを忘れたことではなく、「3人で一生懸命がんばってた」のほう。Bパートは、最初の結果発表のシーンの後は、2年組の生徒会の仕事を追う。だから画面は動きを失い、前半と繋がりを欠いているように見えた。しかしこのこと自体、すなわち生徒会の仕事をやっていたこと=μ'sの活動をしなかったこと、海未とことりと3人で何かを一生懸命やっていたことが、そのまま「戻ってた」ということになるのである。μ'sの9人の枠組みからの離脱の意志はなかなか徹底していて、3年生ふたりの支援を断るのはもちろんこの流れの中にあり、ダメ押しで矢澤にこが「アイドル研究部部長」として生徒会=3人と相対する場面がある。「私たち」という言葉の使い方にも変化がある。こんな感じで7話を見返せば、穂乃果の初心から微妙に離れてきてしまった2期μ'sの「現実」を体重問題に乗せて語る、緊張漂うテクニカルな回として見直すこともできる。

補 9人組からの離脱と「私たち」
・生徒会室で3年組の協力を断るシーンは、μ'sの9人の枠からの離脱の意志がよく見えた。穂乃果は絵里と希に協力を提案されながらも私たちで何とかしなきゃ、ダメなんじゃないかな」と断る。ここで「私たち」は2年組の3人に限定されていて、その場にいる絵里と希は入っていない。希が「自分たちのスタイル」と言っていたように、μ'sとして語るときには当然9人を指すが、ここでは違った。
・予算会議でのにこの登場もポイント。「アイドル研究部の部長」として生徒会の3人の前に出てくることで、3人を完全にその枠外に出す。「どうしてここに?」「当たり前でしょ? アイドル研究部の部長よ、私は」というやり取りがいい。このとき穂乃果はアイドル研究部員としての自分を持っていない。だが、にこが議事進行に協力的だったのは、やや甘い。

I've『THE TIME ~12 Colors~』



 新旧ボーカル大集合がコンセプトということで、収録12曲は、ボーカル12人が1曲ずつ、コンポーザー6人が2曲ずつという構成。バラけていて良い。全曲オリジナルなのも良い。特に、3、7、10、12が良い。

 その中でも7→8の流れが面白い。7の「Stardust Train」は高瀬一矢とKOTOKO。真打ち感がある。で、8の「Hydrangea」がNAMIとLarval Stage Planning。新しい感じがする。時の流れを感じる。長い前奏と間奏+Cメロが印象的な7に対して、ほとんど隙間なくボーカルが入る8。人間が歌ってる気がしない(匠の技!)7に対して、歌詞の言葉がよく聞こえる8。違いがわかる。でも、確かに、なんだか両方I'veっぽい。そういう感じがするから、I'veっぽいって具体的にはどういうことなんか、とか、どういうところに惹かれてるのか、とか、そんなことを思わせる。

 受ける印象。音が多い。重ねまくる。なんか複雑。サイケな打ち込み。デジタルな繰り返し。背後に人間がいない感じ。でも、曲を聞き終わると、そういう要素への印象はあまりなくなる。パーツひとつひとつの存在感は消える。埋もれる。パーツ自体は印象を持たない。切った音があからさまに組み上がっている、構成されているのがわかるのにバラせない、でも打ち込みだから人間が音を出し合って構成しているわけではない……。この感じ。こういう感じが好きだ。この点、Stardust Trainは、凄く複雑という印象はなくて、むしろパーツが比較的聞こえやすい気がしながら、しかしバラせない、曖昧な全体に際どくとどまっている感じがした。だから、良いと思った。

 逆に、Hydrangeaは、パーツの音が聞こえてくる。これが質の善し悪しなのかどうかわからないが、要素に還しやすいというか、あ、いま音鳴らしたな、という感じがしてくる。部分が全体からハミ出ている感じがするところがある。ボーカルも、少なくとも前の曲よりは歌詞がよく聞こえる。人間が言葉を喋っている気がする。(Youtubeに上がっているラジオで、作編曲のNAMIが「ボーカルは素晴らしい楽器だと思った」みたいなことを言っている。簡単にボーカルを楽器扱いするところがクールで面白い。ボーカルは人間であって楽器ではない)。でも音が重なる感じはI'veっぽい。……2曲が並んでいるからこんな感想が出てきた。

