ラブライブ!

(暫定)「ラブライブ!」2期記事のまとめ

「ラブライブ!」2期についての文章です。新しい記事を投稿するときに、このページも更新します。

「ラブライブ!」2期第1話:#14∧#1
高坂プロメテウス穂乃果「ラブライブ!」2期第2話
キョウドウライブ「ラブライブ!」2期第3話
7人のバックダンサー「ラブライブ!」2期第4話
星空中心的「ラブライブ!」2期第5話
オルタナティブみんながセンター「ラブライブ!」2期第6話
ホワイトカラーダイエット「ラブライブ!」2期第7話
のぞみののぞみ「ラブライブ!」2期第8話

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ホワイトカラーダイエット「ラブライブ!」2期第7話

 7話には大きく分けて二つのお話がある。主に前半、穂乃果の体重の話と、主に後半、生徒会の予算の話。穂乃果のダイエットはなかなかうまくいかないが、もう一つのお話=生徒会の問題が最後に一件落着すると、体重の問題も同時に解決される。問題は、一見この二つのお話がうまく繋がっていない、というか、ほとんど結びついていないように見えることだ。中盤のランニングシーンは動きがあって印象的だが、生徒会のお話が進むと画面は動きを失っていき、最後は居残りの書類整理で全てが解決されてしまうのである。残業デスクワーク! ホワイトカラー的非活動が画面からおもしろみを奪う。こんな流れで「成長できてるんだと思う」(ことり)といい感じにまとめられても、それは思うことがない。

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冒頭の紙はペラ一枚だが、次の生徒会室では書類が積み上がっている。重さの可視化。/中盤では穂乃果に直に書類の束を持たせる。当然、穂乃果の重さは増える。体重と生徒会問題の接続。

 では7話はなぜこんな構成になっているのか? ここで印象的だった例のランニングシーンを入口にしてみよう。穂乃果がダイエットすることになったあと、部室では花陽がわざとらしくオニギリを食べていた。ここから7話は、花陽も体重が増えていたということで、二人が組になってダイエットへ、と展開していく。例のシーンは、穂乃果と花陽が「ご飯屋」に入るかどうか、ランニングしながら吐息とジェスチャーで会話しているのがギャグ的でおもしろみがあったわけだが、しかし花陽は次のシーンで「元の体重まで戻りました」と言われて、あっさりダイエットから離脱してしまう。その後の展開にも特に絡むことがない(このことも7話の印象を散漫にしている)。では花陽はなぜ出てきたのか?

 花陽が出てきたことでどんな効果があったのか? 例のランニングで、二人は吐息で会話をしながらも頑なに足を止めない。二人の動きはほとんど同じであり、ほぼ同一の運動をしている。となれば、逆に二人の違いに注意が向く。二人の違いは、まさに花陽がダイエットから離脱してしまったこと、つまり運動の結果として明確に表れている。Bパート最初の結果発表で、海未は次のように宣告する。「まずは花陽、運動の成果もあって、なんとか元の体重まで戻りました。しかし穂乃果、あなたは変化なしです」。運動の結果、花陽は元に戻り、穂乃果に変化はなかった。この差は何か? 

 海未と穂乃果の会話では、穂乃果が隠れて間食していたことが追及されるが、画面上にその間食は現れていなかった。というか、7話では、穂乃果は散々食事のことを言われながらも、最後にパンを食べ(ようとす)るまで、モノを食べる描写が全くない。7話で食べる描写といえばむしろ花陽のほうで、オニギリを食べるところは繰り返しの動きもあって妙に印象が強かった。この食べる描写の有無、つまり体重が増えた原因が明確に描かれているか否か。これが二人の違いと見える。花陽はあのデカいオニギリを食ったから太った。これはカロリーの問題である。よって運動して燃やせば元に戻る。それに対して穂乃果はモノを食べていない。だから運動しても元に戻らない。そういえば穂乃果本人も「毎日あんなに体動かして、汗もかいてるでしょ? まさかあそこまで体重が増えているとは……」と不思議がっていた。さらに、穂乃果は身長が変わっていないという事実がある(穂乃果の身長はなぜか二回も言及があって、変化がないことが強調されている)。ということは、穂乃果の体重増加は、肉体の変化によるものではない

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花陽は穂乃果に「仲間」と言われて目を逸らす。二人は同じ「ダイエット組」に見えるが、実はそうではない、ということ。彼女は決して米好き設定で引っ張られてきただけではない。/二人は同じ動きをする。同じ運動量だが、結果は違った。/最後のシーンも食べずに終わる。食べたのか曖昧なままカットするのもそれらしい。

 では穂乃果の重さは何なのか。今回、穂乃果の重さはどのように表されていたか? 序盤の生徒会室のシーンで、穂乃果はファーストライブの衣装を着せられることで「現実」を知る。衣装が入らなかったという想像を誘われるが、ここで「穂乃果の身に何が起こったのか」(海未)は、本当のところは見えないからわからない。直後、ことりが「体重は増えたかもしれないけど、見た目はそんなに変わってない」と言いかける。これは全くその通りで、穂乃果の見た目は変わっていないように見えている。衣装は入らなかった(らしい)が、見た目はそんなに変わっていないという、微妙な体型の差に穂乃果の重さがある。重さと見た目(肉体)の関係が危うくなる。

