ラブライブ!

(暫定)「ラブライブ!」2期記事のまとめ

第二アイドル速度「ラブライブ!」2期第9話

 この回が特別であることは冒頭でわかる。妹は2階にいる姉に声をかけた:「いよいよ今日だね、最終予選!」。これまで各話の作中時間は2~3日、比較的端正な時間配分でお話を進めてきた。だが今回は最初からライブ当日だ。天候は「Snow halation」らしく雪。2年組はこの雪のせいでライブ会場に行けなくなりかける。このピンチは一般生徒の雪かき支援によって乗り越えられる。生徒の言葉が象徴的だ:さあ、走って。音ノ木坂のみんなで作った道を!。ファンが道を作り、アイドルがその道を走る……。……こんなそれっぽい出来事を描いているのに、映像の印象は何かヘンだ。いきなり吹雪、大げさな音楽、メンバーたちは思いを叫んで大号泣。これは寒い、雪だけに。この、いわゆる「感情移入」を拒むかのような映像は、いったいどうしたことか?

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この映像を見て主人公と一体化して泣くのは難しい。「感情移入」云々は作品のおもしろさとは全く関係ないが、それを拒むような映像であったことは覚えておく。/絵里に抱きついて感動的なことを言った後に鼻水を出して茶化す。この鼻水はあってよかった。なかったらもっとキツかった。

 2期9話の雪は、「ファンが道を作り、アイドルがその道を走る」ことの材料になっていたが、ではなぜ走ったのは2年組だけだったのか? お話としては、もちろん生徒会の仕事=学校説明会の挨拶で、2年組が学校に行っていたからだ(OP後の最初のシーンで絵里が妙に丁寧に説明してくれる)が、これでどんな効果が出たか。説明会の挨拶は、相当に強いオーダーのようで、穂乃果は電話で「理事長は説明会を欠席してもいいって言ってくれてるんだけど、そういうわけにもいかないし……と言っていた。困り顔で「そういうわけにもいかないし」と言うところからは、愛校心や責任感よりも、やむを得ない事情にあたってしまった苛立ちを感じる(だから直後の電話は怒り気味に取る。絵里が意味のない電話を掛けたから穂乃果の苛立ちが見える)。ライブに遅れるのも学校のためならば仕方がない。穂乃果たちは理事長よりも強い力=学校によって引き止められている。

 当たり前のことのようだがこの事実は重い。1・3年組を先行させ、2年組を「生徒会の仕事」で別行動にしたことで、学校がμ'sにとっての障害であるかのように見えてくるからだ。この見立ては校舎前の一般生徒とのやり取りでさらに固まる。生徒の雪かきを手伝おうとした穂乃果はこう言われる:「穂乃果たちは、学校のためにラブライブに出て、生徒会もやって、音ノ木坂のために働いてきたんでしょ。この作品をちゃんと見ているのなら決して聞き流すわけにはいかない言葉。端的に言ってこの認識は間違っている。穂乃果たちは学校のためにラブライブに出ているわけではない。特に2期は確実にそうではない。2期1話でラブライブに再エントリーすることを決めたとき、「学校のため」という理由はまったく語られなかったし、今回海未やことりや穂乃果がそれぞれの思いを叫ぶ段でもそのような言葉はない。生徒は「ラブライブ」と「生徒会」を「学校のため」という目的において並列に語ることで、「生徒会」より「ラブライブ」を優先する選択肢を封じている。「学校のため」という殺し文句で、2年組を拘束している。穂乃果たちは学校のせいでライブに行けないのだ。

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学校とライブは背反的な関係にある。穂乃果たちは雪かきを手伝おうとして、ライブ当日だからという理由で拒否されている。今度は逆に、ラブライブのせいで学校の仕事ができない。/例の雪のシーン、2年組は大変な苦労をしていたが、雪に足止めされていたのは学校の敷地内に限られる。学校の境界線を超えると、雪は弱まった。会場に行くのが大変だったというよりは、学校から出るのが大変だったと見える。今回の学校はジャマ者だ。

 さて先述の生徒たちは続けてこう言っていたのだった:「穂乃果たちは、学校のためにラブライブに出て、生徒会もやって、音ノ木坂のために働いてきたんでしょ。だから、今日は私たち助ける番。私たちも協力したいから。私たちだけじゃない、みんなもだよ」。作品全体でも最大級の引っかかりを残す特別なセリフだ。これを展開する。生徒は穂乃果たちの音ノ木坂への働きを認め、だから私たちは協力する、と言っている。「私たち」の雪かきは、穂乃果たちの「音ノ木坂」への貢献に対する見返りなのだ。ここで生徒は「音ノ木坂」と「私たち」を同一視している。「私たち」とは雪かきに参加している「みんな」のことであり、要するにμ'sの支援者=ファンのこと。そう考えると、この生徒の発言は、アイドルとファンの関係についての認識を語ったきわどい言葉にも聞こえてくる。強引に翻訳すれば……穂乃果たち=μ's=アイドルは、音ノ木坂=私たち=ファンのために活動してきてくれたでしょ。だから、今日はファンが助ける番」。ここに見えるのは、(1)アイドルはファンのために活動している、(2)ファンのための活動とファンの支援は交換される、という認識。これが私たち=音ノ木坂のアイドル論だ。なんと現実的!