 全曲オリジナルなのも良い。I'veの曲は編曲が一番聞きたいところだと思っている。編曲は作詞作曲には先立たないはず。曲が無いとできないんだから二次的なことだが、しかしそれが一番の勘所。エロゲー曲から始まったというのがまたそれらしい。言いたいこととか歌詞の根拠とかは外から持ってきて作っている。でも作品に紐付いた曲は(特に歌詞の内容が)作品を指向しているわけだから、それ自体に意味がなくても何かを指す機能がどうしても強く残る。思い切ってわかりやすく言えば、メッセージ性が強すぎる。でもボーカルを楽器扱いして編曲で聞かせる曲には、先立つものは無くていい。一周回って、オリジナルのほうが味が出る。そういう意味では、ガールズコンピレーションのコンセプトも良い。誰々のアルバムでは無い。出自不明の曖昧な曲が並ぶのがいい。



 ……とにかく、Stardust Trainが妙に気に入った。これまでのI've曲の中でもベスト付近。

映画二題

 映画上映イベントをふたつ見た。一つは、「博物館で野外シネマ」(10/3、東京国立博物館)。その名のとおり、博物館の野外で映画を見る。東博本館の正面中心にスクリーンを吊り下げて、周りにパイプ椅子を並べる。明るいうちから椅子はいっぱいになって、椅子なしの人たちは、正面の植え込みも含めて、空きスペースに適当に座ってなんとなく見る感じ。周りに軽食の屋台も少しある。クリーンだがフェス的な雰囲気も。
 作品は杉井ギサブローの「銀河鉄道の夜」! その手があったか! ゴーン、と始まるオープニングが、異様な雰囲気を漂わせて良い。街パートのジョバンニはよく走る。突き出される足の回転と、ひたひた走る音が印象に残る。繰り返しの運動とひたひたと鳴る足音が銀河鉄道を呼ぶ。ジョバンニが動きを止めて横になると汽車が来る。歩かないジョバンニは汽車に乗って移動する、通り過ぎていく諸々を見る。本人は座ってるだけ。章の転換を告げる不気味な車輪の音。
 決して作品を良い環境で見る機会ではない。スクリーンは意外と小さく感じたし、音は割れていた。日は落ちていたが、当然真っ暗というわけではないから、周りの景色が少し見える。スクリーンが景色の一部分になるから、作品への集中度は相対的に下がる。だから、なんとなく作品から自由な雰囲気があって、ちょくちょく話し声が聞こえてきたりする。作品を見て何かを話したくなることくらいあるに決まっている。映画の前のあのマナー広告、ウザいですよね。映画館とはなんとも不自由な空間なのだなあと、改めて。
 司会によると数千人が集まっていたそうで(正確な数字は忘れました)、これほど多くの人が集まって一つの映画を見るのは珍事ではないかとのこと。その数千人が、エンディングで常田富士男の声にビビらされる。集中を強いない空間にあって、注意を向けざるを得ない感じ。そのパワーを出す作品。
 個人的には、真下耕一がコンテ担当の一人ということで出会った作品。そういう需要もある。



 もう一つは、「『2001年宇宙の旅』ライブ・シネマ・コンサート」(11/25、Bunkamuraオーチャードホール)。これもその名の通り、オーケストラの生演奏で映画を見る。作品はもうコレ、最適というか真打ちというか、最強である。というわけで、スクリーンの前に本当にオケがいる! 上映時は、ホールの照明を落として、演者の手元に小さな電球色の照明をつけるスタイル。やや明るいが、映像が見えないということはない。
 でも少し明るいから宇宙が黒くは見えない。モノリスも完全な黒ではない。上の博物館のときと比べると、ちゃんとしたホールでやっているわけで、こちらの不自由さは映画館と同レベルだから、まあ見えなくてもいいか、と寛容にはなれない。気になることは気になる。しかしそんなことより本当に演奏してくれるのだから贅沢だ。本当に歌ってくれるから贅沢だ。あのモノリス的音声(?)にゾクゾクしないわけがない。ボーカル強し。
 わざわざこんなやり方で見せてくれるから、聴覚を根拠にして映像がカッティングされていくのがよくわかる。音楽が終わるから、シーンが変わる。演奏箇所が近づくとオケや合唱団が準備するから展開の予備動作みたいに感じられたのが面白い。サルとリゲティ。宇宙船の回転同期と、美しく青きアレ。鳥肌が立つ。パンフに書いてある。「回転運動の優雅な美しさを表現するのに、『美しく青きドナウ』以上の曲は考えられない」。そうなの?……そうかも。と思ってしまうから最高である。
 最もグッと来たのはラスト。この映画、スタッフロールが終わり、「THE END」の文字が消えても終わらない、なぜなら、まだ音楽が続いているから。真っ黒の画面に音楽が流れ続けるが、ここでホールの照明が回復してくる! オケが見えてくる。映像の推進根拠=その一要素でしかなかった音楽が、視覚的に、動きを伴って、この目の前に現れる! 視線は宇宙的に真っ暗なスクリーンから、動きで音を作る人間たちに降りてくる。聴覚と視覚の位相が組み替えられるのを感じる。奏者の動きが、その技が見える。音楽が映像を貫通する。カッコ良かった。
 個人的には、映画館で涙が流れたいくつかの作品のひとつ。そういう思い入れもある。