 次の操作は屋上のシーン。練習中、生徒が唐突にサインを求めてくる。ここのやり取りは、生徒「実は私、園田先輩みたいなスタイルに憧れてたんです」、海未「そんな、スタイルだなんて……」。体型のことを「スタイル」と言い換えて二度言わせる。ここで「スタイル」という言葉を置いているから、少し先の神社のシーンでまたこの言葉が出てきたときに引っかかる。神社に集まったメンバーが、ネット上で自分たちのことが褒められているのを見る、という流れで、希が「どうやら今までどおりの自分たちのスタイルでいって、正解やったみたいやね」と突っ込んでくる。この「スタイル」は当然「型」とか、もっと言えば「在り方」とかいう意味で使われている。「スタイル」の意味が「体型」からずらされる。そのことに意識がいったところで、すかさず凛が「最終予選も突破してやるにゃー」と言ってくる。そしてトドメは絵里「それまでに、二人にはしっかりしてもらわないとね

 以下展開。希のスタイル発言は、当然、前回6話の内容を汲んだもの。ありのままの自分たちで闘う決意をした、というのは問題ない。では直後の「最終予選も突破してやるにゃー」という凛の発言はどうか。振り返れば、2期は1話のラストで「優勝を目指そう!」と穂乃果が宣言したことから始まった。だから凛の言葉は2期のμ'sの一貫したスタイル=在り方を示す直接的なセリフと取れる。この凛は2期μ'sのスタイルに準拠している。さて今回、穂乃果はファーストライブの衣装から自身の「現実」を知ったのだった。このファーストライブをやったのは1期3話(半年くらい前)である。つまり穂乃果は2期7話の自分を1期3話の自分と比較して認識する経験をしたことになる。ということは、この経験をもって、穂乃果は自分の「スタイル」を1期の頃と比較して見る視点を得ていると見える。そしてこの時点で1期まで遡って自身の在り方を認識する視点を持っているのは、おそらく穂乃果だけなのである(だから「最終予選も突破してやる」と言っている2期μ'sの人たちに、「しっかりしてもらわないと」と言われてしまう)。2期1話に準拠したμ'sに対して、穂乃果にとっての戻るべきスタイルは1期3話の在り方であり、有り体に言えば初心のこと。そこからのズレが、スタイル=体型=重さの差になって表れた。7話の穂乃果の重さとは、2期1話の自分が規定してしまった、2期μ'sの在り方の重さなのである。

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衣装のシーン、穂乃果はよほどショックだったのか、涙を浮かべて「ごめんみんな、今日は一人にさせて……」と漏らす。これを言ったとき、穂乃果の周りには海未とことりの二人しかいなかった。そういう状況で「みんな」という言葉を選択している。自分以外の8人に向けた言葉。/結果発表のシーンで、海未は「本当にラブライブに出たいと思ってるのですか!?」と凄み、穂乃果は「当たり前だよー!」と返す。穂乃果と2期μ'sの微妙な距離感。これを見た凛は「穂乃果ちゃんのこと、嫌いなのかな……」とかなり頭の悪そうなことを言っているが、何か違和感を受けていたのだとすれば鋭い。/予算会議で、にこが「生徒会以外」の一人として描かれるいいカット(後述)。「無い袖は振れません!」が意味するところは言わずもがな。

 ここまで来れば7話終盤の動きのなさも妙に説得的に見えてくる。最後のところ、穂乃果の体重はどうして元に戻ったのか。本人は「3人で一生懸命がんばってたら、食べるの忘れちゃって」と説明していたが、もちろんここで重要なのは、食べるのを忘れたことではなく、「3人で一生懸命がんばってた」のほう。Bパートは、最初の結果発表のシーンの後は、2年組の生徒会の仕事を追う。だから画面は動きを失い、前半と繋がりを欠いているように見えた。しかしこのこと自体、すなわち生徒会の仕事をやっていたこと=μ'sの活動をしなかったこと、海未とことりと3人で何かを一生懸命やっていたことが、そのまま「戻ってた」ということになるのである。μ'sの9人の枠組みからの離脱の意志はなかなか徹底していて、3年生ふたりの支援を断るのはもちろんこの流れの中にあり、ダメ押しで矢澤にこが「アイドル研究部部長」として生徒会=3人と相対する場面がある。「私たち」という言葉の使い方にも変化がある。こんな感じで7話を見返せば、穂乃果の初心から微妙に離れてきてしまった2期μ'sの「現実」を体重問題に乗せて語る、緊張漂うテクニカルな回として見直すこともできる。

補 9人組からの離脱と「私たち」
・生徒会室で3年組の協力を断るシーンは、μ'sの9人の枠からの離脱の意志がよく見えた。穂乃果は絵里と希に協力を提案されながらも私たちで何とかしなきゃ、ダメなんじゃないかな」と断る。ここで「私たち」は2年組の3人に限定されていて、その場にいる絵里と希は入っていない。希が「自分たちのスタイル」と言っていたように、μ'sとして語るときには当然9人を指すが、ここでは違った。
・予算会議でのにこの登場もポイント。「アイドル研究部の部長」として生徒会の3人の前に出てくることで、3人を完全にその枠外に出す。「どうしてここに?」「当たり前でしょ? アイドル研究部の部長よ、私は」というやり取りがいい。このとき穂乃果はアイドル研究部員としての自分を持っていない。だが、にこが議事進行に協力的だったのは、やや甘い。