 この後、穂乃果たちは閉じこめられていた学校から脱出し、会場まで走る。生徒たちの協力のおかげでライブには間に合った。お話的にはまったく喜ばしいことだが、これまで書いてきたような視点に立てば、ここでは2期全体にかかわる決定的なことが起こっているように見える。2期9話において、学校は穂乃果たちを拘束する障害であった。このことを意識すると、「穂乃果たちが学校から出て行った」という事実が、彼女たちが「学校」という存在あるいは「学校のために」というマジックワードの拘束から抜け出した、と読み換えられるからである。のみならず、彼女たちのダッシュは、アイドルとファンの関係についての「音ノ木坂」的認識、すなわち「ファンあってこそのアイドル」という認識からも逃れ出る象徴的な走りとも見えてくる。これは革命的な事態である。2期9話の「音ノ木坂からの脱出」は、μ'sから、「ファン」という、アイドルに宿命的に課せられた拘束をも解除するものだったのである。その「走り」を、2期9話は露悪的に大げさな映像で写し取った。視聴者の「感情移入」を拒む映像は、彼女たちが「ファン」という拘束から解き放たれた証なのだ。

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吹雪がやみ、学校と公道の境界上から、穂乃果は生徒たちを見る。雪は道を遮ると同時に、視界を遮るものでもあった。雪が弱まり、視界が晴れたから、生徒たちの姿が見える。同様に、生徒たちは走る彼女たちを見ることができようになる。こうして「『ファンが作った道をアイドルが走っているところ』をファンが見る」構図が成立する。/生徒は学校を背負って立つ。何ともおそろしい。

 そして、さらに驚くべきことに、2期9話では、穂乃果たちの学校からの脱出において決定的な力となったのが、他ならぬ一般生徒だったことが描かれているのである。ここでファンのための活動とファンの支援を交換する現実的な期待は決定的に崩れ去る。μ'sに対する支援は、彼女たちが学校から脱出するための加速に、ファンから離れていくための推進力に使われている。ライブ直前の場面でも、穂乃果は「学校のために歌う」とは一言も言わない(「学校が好き」とは言うが、好きなだけである)。もちろん、「みんなのために歌う」とも、「ファンのために歌う」とも言わない。彼女たちは好きなものを(心中で(!))列挙してから歌う。その言葉は観客の耳には届かない。観客たちはパフォーマンスから「ありのままの気持ち」を推察するしかない。ファンは何ら特権的な見返りを得ていない。ただパフォーマンスを見ることができるだけである。そこにはまっとうな壁がある。

 今回、音ノ木坂の生徒は「ファンが作った道をアイドルが走る」場面を目撃している。この作品はファンとアイドルの関係を慎重に(あまり関係ないものとして)扱ってきたように見えていたから、はっきり言って出しゃばり過ぎに感じたし、違和感の残るところだったが、2期9話で生徒たちがやっていたことは、単なる「支援」ではなかったのである。雪かきの生徒は言った、「来たよ、全校生徒が」。しかし雪かきに参加しなかった音ノ木坂の生徒は少なくとも9人いる。「音ノ木坂」や「全校生徒」といった不用意な一人称は、9人のアイドルを他者として学校から排除する。「全校生徒がμ'sを支援する」という形をとった時点で、μ'sは音ノ木坂の生徒ではない。困難を乗り越えて「Snow halation」を歌ったことで、彼女たちはファンとは「違う世界の人」になってしまったのである。そのとき、彼女たちは「感情移入」の外に行く。私たちは彼女たちの涙を共有することができない。彼女たちは学校から出て、私たちが理解できる範囲の外に行ってしまったからだ。そして、このことは、他ならぬファンの力で成し遂げられた。アイドルとファンが最接近したとき、両者は決定的に別れたのだ。

 学校という要素を意識すると、彼女たちの存在にかかわる本質的なことが語られているような気がしてくる、というのがこの作品の仕掛け(というほどのものでもないが)。先を見通せば、スクールアイドルという設定と学校という時間空間的拘束の緊張のようなものは、この先で問題になっていることではある。作中、穂乃果がライブ会場にまだ来ていないと言われたツバサは、「今日のライブで、この先の運命は決まる」と言っていた。2期9話のライブが転換点だとすれば、それは物語展開だけの問題ではないと見える。

穂乃果たちが走り出す瞬間、下り階段で加速する動きは、映像では捉えられていない。欲しいところだった。

ホワイトカラーダイエット「ラブライブ!」2期第7話

 7話には大きく分けて二つのお話がある。主に前半、穂乃果の体重の話と、主に後半、生徒会の予算の話。穂乃果のダイエットはなかなかうまくいかないが、もう一つのお話=生徒会の問題が最後に一件落着すると、体重の問題も同時に解決される。問題は、一見この二つのお話がうまく繋がっていない、というか、ほとんど結びついていないように見えることだ。中盤のランニングシーンは動きがあって印象的だが、生徒会のお話が進むと画面は動きを失っていき、最後は居残りの書類整理で全てが解決されてしまうのである。残業デスクワーク! ホワイトカラー的非活動が画面からおもしろみを奪う。こんな流れで「成長できてるんだと思う」(ことり)といい感じにまとめられても、それは思うことがない。