 あまり軽薄に言うものではないが、一つだけ……と考えてみると、、、FictionJunctionで「.hack//SIGN」1話なら面白いか?
(追記)アヴァロンがあった。

「聖剣使いの禁呪詠唱」第7話(リテイク版)


面白みのあるPV。

 1話・4話・7話で三強である。7話は特に音まわりが冴えていた。初めの教室での自己紹介シーン。静乃がレーシャに転入の目的を問う。「調査、勧誘、誘拐、それとも暗殺?」物騒な言葉を並べてシリアスモード。レーシャ「私の目的は、灰村諸葉と交際することだ」静乃「えぇ?」この「えぇ?」が良い。流れがつまずく。すかさずサツキが「ハァ~~~?」で割り込んでくる。曲はもちろんサツキのギャグテーマ(1回目)。一気に空気が変わる。レーシャに褒められて調子に乗るサツキ。たまらず静乃が「オッホン」で空気を真面目モードに戻す。サツキのテーマ(1)終了。まず音とキャラの空気(静乃:シリアス、サツキ:ギャグ)を整える。

 レーシャ「あなたの兄を私にください、お願いします」サツキ「これはこれはご丁寧に……って、そういう問題じゃないのよ~バカ!」手を払う動きつき、ノリツッコミの勢いが良い。この勢いで、音は再びサツキのテーマ(2)に。そこに静乃が横から入ってきてさらにツッコミ「何をやっているのよあなたは」、曲(2)が終わり、今度は静乃のターン。静乃「エレーナさん、あなたは諸葉のどこを好きになったのかしら」核心をつく問い! レーシャは「一目惚れだ」、このやり取りにサツキが介入! 「そんなの全然答えになってないわよ~!」またサツキのテーマ(3)スタート! 見た目も(><)でギャグの顔、画面と音の両面からなんとしてもギャグに持って行こうとする! 静乃はサツキの口と顔を塞いで空気を変えさせまいとする! だが音楽は止まらない! レーシャ「そういうあなたは、灰村諸葉のどこが好きなのだ?」、静乃「全てよ」、これにレーシャ「それも答えになっていないと思うが」のツッコミが入り、ギャグ成立。静乃とレーシャのやり取りもギャグになってしまった。音とキャラを一致させてからずらす(あの音楽の中で静乃に喋らせる)ことで、シリアスとギャグを行き来する面白さ。ハーレム設定の根拠を問うとギャグになってしまう、ということを露悪的に誇張しているあたりも良い。

 練習のシーンと下校のシーンの繋ぎも、いわゆるエロシーン的な音楽で繋ぐことで、一応シリアスなお話(暗殺のための接近)を、アホくさいハーレムアニメに滑らかに移行させている。副長の登場はあの音楽を呼びこむためか。CM挟んでBパート、同じ下校場面の回想は、今度は穏やかな音楽。ハーレムアニメの男の取り合いとはいえ、みんな一途な感じがあってよいではないか、というような気分になった直後に、レーシャのネコミミギャグ。緩急自在! ギャグの空気になれば当然サツキ、電話をかけてまで介入してくる執念、電話ラップは竹達彩奈の匠の技。レーシャとのデートシーンは大げさなボーカル付きのテーマ。「なんて剛毅……」のロシア語の不意打ち、日本語でも言わんぞ的な語彙が二重におかしい。デートは静乃とアンジェラの電話と並行するようになり、イギリス本部長との対決エピソードの回想から流れ始める不穏な音楽がデートを侵食していく。もう悲劇的な展開は約束されている。そろそろ戦闘か? と思ったら、今度は1分間にわたるロシア語会話である(声:川畑えるきん)。もう笑うしかない。