7人のバックダンサー「ラブライブ!」2期第4話

「練習は嘘をつかない」、その練習ににこが来ない。あとを追うが、追いかけっこの末、巻かれる。この追いかけっこ、走っている感じがあまりなく、不満(1期9話と並べて見てみてください)。さておき8人はにこの妹と遭遇。マンションのエントランスという微妙な場所で、にこ=アイドル、μ's=バックダンサーという矢澤家の設定が明らかになる。絵里はキレ気味に電話をかけてにこに説明を求める。真姫も海未も怒っている。ここからお話の中心は、にこが練習に来なかった問題から、矢澤家におけるμ'sの設定の件にすり替わっていく。

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にこが練習に来なかったのは、「保護者の出張中、妹たちの面倒を見なければならない」という正当な理由による。穂乃果は「ちゃんと言ってくれればいいのに」と納得顔で、当初の問題はこれで解決だが、すぐに海未がそれよりどうして私たちがバックダンサーということになっているんですか?」、絵里も「そうね、むしろ問題はそっちよ」と、話をバックダンサーの件に変えてしまう。よほどそのことが気に入らないようだ。/虎太郎に「バックダンサー」と指差されながら「アハハ、こんにちは……」と返すことりが良い。

 さて、「にこ=アイドル、μ's=バックダンサー」の設定を信じているらしき矢澤家に対する8人。花陽「どうしてこんなに信じちゃってるんだろう」、海未「μ'sの写真や動画を見れば、私たちがバックダンサーでないことぐらい、すぐにわかるはずなのに」。なるほど、μ'sの本当の姿を見れば、「私たち」がバックダンサーではなくアイドルだとわかるはずだ、と。これを受けてことりは、「ねえ、虎太郎くん、お姉ちゃんが歌ってるとことか見たことある?」と尋ねる。虎太郎は「あれー」とポスターを指さす。そこには穂乃果とにこの顔が入れ替えられた合成ポスターが貼られていた。このシーンに注目する。

 このシーンで「合成」されているポスターは、作中で既に「正しい」バージョンが明らかにされている。冒頭の予選結果発表のシーンで、μ'sの公式写真として映されていたものだ。大会サイトに掲載されているくらいだから、この時点の彼女たちにとっては、最もスタンダードな一枚ということになるだろう。にこはそういう写真を改造し、家族に騙っていたわけだ。さてこの写真、メンバーは大げさに「合成」と言ってはいたが、ちゃんと見てみると、穂乃果とにこの顔が入れ替えられているだけで、その他の7人には特に改造はない(絵里と入れ替わっている写真は、髪の処理に少し手間がかかっている。しかし9人が写っているものではない)。実は元の写真からそんなに変わっていない。穂乃果とにこ以外の7人にとっては、海未が言うところの「μ'sの写真」そのままである。虎太郎はそういう写真を見て「にこ=アイドル、他8人=バックダンサー」設定を信じている。このことから次のように展開する。虎太郎は、正しいμ'sの写真を見たら、「穂乃果=アイドル、他8人=バックダンサー」と考えるのではないか? もっと一般的に言ってしまえば、μ'sというグループは、穂乃果がただ一人のアイドルであり、他の8人はバックダンサーのようなものだと認識されうるのではないか? 

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冒頭のシーンで「正解」バージョンをきちんと明かしている。にこ・穂乃果以外の7人に変更はない。/虎太郎はこの写真を見て「にこ=アイドル、μ's=バックダンサー」と考えていた。それなら、「公式」の写真は、「穂乃果=アイドル、他8人=バックダンサー」と受け取れてしまう。というか、この作品って、ここまでそんな感じだったではないか?

 にこの「合成」と虎太郎の言葉は、穂乃果以外の7人に、厳しい現実を突きつけることになった。7人にとっては公式ママの写真でバックダンサー扱いされているのだから事は深刻である。説明を求められたにこは、「私の家で私がどう言おうが、勝手でしょ」と言った。その通り……だが問題は既に矢澤家の内部に留まるものではなくなっている。一般に公開されている写真を見てバックダンサーと言われてしまったのだから、7人は怒る。メンバーたちはこの問題に妙に執着するが、いちメンバーの家庭内設定の問題に執着すること自体が、かえって彼女たちの現実を思わせてしまう。7人にとっては、バックダンサー扱いは、嘘ではなく現実の問題なのだ。にこはポスターを「合成」し、穂乃果と入れ替わって「アイドル」を自称することで、μ'sの現実=1対8の構造を顕在化させてしまった。それがメンバーにバレた。この際どい事態を前にして、本人は説明を拒む。

 この後、にこは屋上のステージで、妹たちに設定の終了を宣言する。「これからは、ここにいるμ'sのメンバーとアイドルをやっていくの」、すると妹と弟は「でも、みなさんは、アイドルを目指している」「バックダンサー」と、矢澤家設定の認識で返す。これに対して、にこそう思ってた……けど違ったの」。今まで一緒に活動してきた8人を「バックダンサーだと思っていた」と言ってしまうのは、当然引っかかるところ。ここを合成ポスターのシーンと同じように読み替えよう。このときにこが「そう思っていた」と言ったのは、このグループに、メンバーがバックダンサーと認識されうる関係性があること、つまり1対8の構造そのものであり、現実では穂乃果以外が引き立て役になってしまっていたことだ。バックダンサーとは自分のことなのである。「けど違ったの」。しかし、それは違った。「この9人でいられるときが、いちばん輝けるの。ひとりでいるときよりも、ずっと、ずっと」。ここでにこの声には、アイドルの側の声、1対8の「1」の声が重なっている。なぜなら、いま彼女は設定どおり、ファンの前でアイドルとして語っているのだから。「いまの私の夢は、宇宙No.1アイドルにこちゃんとして、宇宙No.1ユニット、μ'sといっしょに、より輝いていくこと」。かくして設定は変更され、現状は塗り替えられる。矢澤にこは、「にこ=アイドル、μ's=バックダンサー」の設定を変更することで、「穂乃果=アイドル、その他=バックダンサー」という、1対8の現実を塗り替えているのである。