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冒頭の紙はペラ一枚だが、次の生徒会室では書類が積み上がっている。重さの可視化。/中盤では穂乃果に直に書類の束を持たせる。当然、穂乃果の重さは増える。体重と生徒会問題の接続。

 では7話はなぜこんな構成になっているのか? ここで印象的だった例のランニングシーンを入口にしてみよう。穂乃果がダイエットすることになったあと、部室では花陽がわざとらしくオニギリを食べていた。ここから7話は、花陽も体重が増えていたということで、二人が組になってダイエットへ、と展開していく。例のシーンは、穂乃果と花陽が「ご飯屋」に入るかどうか、ランニングしながら吐息とジェスチャーで会話しているのがギャグ的でおもしろみがあったわけだが、しかし花陽は次のシーンで「元の体重まで戻りました」と言われて、あっさりダイエットから離脱してしまう。その後の展開にも特に絡むことがない(このことも7話の印象を散漫にしている)。では花陽はなぜ出てきたのか?

 花陽が出てきたことでどんな効果があったのか? 例のランニングで、二人は吐息で会話をしながらも頑なに足を止めない。二人の動きはほとんど同じであり、ほぼ同一の運動をしている。となれば、逆に二人の違いに注意が向く。二人の違いは、まさに花陽がダイエットから離脱してしまったこと、つまり運動の結果として明確に表れている。Bパート最初の結果発表で、海未は次のように宣告する。「まずは花陽、運動の成果もあって、なんとか元の体重まで戻りました。しかし穂乃果、あなたは変化なしです」。運動の結果、花陽は元に戻り、穂乃果に変化はなかった。この差は何か? 

 海未と穂乃果の会話では、穂乃果が隠れて間食していたことが追及されるが、画面上にその間食は現れていなかった。というか、7話では、穂乃果は散々食事のことを言われながらも、最後にパンを食べ(ようとす)るまで、モノを食べる描写が全くない。7話で食べる描写といえばむしろ花陽のほうで、オニギリを食べるところは繰り返しの動きもあって妙に印象が強かった。この食べる描写の有無、つまり体重が増えた原因が明確に描かれているか否か。これが二人の違いと見える。花陽はあのデカいオニギリを食ったから太った。これはカロリーの問題である。よって運動して燃やせば元に戻る。それに対して穂乃果はモノを食べていない。だから運動しても元に戻らない。そういえば穂乃果本人も「毎日あんなに体動かして、汗もかいてるでしょ? まさかあそこまで体重が増えているとは……」と不思議がっていた。さらに、穂乃果は身長が変わっていないという事実がある(穂乃果の身長はなぜか二回も言及があって、変化がないことが強調されている)。ということは、穂乃果の体重増加は、肉体の変化によるものではない

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花陽は穂乃果に「仲間」と言われて目を逸らす。二人は同じ「ダイエット組」に見えるが、実はそうではない、ということ。彼女は決して米好き設定で引っ張られてきただけではない。/二人は同じ動きをする。同じ運動量だが、結果は違った。/最後のシーンも食べずに終わる。食べたのか曖昧なままカットするのもそれらしい。

 では穂乃果の重さは何なのか。今回、穂乃果の重さはどのように表されていたか? 序盤の生徒会室のシーンで、穂乃果はファーストライブの衣装を着せられることで「現実」を知る。衣装が入らなかったという想像を誘われるが、ここで「穂乃果の身に何が起こったのか」(海未)は、本当のところは見えないからわからない。直後、ことりが「体重は増えたかもしれないけど、見た目はそんなに変わってない」と言いかける。これは全くその通りで、穂乃果の見た目は変わっていないように見えている。衣装は入らなかった(らしい)が、見た目はそんなに変わっていないという、微妙な体型の差に穂乃果の重さがある。重さと見た目(肉体)の関係が危うくなる。

 次の操作は屋上のシーン。練習中、生徒が唐突にサインを求めてくる。ここのやり取りは、生徒「実は私、園田先輩みたいなスタイルに憧れてたんです」、海未「そんな、スタイルだなんて……」。体型のことを「スタイル」と言い換えて二度言わせる。ここで「スタイル」という言葉を置いているから、少し先の神社のシーンでまたこの言葉が出てきたときに引っかかる。神社に集まったメンバーが、ネット上で自分たちのことが褒められているのを見る、という流れで、希が「どうやら今までどおりの自分たちのスタイルでいって、正解やったみたいやね」と突っ込んでくる。この「スタイル」は当然「型」とか、もっと言えば「在り方」とかいう意味で使われている。「スタイル」の意味が「体型」からずらされる。そのことに意識がいったところで、すかさず凛が「最終予選も突破してやるにゃー」と言ってくる。そしてトドメは絵里「それまでに、二人にはしっかりしてもらわないとね