 最後の戦闘も見どころ。静乃とレーシャ、いよいよ本当にシリアスムードに。レーシャの正体と戦闘の決意を語る静乃、雰囲気にふさわしくメインテーマの声が聞こえる。ここから音楽と戦闘の展開のタイミングががなりしっかりしている。静乃の初弾、二発目、ドラゴン登場で音楽が展開し、順当なアツさを感じる。追い打ちをかけるべく綴る静乃、予備動作付きで気合十分。2回目のボーカルが入り、上からふっ飛ばされたレーシャが降ってくる。ここで倒れたレーシャの視点で綴り続ける静乃の姿が見えるのが良い。まずダメージ表現でピンボケしていて呪文が強そうに見える。書いた文字が自動改行されていくのも面白い。そしてぶつぶつ呟きながら高速で綴り続ける静乃が怖い。「綴る!」は、綴られる側から見たら、こんなにも怖ろしいことなのだ(ドラゴンを傍らに綴る静乃は今回のベストショットである)。綴る動きが作る時間は、攻撃の「溜め」になると同時に、レーシャにロシア語で語る暇を与えている。戦闘中のおしゃべりが間抜けなことはよくあるが、相手が綴っているのだからその時間がある。「綴る!」の設定はつくづく映像と相性が良い。「私がここで死ねば、弟の未来まで閉ざされてしまう!」魔剣を出したレーシャの反撃! ここもタイミングはばっちり。静乃は「果断なる意志を!」で応戦、しかし綴る動きはもう映されないし、呪文の短さがかえって劣勢を感じさせる。振り向きざまの「ライトニング!」もカッコイイが、魔剣を出したレーシャは一行の呪文で倒せる相手ではない。戦闘開始からここまで1曲で繋いだ。 

 今回も、リテイク版は放送版からいろいろと修正が入っている。が、諸葉がレーシャに「イギリス本部長に似ている」と言われて立ち上がる動きの中割の枚数が増えていたのは残念だった。直後に、電話中の静乃がゆっくりと立ち上がる動きがある。ここは放送版でもわざとらしいほどゆっくりしなやかに立ち上がるように表現されていて、諸葉の中割のない立ち上がり方と対照的で、いいな、と思っていたところだった。前のほうがよかった。

 音響監督は稲垣監督の兼任。空気の違うシーンを音楽で繋いで、シーンと音のノリをズラしておかしみを出したり、戦闘シーンでは1曲長回しでアツく展開させたり。8話のコンドラート戦も、展開のある曲を長く聞かせて印象的なところ(4話の漆原邸のシーンと同じ曲か。早い展開が一発逆転のシーンによく合う)。「空戦魔導士候補生の教官」1話の出会い頭のスケベシーンでも効果的だった。


Twitterからの追記
最後の戦闘シーンについてもう少し。前半、レーシャは静乃に苦戦している。レーシャが氷にふっとばされたあと、静乃が綴り始め、次はもっと強い攻撃が来そうなことがわかる。ここでレーシャは初めて魔剣を使うことを決断する。つまり、静乃の綴りがレーシャの魔剣を呼び出している。さらに、レーシャの魔剣は「吸収」の武器だから、相手に攻撃させないと有効に機能しない。というわけで、魔剣を出すことと、その剣で攻撃することの二重の意味で、レーシャには静乃の綴りが不可欠である。その綴りの動きの時間で、レーシャはロシア語で語る。その時間はレーシャの側の「溜め」に変わり、ロシア語で喋っていることが、いわば彼女の「呪文」になる。音楽の展開に合わせて反撃するレーシャ、……というように、静乃の攻撃からレーシャの反転攻勢への転回が、いろんな要素を効果的に重ねて描いているから、おお、となったところだった。全体としてはすごくムラのある作品で、たとえばロシア編の綴りはかなり間抜けな感じがしたが(笑ったけど)、この回このシーンは冴えていた。
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