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屋上ライブの前のシーンでは、意味ありげな人形配置のモグラ叩きゲームや、虚ろな表情のにこなど、新たな展開を予感させるものが映るが、お話の上では、にこは設定変更を決意して学校に行ったわけではない。屋上ライブは、穂乃果の思いつきで(すごい思いつきだ)、メンバーが勝手に衣装やステージを用意した、突発的な出来事である。/矢澤家でにこが「嘘をついておりました」と謝ったところ。にこは「いやだなあ、みんな怖い顔して」と言っていたが、「みんな」と穂乃果の表情は違う。バックダンサー扱いが現実の問題だった人たちと、そうでない人の顔。

 にこが歌い始める前、8人はダッシュでステージから捌けていく。なぜか? 「にこ=アイドル、8人=バックダンサー」の設定の「最後」であるなら、彼女たちはにこのバックダンサーとして踊り、矢澤家の設定を演じてやるべきだったのではないか? しかしそれでは1対8の構造を塗り替えることができない。あのポスターの雑な合成が示したように、にこの設定は、穂乃果と8人のバックダンサーという現実に乗っかったものでしかなかった。そんな嘘をついている限り、にこの現実はいつまでもバックダンサーのままである。彼女自身がμ'sのアイドルになるために、にこは自ら偽りのスーパーアイドルの座から降り、同時に現実のバックダンサーを消さなければならない。この関係性そのものを上書きしなければならない。8人が退場し、「1」は「1」として歌う。この2つの動きが合わさったとき、1対8の関係は崩れた。2期4話は、にこの嘘を壊すことで、それが依拠していた現実も崩した。彼女は「1」から後退したのではない。7人のバックダンサーたちとともに、9人のアイドルになったのだ。


(余談)矢澤家から追い出されたあと、8人はにこの「家では元からそういうことになってるの」発言の真意を考える。ここで希が「たぶん、元からスーパーアイドルだったってことやろな」以下自説を披露し、真姫が「ありそうな話ね」とコメントする(鋭い!)。希お得意の「ありそうな話」の創作は、2期8話では語り手自身の存在を肥大させ、彼女は自爆することになる。

星空中心的「ラブライブ!」2期第5話

 クライマックスのこの作品らしからぬ緊張のない映像にはショックを受けた。お話は簡単だ。二年組が不在のライブで、いろいろありながらも凛がセンターを務める。はじめは拒否していたものの、最後は特別な衣装を着て舞台の中心に立つ。だがなぜ凛がリーダーなのか、理由は明確には示されない。描かれるのは彼女がリーダーに向いていないことを示すエピソードばかりだ。練習の統率に失敗し、意思決定はできず、衣装のサイズも合っていない。特に衣装は凛をセンターにすべきでない決定的な理由になる。花陽は「μ'sに脇役も中心もないの、グループにいる限りみんな一緒だよ」と力説していたが、それは凛をリーダーにする根拠にはならない(じゃあお前がやれ)。真姫はこの話数で「凛が一番向いている」みたいなことを何度も言うが、軽々しく「一番」とか言い出すヤツが一番信用できない。

 第5話のシナリオの大きな動きとして、二年組が他の6人から完全に引き離されていることがある。この操作によって、凛が穂乃果の代役=リーダーを務めるお話が始まるわけだが、だが穂乃果は完全に不在になってしまったわけではなかった。むしろ二年組はしつこいほど画面上に現れ、遊び続ける。アバンの海とプールの場面の対照が印象づけていたように、二年組と一年組は、映像上では並列的に・対称するように並べられている。修学旅行という要素は、二年組を消して代役リーダーのお話の起点となるだけでなく、両者を並べて描くために引き離して配置するきっかけとして持ち出されている。

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5話は二年組と一年組の対照から始まる。

 お話を振り返ろう。凛は穂乃果が不在だから代役リーダーをやらされている。ここには穂乃果=リーダーという前提がある。しかし、代役リーダーとしての凛がやらされていたことを具体的に見ていくと、少しおかしなことに気がつく。凛がリーダーの名のもとにやらされていたのは、練習の統率・音頭取り、メンバーがモメたときの仲裁と意思決定、特別な衣装を着てステージに立つこと。これ、ぜんぶ穂乃果もやっていない(できない)ことなのである。思い返せば1期6話では、全然リーダー的に振る舞わない穂乃果は、希から「なんで穂乃果ちゃんがリーダーなん?」と突っ込まれていた。そして2期5話では、凛が本来のリーダー的なことをやらされている同じ時、穂乃果は数日後に迫ったμ'sのライブの心配もそこそこに(台風に逸れろと念じるのは「一生に一度きりの高校の修学旅行」が潰されたくないから)、ただひたすら遊び続けている。二年組(穂乃果)を消すのではなく、引き離した上で一年組(凛)と並べることで、穂乃果の代役を務めることと、リーダー的に振る舞うことの不一致が描き出されている。凛はいわゆるリーダーには不適格だが、それは穂乃果も同じことだ。言い替えれば、凛はリーダーに向いていない点で穂乃果に似ていた。皮肉なことに、だからリーダーをやらされる……。