 以下展開。希のスタイル発言は、当然、前回6話の内容を汲んだもの。ありのままの自分たちで闘う決意をした、というのは問題ない。では直後の「最終予選も突破してやるにゃー」という凛の発言はどうか。振り返れば、2期は1話のラストで「優勝を目指そう!」と穂乃果が宣言したことから始まった。だから凛の言葉は2期のμ'sの一貫したスタイル=在り方を示す直接的なセリフと取れる。この凛は2期μ'sのスタイルに準拠している。さて今回、穂乃果はファーストライブの衣装から自身の「現実」を知ったのだった。このファーストライブをやったのは1期3話(半年くらい前)である。つまり穂乃果は2期7話の自分を1期3話の自分と比較して認識する経験をしたことになる。ということは、この経験をもって、穂乃果は自分の「スタイル」を1期の頃と比較して見る視点を得ていると見える。そしてこの時点で1期まで遡って自身の在り方を認識する視点を持っているのは、おそらく穂乃果だけなのである(だから「最終予選も突破してやる」と言っている2期μ'sの人たちに、「しっかりしてもらわないと」と言われてしまう)。2期1話に準拠したμ'sに対して、穂乃果にとっての戻るべきスタイルは1期3話の在り方であり、有り体に言えば初心のこと。そこからのズレが、スタイル=体型=重さの差になって表れた。7話の穂乃果の重さとは、2期1話の自分が規定してしまった、2期μ'sの在り方の重さなのである。

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衣装のシーン、穂乃果はよほどショックだったのか、涙を浮かべて「ごめんみんな、今日は一人にさせて……」と漏らす。これを言ったとき、穂乃果の周りには海未とことりの二人しかいなかった。そういう状況で「みんな」という言葉を選択している。自分以外の8人に向けた言葉。/結果発表のシーンで、海未は「本当にラブライブに出たいと思ってるのですか!?」と凄み、穂乃果は「当たり前だよー!」と返す。穂乃果と2期μ'sの微妙な距離感。これを見た凛は「穂乃果ちゃんのこと、嫌いなのかな……」とかなり頭の悪そうなことを言っているが、何か違和感を受けていたのだとすれば鋭い。/予算会議で、にこが「生徒会以外」の一人として描かれるいいカット(後述)。「無い袖は振れません!」が意味するところは言わずもがな。

 ここまで来れば7話終盤の動きのなさも妙に説得的に見えてくる。最後のところ、穂乃果の体重はどうして元に戻ったのか。本人は「3人で一生懸命がんばってたら、食べるの忘れちゃって」と説明していたが、もちろんここで重要なのは、食べるのを忘れたことではなく、「3人で一生懸命がんばってた」のほう。Bパートは、最初の結果発表のシーンの後は、2年組の生徒会の仕事を追う。だから画面は動きを失い、前半と繋がりを欠いているように見えた。しかしこのこと自体、すなわち生徒会の仕事をやっていたこと=μ'sの活動をしなかったこと、海未とことりと3人で何かを一生懸命やっていたことが、そのまま「戻ってた」ということになるのである。μ'sの9人の枠組みからの離脱の意志はなかなか徹底していて、3年生ふたりの支援を断るのはもちろんこの流れの中にあり、ダメ押しで矢澤にこが「アイドル研究部部長」として生徒会=3人と相対する場面がある。「私たち」という言葉の使い方にも変化がある。こんな感じで7話を見返せば、穂乃果の初心から微妙に離れてきてしまった2期μ'sの「現実」を体重問題に乗せて語る、緊張漂うテクニカルな回として見直すこともできる。

補 9人組からの離脱と「私たち」
・生徒会室で3年組の協力を断るシーンは、μ'sの9人の枠からの離脱の意志がよく見えた。穂乃果は絵里と希に協力を提案されながらも私たちで何とかしなきゃ、ダメなんじゃないかな」と断る。ここで「私たち」は2年組の3人に限定されていて、その場にいる絵里と希は入っていない。希が「自分たちのスタイル」と言っていたように、μ'sとして語るときには当然9人を指すが、ここでは違った。
・予算会議でのにこの登場もポイント。「アイドル研究部の部長」として生徒会の3人の前に出てくることで、3人を完全にその枠外に出す。「どうしてここに?」「当たり前でしょ? アイドル研究部の部長よ、私は」というやり取りがいい。このとき穂乃果はアイドル研究部員としての自分を持っていない。だが、にこが議事進行に協力的だったのは、やや甘い。

7人のバックダンサー「ラブライブ!」2期第4話

「練習は嘘をつかない」、その練習ににこが来ない。あとを追うが、追いかけっこの末、巻かれる。この追いかけっこ、走っている感じがあまりなく、不満(1期9話と並べて見てみてください)。さておき8人はにこの妹と遭遇。マンションのエントランスという微妙な場所で、にこ=アイドル、μ's=バックダンサーという矢澤家の設定が明らかになる。絵里はキレ気味に電話をかけてにこに説明を求める。真姫も海未も怒っている。ここからお話の中心は、にこが練習に来なかった問題から、矢澤家におけるμ'sの設定の件にすり替わっていく。