 凛と穂乃果の併置がよく見えるのが、中盤の、屋上での衣装会議のシーン。衣装を拒否する凛を説得する流れの中で、希が「でも実際、衣装は穂乃果ちゃんに合わせて作ってあるから、凛ちゃんだと手直しが必要なんよね」と言い出す。身体的・外面的な要素(これは凛当人もよく主張していた)で凛を穂乃果から離し、センターから遠ざけようとする。希の「この中で穂乃果ちゃんに近いとなると……花陽ちゃん?」のセリフが良い。この説得力のある意見(どう考えても衣装は体形の近いひとが着たほうが良い)に凛が乗る。凛「かよちんかわいいし、センターにぴったりにゃ」花陽「でも……凛ちゃん、いいの?」「いいに決まってるにゃ」「本当に?」「もちろん!」。このやりとりは、すぐに1期6話を思い出させる。書き出してみよう。1期6話、中盤の部室でのリーダー決め会議シーンより、穂乃果「そうだよ海未ちゃん、向いてるかも、リーダー」海未「それでいいのですか?」「え?なんで?」「リーダーの座を奪われようとしているのですよ」「え?それが?」。ほとんど一緒だ。ここで凛は、見た目が穂乃果に似ていないことを指摘されたことで、結果的に逆に穂乃果と近づけられている。このグループのリーダーは、リーダーをやりたいから・リーダーの仕事ができるからリーダーをやるのではない。μ'sのリーダーとは、集団を統率するスキルがある人物のことではないのだ。

 では、μ'sのリーダーとは、一体何をするひとか。穂乃果と凛を比べてみれば、まあなんとなく、危ういからこそみんなで支えてその推進力を発揮させる存在、みたいなものが浮かんでくるが、ここで第5話の気になる要素もう一点、を持ちだしてみよう。この作品においては結構なウェイトを占めている天気という要素は、2期5話では穂乃果の「それろ~」で特に印象に残るところ。沖縄への台風の接近は、二年組が帰れなくなることで、凛をセンターにするお話のトリガーになっている。しかしこの状況設定が導いた動きはそれだけではない。

 結論から言えば、2期5話では、天気は穂乃果が電話をする場所を導く要素としてある。今回、穂乃果は3度電話する。まず1日目、絵里から穂乃果へ、代役リーダー決定の件。次に2日目、また絵里と、代役変更の連絡。最後に2日目の夜、穂乃果から花陽へ、決断を促す電話。最後の電話は、いわゆる「先輩らしいシーン」として記憶に残りやすいところだが、この自分からかけた電話だけは、穂乃果は部屋ではなく、バルコニーからかけている。理由は簡単、外の雨がやんだからだ。前2回は海未とことりと一緒の部屋で絵里の電話を受けていた。外は大雨だった(「イヤミ?」)。だが3回目の電話時には、雨はやみ、頭上には星空が見えている。ここで台風が逸れたのは偶然だが、それによってバルコニーが使えるようになることは必然。さてバルコニーで電話をする穂乃果は、後ろの生徒たちとはガラス戸で隔てられている。風呂あがりの生徒の会話は聞こえない。同じように、穂乃果の通話も建物の中には聞こえないはずだ。穂乃果は花陽との電話にそういう場所を選んだ。つまり穂乃果は、修学旅行中のホテル(出入りとかできなさそう)という、声が聞こえてしまう場所、同級生=海未やことりと強制的に接近させられる空間を嫌ったのだ。穂乃果の「それろ~」は、台風だけでなくメンバーとの接近をも回避し、修学旅行に私的な空間をつくりだす呪文だったのだ。

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1・2回目の電話は部屋の中で受けている。修学旅行・外は雨・狭い部屋という舞台設定が、穂乃果を海未やことりと強制的に接近させている(部屋から出ても、風呂あがりの同級生が歩いているかもしれない)。特にババ抜きは、互いに手が届く範囲にまで近づかなければできないゲームだ。だが外が晴れたことで、ガラスで仕切られたバルコニーという臨時の私的空間ができた。この空間は、穂乃果が一人で行動を起こしたことを強調して見せる。

 天気の変化を活かしたベランダという舞台設定は、この電話が、穂乃果が一人で・能動的に起こした行動であるであることを強調して見せた。μ'sのリーダー=センターはこういうことができるのだ。ここで穂乃果の動きは言葉に変換されて電話の相手に語られる。新たに代役センターになった花陽に対して、「決めるのは花陽ちゃんだよ」。自分の意志で、能動的に決断して行動すべし、バルコニーから掛けているこの電話のように。この「自分で決めろ」発言は作品のテーマめいていて語りやすいが、ここで見逃せないのが電話の相手が凛ではなく花陽だったこと。2期5話のこれまでの流れを見るに、電話の相手は凛がふさわしいようにも思えるが、なぜ花陽だったのか? 凛が自身の意志を以ってその服を着ることができるか否か。それを描くためには、凛に直接「自分で決めろ」とは言ってはいけないのである。なぜか。「自分で決めろ」と言われて自分で決めたのでは、自分で決めたことにならないからだ。

 凛は例の服を着てセンターに立った。しかしアレは自分の意志で決めたことなのか? 開演前、衣装を着たメンバーたちにぐるっと囲まれ、朝から練習して動きを合わせてきたとまで言われる。これでは選択の余地はない。半ば強要と言ってもいい状況だ(1期8話の絵里と似ている)。よって、ここで凛があの衣装を着ること自体は、それほど重い決断が下されているようには見えない。集団の圧力で個人を屈服させる気まずさすら感じる。そんな展開で衣装を着たってあまりグッと来るものではない。この微妙な展開に呼応するように、映像もテキトーな感じで1期4話を引用し、凛が衣装を着る動きや、ステージに見た一本道、そこに踏み出す動き等々を捉えることなく終わってしまう。凛がセンターに立ち、曲が始まるその瞬間、なんと画面は沖縄の二年組に飛ぶ。ライブ当日に遊び呆ける二年組。受信したメールには、「大成功」という事後報告と集合写真。ライブは既に終わった!

 せっかく「女の子らしい」衣装を着たのに、何とも微妙な扱いではないか。センター凛の扱いの微妙さ。ここから最後の展開を導こう。「Love wing bell」のラスト、スカートの練習着を着た凛が屋上の扉を開ける。ここで凛が練習着を変えたこと。これまで見てきた展開はすべてこのシーンに結びつく。この練習着変更は余談ではない。お話を思い返しても、ここの変化に伏線みたいなものはない。2期5話のお話は、代役リーダー=センターとライブ衣装をめぐるものであり、凛が練習着を変えるか否かを悩むお話ではなかった。だからこの変化は唐突に感じられる。そう感じるから重要なのである。お話の筋と関係なく、他の人物の介入もなく、凛が全くもって自主的に・自らの意志で決断を下すこと。このような動きを描くためには、お話に沿った、他の人物との関係の中で起こったものとはぜんぜん関係ない変化を起こさなければならなかった。それが練習着の変更だったのだ。これに比べれば半ば強要による花嫁衣装の着用など霞む。凛が練習着を変えること、この決断を描くために2期5話はあったのだ。

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練習着を変えた凛に真っ先に気がつくのは、ライブをほったらかして遊びほうけ、花嫁衣装の時間を横取りした2年組(右)。左は、那覇空港で衣装を着た凛の写真を見る三人。どちらがより重いものを見ているかは一目瞭然である。目の輝きが違う。

 というわけで、長々と見てきたように、2期5話はいろいろと技巧が凝らされた回に見えた。まず二年組と一年組を離すことで並べ、代役リーダーのお話で凛と穂乃果を接近させた。凛のリーダー不適格性は穂乃果にスライドするが、しかし穂乃果の行動がμ'sのリーダーたる条件を示した。天気の変化を活かしてベランダという場所を用意し、仲間と接近した屋内空間から移動させることで、花陽への電話が、穂乃果が一人で・能動的に起こした行動であることを見せた。さらに電話の相手をずらして、今度は凛が一人で・能動的に「自分で決める」ことができる余地を残した。物語の展開上、花嫁衣装は「着せられた」ようになってしまうから、最後に練習着の変更を用意した。こうして、凛が自ら決断するさまを描き出す。なんとも凝った構成!

 しかし、2期5話の映像は、どうもこの凝った構成についていけていない気がしてもどかしい。凛が衣装を着るシーンは、その動きを捉えようとする緊張感に欠けているし、最もアツい瞬間であるはずの練習着の変更も、わりとアッサリ流されてしまっている。一応、屋上の扉を開ける動きは映るが、いやあれでは弱い! 引用されていた1期4話では、背中を押された花陽が、その後自分の意志で振り返る動きが、緊張感をもって、印象的に捉えられていたのに……。と、残念な気分は尽きないが、とはいえ2期5話の自分の意志で動くことで画面の中心に場を占めるという要素は、2期2話のバラバラ感・4話のにこ(全く私的な事情でセンターに立ちライブする)・6話のみんながセンター・8話の希(一人語りで映像を動かす)にも現れている、作品を通した一つのポイントであるように思う。担当回の主役がセンターを張るのは作品上の強制だが、穂乃果が常に中心にいた1期を思い返してみると、いろんなメンバーが中心に置かれていること自体から感じることはある。

のぞみののぞみ「ラブライブ!」2期第8話

 街頭でのラブライブ予選出場グループインタビュー。マイクを向けられた穂乃果は言う、私たちは、ラブライブで優勝することを目標に、ずっとがんばってきました。ですので、私たちは、絶対優勝します!」。いかにも穂乃果的な超理論が良い。OP明けには、A-RISEの言葉を思い出して、「認められてるんだ、私たち。3回目の「私たち」が聞こえ、絵里が「最終予選で歌う曲を決めましょう」と言ったところで、画面左下にタイトルテロップが入る。『#8 私の望み』。これまでこの作品では、タイトルテロップは本編開始後すぐに表示されてきた。イレギュラーなタイミングで挿入されたの望み』と、3度語られた「私たち」。8話は、〈曲の選択〉というお話が、〈私の望み-私たちの目標〉の軸に絡んで展開する。希の提案は……「例えばやけど……このメンバーでラブソングを歌ってみたらどうやろか」