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にこが練習に来なかったのは、「保護者の出張中、妹たちの面倒を見なければならない」という正当な理由による。穂乃果は「ちゃんと言ってくれればいいのに」と納得顔で、当初の問題はこれで解決だが、すぐに海未がそれよりどうして私たちがバックダンサーということになっているんですか?」、絵里も「そうね、むしろ問題はそっちよ」と、話をバックダンサーの件に変えてしまう。よほどそのことが気に入らないようだ。/虎太郎に「バックダンサー」と指差されながら「アハハ、こんにちは……」と返すことりが良い。

 さて、「にこ=アイドル、μ's=バックダンサー」の設定を信じているらしき矢澤家に対する8人。花陽「どうしてこんなに信じちゃってるんだろう」、海未「μ'sの写真や動画を見れば、私たちがバックダンサーでないことぐらい、すぐにわかるはずなのに」。なるほど、μ'sの本当の姿を見れば、「私たち」がバックダンサーではなくアイドルだとわかるはずだ、と。これを受けてことりは、「ねえ、虎太郎くん、お姉ちゃんが歌ってるとことか見たことある?」と尋ねる。虎太郎は「あれー」とポスターを指さす。そこには穂乃果とにこの顔が入れ替えられた合成ポスターが貼られていた。このシーンに注目する。

 このシーンで「合成」されているポスターは、作中で既に「正しい」バージョンが明らかにされている。冒頭の予選結果発表のシーンで、μ'sの公式写真として映されていたものだ。大会サイトに掲載されているくらいだから、この時点の彼女たちにとっては、最もスタンダードな一枚ということになるだろう。にこはそういう写真を改造し、家族に騙っていたわけだ。さてこの写真、メンバーは大げさに「合成」と言ってはいたが、ちゃんと見てみると、穂乃果とにこの顔が入れ替えられているだけで、その他の7人には特に改造はない(絵里と入れ替わっている写真は、髪の処理に少し手間がかかっている。しかし9人が写っているものではない)。実は元の写真からそんなに変わっていない。穂乃果とにこ以外の7人にとっては、海未が言うところの「μ'sの写真」そのままである。虎太郎はそういう写真を見て「にこ=アイドル、他8人=バックダンサー」設定を信じている。このことから次のように展開する。虎太郎は、正しいμ'sの写真を見たら、「穂乃果=アイドル、他8人=バックダンサー」と考えるのではないか? もっと一般的に言ってしまえば、μ'sというグループは、穂乃果がただ一人のアイドルであり、他の8人はバックダンサーのようなものだと認識されうるのではないか? 

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冒頭のシーンで「正解」バージョンをきちんと明かしている。にこ・穂乃果以外の7人に変更はない。/虎太郎はこの写真を見て「にこ=アイドル、μ's=バックダンサー」と考えていた。それなら、「公式」の写真は、「穂乃果=アイドル、他8人=バックダンサー」と受け取れてしまう。というか、この作品って、ここまでそんな感じだったではないか?

 にこの「合成」と虎太郎の言葉は、穂乃果以外の7人に、厳しい現実を突きつけることになった。7人にとっては公式ママの写真でバックダンサー扱いされているのだから事は深刻である。説明を求められたにこは、「私の家で私がどう言おうが、勝手でしょ」と言った。その通り……だが問題は既に矢澤家の内部に留まるものではなくなっている。一般に公開されている写真を見てバックダンサーと言われてしまったのだから、7人は怒る。メンバーたちはこの問題に妙に執着するが、いちメンバーの家庭内設定の問題に執着すること自体が、かえって彼女たちの現実を思わせてしまう。7人にとっては、バックダンサー扱いは、嘘ではなく現実の問題なのだ。にこはポスターを「合成」し、穂乃果と入れ替わって「アイドル」を自称することで、μ'sの現実=1対8の構造を顕在化させてしまった。それがメンバーにバレた。この際どい事態を前にして、本人は説明を拒む。

 この後、にこは屋上のステージで、妹たちに設定の終了を宣言する。「これからは、ここにいるμ'sのメンバーとアイドルをやっていくの」、すると妹と弟は「でも、みなさんは、アイドルを目指している」「バックダンサー」と、矢澤家設定の認識で返す。これに対して、にこそう思ってた……けど違ったの」。今まで一緒に活動してきた8人を「バックダンサーだと思っていた」と言ってしまうのは、当然引っかかるところ。ここを合成ポスターのシーンと同じように読み替えよう。このときにこが「そう思っていた」と言ったのは、このグループに、メンバーがバックダンサーと認識されうる関係性があること、つまり1対8の構造そのものであり、現実では穂乃果以外が引き立て役になってしまっていたことだ。バックダンサーとは自分のことなのである。「けど違ったの」。しかし、それは違った。「この9人でいられるときが、いちばん輝けるの。ひとりでいるときよりも、ずっと、ずっと」。ここでにこの声には、アイドルの側の声、1対8の「1」の声が重なっている。なぜなら、いま彼女は設定どおり、ファンの前でアイドルとして語っているのだから。「いまの私の夢は、宇宙No.1アイドルにこちゃんとして、宇宙No.1ユニット、μ'sといっしょに、より輝いていくこと」。かくして設定は変更され、現状は塗り替えられる。矢澤にこは、「にこ=アイドル、μ's=バックダンサー」の設定を変更することで、「穂乃果=アイドル、その他=バックダンサー」という、1対8の現実を塗り替えているのである。