「ラブソング」という希の提案は、いかなる「私の望み」から出力されたものなのか。第8話を引っ張っていくこの期待には3度のミスリードがある。まず、(1)「ラブソングはラブライブで有利だから」とした花陽説。「私の望み=ラブソング」と「私たちの目標=ラブライブ優勝」を重ねる美しい解釈だが、これは真姫の「だったら逆に止めるべきよ。どう考えたって、今までの曲をやったほうが完成度は高いんだし」で否定。次に(2)「9人で曲を作りたかった」とした絵里。絵里は希について、「音ノ木坂に来てやっと居場所ができた」だの「だからラブソングを提案したのよ」だの好き勝手言ってくれるが(ひとの望みを勝手に代弁して突き進む感じは1期8話の裏返しか)、本人は「曲じゃなくてもいい、9人が集まって、力を合わせて、何かを生み出せれば、それでよかったんよ」と言っている。では希が生み出したかった「何か」とは?

 そこから始まる希の語り。転校ばかりで友達はいなかった。高校で自分と同じようなひとに初めて出会った。熱い思いはあるけれど、どうやってつながったらいいかわからない。そんなとき、それを大きな力でつなげてくれる存在が現れた。思いを同じくするひとがいて、つないでくれる存在がいる。奇跡の9人。この9人で、何かを残したかった。映像は切れるが語りは続く。「確かに、歌という形になれば、よかったのかもしれない。けど、そうじゃなくても、μ'sはすでに、何か大きなものを、とっくに生み出してる。ウチはそれで十分。夢はとっくに……」。なるほど、ここまでの話から順当に考えれば、(3)希がラブソングを提案したのは「9人で何かを生み出したかった」から。しかし、その望みはもう叶っているのだった。この9人はすでにμ'sという奇跡的な集団を生み出していたのだから……、なんとも感動的!

 が、このいかにも“泣ける”話を平然と語りきった希は、ここで突然崩れる。彼女はお茶に映った幼少期の自分自身を幻視する。幼少期の希がいまの希を見てほほえむ。そして、初めて言葉に詰まるのである。直前までの流暢な語りや、作中でのこれまでの振る舞いを考えれば、ここは相当に特別なことが起こっているように見える。「奇跡の9人」の感動的なお話は幻影によってぶった切られ、なんだかよくわからない断片的な映像:オムライス饅頭にすり替わってしまうのだ。この断片的な記憶のほうが、「奇跡の9人」のストーリーより、希の真に迫っている。では「とっくに」叶っていると言った夢=私の望みは、結局のところ何なのか。焦点はこのオムライス饅頭に絞られる。

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希にとっては、「奇跡の9人」のストーリーより、この断片的な記憶が真に迫った。

 このシーンを見るために、8話からいくつかの流れを取り出してみたい。Aパート、恋愛経験のないメンバーが「イメージを膨らませる」ための告白シミュレーション大会と、Bパートのアイデア出しの参考のための恋愛映画鑑賞会。この二つのシーンと希の話の並びから、いろいろと「イメージを膨らませる」。まず(一)語ることへの注意。告白大会では、穂乃果がカメラを回す希に「でも、なんでカメラが必要なの?」と突っ込んだことで、カメラと撮影という要素が強調されている。だから、撮影会→鑑賞会の流れに、素材→作品の過程が重なる。撮られた映像は編集されなければならない。そうしないと一つの「作品」として見られたものではない(穂乃果はそんなものに何の興味も示さず3分で寝る)。これが希の語りにも当てはまる。「奇跡の9人」の映像では、希が「μ's」と紙に書くより前に、花陽が「μ's」と書かれた張り紙を見ていた。この時系列の操作が象徴するように、希の語りは首尾一貫したストーリーを作るために過去を編集した、作為的なものである。何かを語る以上そうなるのは必然。だから、断片的かつ語られない、ラッシュのような「オムライス饅頭」が、なにか真に迫るものとして浮かび上がる。

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希の語りは(当然ながら)編集された作為的なもの。そもそも希はファーストライブを見ていない。講堂の外にいるし、わざわざ目をつぶっている。

 次に、(二)記録物のこと。告白大会で撮影の必要性について突っ込まれた希は、「そっちのほうが緊張感出るやろ。それに、記録に残してあとで楽しめるし」と返す。あとで楽しむために記録に残しておきたい。この「残るもの」への意識は、映画鑑賞(白黒だったことが過去の記録感を強調する)、終盤の写真のやりとりや、これまで希が多用してきたカードを借りた語りにも見えるが、8話のお話では、これが歌詞を作るプロセスにも現れる。映画鑑賞会の前、希はにこに「ノート真っ白やん」と絡む。これも当然ながら、歌詞はノートに書かれ記録されなければならない。アイデア言いっぱなしでは一つの作品は組みあがらない(はず)。だが、μ'sの9人はラストシーンで、まさに言葉を「言いっぱなし」にして歌詞を作る。誰もメモを取らないし録画もしない。手に降り落ちる雪のように、記録されず、言ったその場で消え行く言葉。希の語りをつまらせた幻影も、そこから引き出された「オムライス饅頭」も、客観的な記録物ではなかった。記録され得ない、希にしか見えていない・希の脳内にしかなかったものが重く描かれている。

 さらに、(三)なにかを確定させる動き。真姫と絵里を部屋に招き入れた希は客人にお茶出しするが、ここで希はカモミールティーの缶から日本茶を出す(この指摘は「ラブライブ! 2期8話 - µ'sの母と、希の夢 - : 愛は太陽だよ!」に拠ります)。希の動きによって、缶の見た目とは違う中身が明かされた。ここから示唆を得て例の「オムライス饅頭」を見る。オムライスは、卵からはみ出た米によってかろうじてオムライスと分かるが、それが無ければオムレツかもしれないという疑いを拭い切れない。料理は視覚で外側を見るだけでなく、味覚によって中身を確定させなければならない。だがオムライスはラップに包まれたまま食べられない。対して饅頭は食べられる。「奇跡の9人」の映像中、本を読んだまま動きを見せなかったのと対照をなすように、控えめな動きながらも、希は饅頭を食べる。あの饅頭の味は、外側の皮を見るだけではわからない。

 最後に、(四)9人の関係。前半の告白大会では、希は撮影者という特殊な位置にいる。特ににこを撮影するシーンでは、にこの演技を見て白ける8人を捉えたカットがあるが、ここで希は他の7人より手前、アルパカ小屋の中にいる。この配置では、手前にいる希ではなく、後ろにズラッと並んだ7人(特に動きを見せていることり)に目が行く。撮影者の存在は消されなければならないのだ。映画鑑賞のシーンでは、映画とそれを見る3人・寝る穂乃果と凛・恥ずかしがる海未の何かアクションしている人物は壁際にいる。希と真姫は中心にいるが、見ているだけで動かない。ちょっと浮いている。さらに「奇跡の9人」のお話では、μ'sのメンバーを「熱い思いのあるひと」と「つないでくれる存在」に分け、自分はその8人の外側にいるかのような物言い。だが「オムライス饅頭」では、映画を見たのと同じ部屋で、他のメンバーと同列に並び、同じ制服を着て、同じように饅頭を食べる。穂乃果だけは饅頭の作者として特別な扱いだが、ラストの言葉を投げるシーンでは完全な円になり、穂乃果も特別ではない。

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撮影者の希より、その後ろの7人に目が行く。/希と真姫は中心にいるが、見ているだけ。/饅頭の回想は、映画観賞と同じ部屋だが、様子はかなり違う。他のメンバーと同じ制服を着て、同じように饅頭を食べる。

 ……と、長々と書き出してみたが、大ざっぱに言ってしまえば、8話は冒頭で示された〈私-私たち〉の軸を〈私〉側に寄るように展開していたようにみえる。ラブソングの提案はμ's=私たちの目標に沿うものではなかったし、「オムライス饅頭」のシーンにおいて、客観的な記録物や首尾一貫したお話より、私的かつ断片的な記憶や感覚が真に迫るものとして現れていたからだ(上記一・二・三)。さてその記憶を呼び起こすきっかけとなった幻影は、希が「奇跡の9人」のストーリーを語りきったところで現れたのだった。これは上記(四)で見たような、9人の関係性の変化によるものだと考えられる。μ'sを「奇跡の9人」とするお話を語ったこと自体によって、希はアクションを起こし映像をつくる、語り手のような地位に立っているからである。映像の語りとセリフを重ねるワザは、1期1話のラストで穂乃果が使ったものであり、当ブログではそこに穂乃果の特権性を見た。今回、希は「奇跡の9人」を語る=創作することで、1期の穂乃果のような、映像の中心として現れていたわけだ。その姿に幻影はほほえみ、彼女はブツに頼らず語りまくる自分に気づく。「何か大きなものを、とっくに生み出してる」。ここで生み出されていたのは、……映像の中心=アイドルとして振る舞う「私」

 2期2話の合宿で、曲の制作について、希はこう言っていた:「9人で話してたら、いつまでたっても決まらないよ」。そのことを示すように、2話で9人はバラバラに動きまわり、その動きが創作のエネルギーとなっていた。だが作業をしていたのは元から作詞・作曲・作衣装の係だった3人であり、「ユメノトビラ」は要するにこの3人が徹夜しただけだ。しかし2期6話では、9人のあいだの役割は固定したものではなく、流動的に入れ替えられるものとして描かれていた。2期のμ'sはことりでなくても衣装が作れるし、穂乃果のみならず9人全員がセンター=映像の中心として振る舞えるのだ。ならば、作詞も海未に固有の仕事ではない。ここまで影の立役者のような割り当てだった希だって、思いを語り、「私たち」の言葉を生み出すことができるはず、しかもそれは他の8人にとっても同じこと。だから、最後のシーンで9人が投げた(8話でも、9人の話し合いでは何も決まらなかった)言葉は、それを語るキャラクターとはあまり関係がない。「私たち」ならばどの「私」でも言えるようなことしか言っていない。ここに2期が描いてきた9人の並列化=総穂乃果化は完成したようにみえる(まさに奇跡の9人!)。ただ、最後の希の言葉だけは、その曲を「ラブソング」として確定させる特別な言葉として機能した。私が「好き」と語りたいから、ラブソングを提案する。「Snow halation」は、このシンプルな希の望みから生まれたのだ。

以下を参考にしました。
ラブライブ! 2期8話 - µ'sの母と、希の夢 - : 愛は太陽だよ! 特に、お茶についての指摘。「希が穂乃果に憧れていた」可能性に触れられているが、当記事も似たような結論に至った。
Twitter@azure19s 記録物と食べ物についての指摘。
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