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屋上ライブの前のシーンでは、意味ありげな人形配置のモグラ叩きゲームや、虚ろな表情のにこなど、新たな展開を予感させるものが映るが、お話の上では、にこは設定変更を決意して学校に行ったわけではない。屋上ライブは、穂乃果の思いつきで(すごい思いつきだ)、メンバーが勝手に衣装やステージを用意した、突発的な出来事である。/矢澤家でにこが「嘘をついておりました」と謝ったところ。にこは「いやだなあ、みんな怖い顔して」と言っていたが、「みんな」と穂乃果の表情は違う。バックダンサー扱いが現実の問題だった人たちと、そうでない人の顔。

 にこが歌い始める前、8人はダッシュでステージから捌けていく。なぜか? 「にこ=アイドル、8人=バックダンサー」の設定の「最後」であるなら、彼女たちはにこのバックダンサーとして踊り、矢澤家の設定を演じてやるべきだったのではないか? しかしそれでは1対8の構造を塗り替えることができない。あのポスターの雑な合成が示したように、にこの設定は、穂乃果と8人のバックダンサーという現実に乗っかったものでしかなかった。そんな嘘をついている限り、にこの現実はいつまでもバックダンサーのままである。彼女自身がμ'sのアイドルになるために、にこは自ら偽りのスーパーアイドルの座から降り、同時に現実のバックダンサーを消さなければならない。この関係性そのものを上書きしなければならない。8人が退場し、「1」は「1」として歌う。この2つの動きが合わさったとき、1対8の関係は崩れた。2期4話は、にこの嘘を壊すことで、それが依拠していた現実も崩した。彼女は「1」から後退したのではない。7人のバックダンサーたちとともに、9人のアイドルになったのだ。


(余談)矢澤家から追い出されたあと、8人はにこの「家では元からそういうことになってるの」発言の真意を考える。ここで希が「たぶん、元からスーパーアイドルだったってことやろな」以下自説を披露し、真姫が「ありそうな話ね」とコメントする(鋭い!)。希お得意の「ありそうな話」の創作は、2期8話では語り手自身の存在を肥大させ、彼女は自爆することになる。

星空中心的「ラブライブ!」2期第5話

 クライマックスのこの作品らしからぬ緊張のない映像にはショックを受けた。お話は簡単だ。二年組が不在のライブで、いろいろありながらも凛がセンターを務める。はじめは拒否していたものの、最後は特別な衣装を着て舞台の中心に立つ。だがなぜ凛がリーダーなのか、理由は明確には示されない。描かれるのは彼女がリーダーに向いていないことを示すエピソードばかりだ。練習の統率に失敗し、意思決定はできず、衣装のサイズも合っていない。特に衣装は凛をセンターにすべきでない決定的な理由になる。花陽は「μ'sに脇役も中心もないの、グループにいる限りみんな一緒だよ」と力説していたが、それは凛をリーダーにする根拠にはならない(じゃあお前がやれ)。真姫はこの話数で「凛が一番向いている」みたいなことを何度も言うが、軽々しく「一番」とか言い出すヤツが一番信用できない。

 第5話のシナリオの大きな動きとして、二年組が他の6人から完全に引き離されていることがある。この操作によって、凛が穂乃果の代役=リーダーを務めるお話が始まるわけだが、だが穂乃果は完全に不在になってしまったわけではなかった。むしろ二年組はしつこいほど画面上に現れ、遊び続ける。アバンの海とプールの場面の対照が印象づけていたように、二年組と一年組は、映像上では並列的に・対称するように並べられている。修学旅行という要素は、二年組を消して代役リーダーのお話の起点となるだけでなく、両者を並べて描くために引き離して配置するきっかけとして持ち出されている。

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5話は二年組と一年組の対照から始まる。

 お話を振り返ろう。凛は穂乃果が不在だから代役リーダーをやらされている。ここには穂乃果=リーダーという前提がある。しかし、代役リーダーとしての凛がやらされていたことを具体的に見ていくと、少しおかしなことに気がつく。凛がリーダーの名のもとにやらされていたのは、練習の統率・音頭取り、メンバーがモメたときの仲裁と意思決定、特別な衣装を着てステージに立つこと。これ、ぜんぶ穂乃果もやっていない(できない)ことなのである。思い返せば1期6話では、全然リーダー的に振る舞わない穂乃果は、希から「なんで穂乃果ちゃんがリーダーなん?」と突っ込まれていた。そして2期5話では、凛が本来のリーダー的なことをやらされている同じ時、穂乃果は数日後に迫ったμ'sのライブの心配もそこそこに(台風に逸れろと念じるのは「一生に一度きりの高校の修学旅行」が潰されたくないから)、ただひたすら遊び続けている。二年組(穂乃果)を消すのではなく、引き離した上で一年組(凛)と並べることで、穂乃果の代役を務めることと、リーダー的に振る舞うことの不一致が描き出されている。凛はいわゆるリーダーには不適格だが、それは穂乃果も同じことだ。言い替えれば、凛はリーダーに向いていない点で穂乃果に似ていた。皮肉なことに、だからリーダーをやらされる……。

 凛と穂乃果の併置がよく見えるのが、中盤の、屋上での衣装会議のシーン。衣装を拒否する凛を説得する流れの中で、希が「でも実際、衣装は穂乃果ちゃんに合わせて作ってあるから、凛ちゃんだと手直しが必要なんよね」と言い出す。身体的・外面的な要素(これは凛当人もよく主張していた)で凛を穂乃果から離し、センターから遠ざけようとする。希の「この中で穂乃果ちゃんに近いとなると……花陽ちゃん?」のセリフが良い。この説得力のある意見(どう考えても衣装は体形の近いひとが着たほうが良い)に凛が乗る。凛「かよちんかわいいし、センターにぴったりにゃ」花陽「でも……凛ちゃん、いいの?」「いいに決まってるにゃ」「本当に?」「もちろん!」。このやりとりは、すぐに1期6話を思い出させる。書き出してみよう。1期6話、中盤の部室でのリーダー決め会議シーンより、穂乃果「そうだよ海未ちゃん、向いてるかも、リーダー」海未「それでいいのですか?」「え?なんで?」「リーダーの座を奪われようとしているのですよ」「え?それが?」。ほとんど一緒だ。ここで凛は、見た目が穂乃果に似ていないことを指摘されたことで、結果的に逆に穂乃果と近づけられている。このグループのリーダーは、リーダーをやりたいから・リーダーの仕事ができるからリーダーをやるのではない。μ'sのリーダーとは、集団を統率するスキルがある人物のことではないのだ。

 では、μ'sのリーダーとは、一体何をするひとか。穂乃果と凛を比べてみれば、まあなんとなく、危ういからこそみんなで支えてその推進力を発揮させる存在、みたいなものが浮かんでくるが、ここで第5話の気になる要素もう一点、を持ちだしてみよう。この作品においては結構なウェイトを占めている天気という要素は、2期5話では穂乃果の「それろ~」で特に印象に残るところ。沖縄への台風の接近は、二年組が帰れなくなることで、凛をセンターにするお話のトリガーになっている。しかしこの状況設定が導いた動きはそれだけではない。

 結論から言えば、2期5話では、天気は穂乃果が電話をする場所を導く要素としてある。今回、穂乃果は3度電話する。まず1日目、絵里から穂乃果へ、代役リーダー決定の件。次に2日目、また絵里と、代役変更の連絡。最後に2日目の夜、穂乃果から花陽へ、決断を促す電話。最後の電話は、いわゆる「先輩らしいシーン」として記憶に残りやすいところだが、この自分からかけた電話だけは、穂乃果は部屋ではなく、バルコニーからかけている。理由は簡単、外の雨がやんだからだ。前2回は海未とことりと一緒の部屋で絵里の電話を受けていた。外は大雨だった(「イヤミ?」)。だが3回目の電話時には、雨はやみ、頭上には星空が見えている。ここで台風が逸れたのは偶然だが、それによってバルコニーが使えるようになることは必然。さてバルコニーで電話をする穂乃果は、後ろの生徒たちとはガラス戸で隔てられている。風呂あがりの生徒の会話は聞こえない。同じように、穂乃果の通話も建物の中には聞こえないはずだ。穂乃果は花陽との電話にそういう場所を選んだ。つまり穂乃果は、修学旅行中のホテル(出入りとかできなさそう)という、声が聞こえてしまう場所、同級生=海未やことりと強制的に接近させられる空間を嫌ったのだ。穂乃果の「それろ~」は、台風だけでなくメンバーとの接近をも回避し、修学旅行に私的な空間をつくりだす呪文だったのだ。

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1・2回目の電話は部屋の中で受けている。修学旅行・外は雨・狭い部屋という舞台設定が、穂乃果を海未やことりと強制的に接近させている(部屋から出ても、風呂あがりの同級生が歩いているかもしれない)。特にババ抜きは、互いに手が届く範囲にまで近づかなければできないゲームだ。だが外が晴れたことで、ガラスで仕切られたバルコニーという臨時の私的空間ができた。この空間は、穂乃果が一人で行動を起こしたことを強調して見せる。

 天気の変化を活かしたベランダという舞台設定は、この電話が、穂乃果が一人で・能動的に起こした行動であるであることを強調して見せた。μ'sのリーダー=センターはこういうことができるのだ。ここで穂乃果の動きは言葉に変換されて電話の相手に語られる。新たに代役センターになった花陽に対して、「決めるのは花陽ちゃんだよ」。自分の意志で、能動的に決断して行動すべし、バルコニーから掛けているこの電話のように。この「自分で決めろ」発言は作品のテーマめいていて語りやすいが、ここで見逃せないのが電話の相手が凛ではなく花陽だったこと。2期5話のこれまでの流れを見るに、電話の相手は凛がふさわしいようにも思えるが、なぜ花陽だったのか? 凛が自身の意志を以ってその服を着ることができるか否か。それを描くためには、凛に直接「自分で決めろ」とは言ってはいけないのである。なぜか。「自分で決めろ」と言われて自分で決めたのでは、自分で決めたことにならないからだ。

 凛は例の服を着てセンターに立った。しかしアレは自分の意志で決めたことなのか? 開演前、衣装を着たメンバーたちにぐるっと囲まれ、朝から練習して動きを合わせてきたとまで言われる。これでは選択の余地はない。半ば強要と言ってもいい状況だ(1期8話の絵里と似ている)。よって、ここで凛があの衣装を着ること自体は、それほど重い決断が下されているようには見えない。集団の圧力で個人を屈服させる気まずさすら感じる。そんな展開で衣装を着たってあまりグッと来るものではない。この微妙な展開に呼応するように、映像もテキトーな感じで1期4話を引用し、凛が衣装を着る動きや、ステージに見た一本道、そこに踏み出す動き等々を捉えることなく終わってしまう。凛がセンターに立ち、曲が始まるその瞬間、なんと画面は沖縄の二年組に飛ぶ。ライブ当日に遊び呆ける二年組。受信したメールには、「大成功」という事後報告と集合写真。ライブは既に終わった!

 せっかく「女の子らしい」衣装を着たのに、何とも微妙な扱いではないか。センター凛の扱いの微妙さ。ここから最後の展開を導こう。「Love wing bell」のラスト、スカートの練習着を着た凛が屋上の扉を開ける。ここで凛が練習着を変えたこと。これまで見てきた展開はすべてこのシーンに結びつく。この練習着変更は余談ではない。お話を思い返しても、ここの変化に伏線みたいなものはない。2期5話のお話は、代役リーダー=センターとライブ衣装をめぐるものであり、凛が練習着を変えるか否かを悩むお話ではなかった。だからこの変化は唐突に感じられる。そう感じるから重要なのである。お話の筋と関係なく、他の人物の介入もなく、凛が全くもって自主的に・自らの意志で決断を下すこと。このような動きを描くためには、お話に沿った、他の人物との関係の中で起こったものとはぜんぜん関係ない変化を起こさなければならなかった。それが練習着の変更だったのだ。これに比べれば半ば強要による花嫁衣装の着用など霞む。凛が練習着を変えること、この決断を描くために2期5話はあったのだ。

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練習着を変えた凛に真っ先に気がつくのは、ライブをほったらかして遊びほうけ、花嫁衣装の時間を横取りした2年組(右)。左は、那覇空港で衣装を着た凛の写真を見る三人。どちらがより重いものを見ているかは一目瞭然である。目の輝きが違う。

 というわけで、長々と見てきたように、2期5話はいろいろと技巧が凝らされた回に見えた。まず二年組と一年組を離すことで並べ、代役リーダーのお話で凛と穂乃果を接近させた。凛のリーダー不適格性は穂乃果にスライドするが、しかし穂乃果の行動がμ'sのリーダーたる条件を示した。天気の変化を活かしてベランダという場所を用意し、仲間と接近した屋内空間から移動させることで、花陽への電話が、穂乃果が一人で・能動的に起こした行動であることを見せた。さらに電話の相手をずらして、今度は凛が一人で・能動的に「自分で決める」ことができる余地を残した。物語の展開上、花嫁衣装は「着せられた」ようになってしまうから、最後に練習着の変更を用意した。こうして、凛が自ら決断するさまを描き出す。なんとも凝った構成!

 しかし、2期5話の映像は、どうもこの凝った構成についていけていない気がしてもどかしい。凛が衣装を着るシーンは、その動きを捉えようとする緊張感に欠けているし、最もアツい瞬間であるはずの練習着の変更も、わりとアッサリ流されてしまっている。一応、屋上の扉を開ける動きは映るが、いやあれでは弱い! 引用されていた1期4話では、背中を押された花陽が、その後自分の意志で振り返る動きが、緊張感をもって、印象的に捉えられていたのに……。と、残念な気分は尽きないが、とはいえ2期5話の自分の意志で動くことで画面の中心に場を占めるという要素は、2期2話のバラバラ感・4話のにこ(全く私的な事情でセンターに立ちライブする)・6話のみんながセンター・8話の希(一人語りで映像を動かす)にも現れている、作品を通した一つのポイントであるように思う。担当回の主役がセンターを張るのは作品上の強制だが、穂乃果が常に中心にいた1期を思い返してみると、いろんなメンバーが中心に置かれていること自体から感じることはある。