ゼノグラシア

「アイドルマスター XENOGLOSSIA」第3話 インベル起動シーン

 このシーンのゾクゾクは、まずインベルが起動していないなら、天海春香は外を見ることができないはずという状況設定による。前半部で描かれたように、正確には、インベルは起動はしている。機械的な問題はないが、「アイドルとマスターの相性」のせいで、出力が安定値まで上がらない(が、ここでは以下起動していないと表記する)。翌日、春香が乗ってみることになるが、やっぱりダメで、彼女はコクピットに閉じ込められてしまう。起動していないインベルに乗ったまま打ち出される。

 以前の記事で、iDOLのコックピットはアーケードゲームの筐体に似ているように見えると書いた。視界は全天周囲型ではなく、モニターにゲーム画面のように映し出されていた。その視界はiDOLの視界であった。だから、iDOLが起動していなければ、中の人は全く外を見ることができないはず。ここで春香を閉じ込めておいたシナリオが活きる。春香はまだ明るいうちに起動テストに参加し幽閉された。ということは、彼女はその日その時の外の景色を見るチャンスが全く無い(これまで田舎で暮らしていたことを差し引いても、こんなシチュエーションで見る風景を想像することは難しい)。にもかかわらず、春香はこう語りかける……「インベル、怖がらないで。よく見て、海だよ」

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視界の全く無い状況でも、「空を見ろ」と言うときにはちゃんとそっちを向く動きがある。/「だよ」の前にはの、「コンペイトウだよ」の前には青空の、それぞれ幼時の回想みたいなものが入る。海やコンペイトウの直接的な記憶ではないところが良い。自分の記憶から、インベルには見えるはずの外の視界を想像する。

 春香の話の続き。「あのね、自分が怖い顔してるとね、みんな怖い顔するんだよ。でも、自分が笑顔なら、みんなも笑顔を見せてくれる。それだけ。それだけのことなんだよ」。射出前にはこうも言っていた:「怖いって気持ちは、いくら大丈夫って言われても消えないんです。自分で外に出て、自分で確かめない限り」。引きこもってばかりではイカンです、外に出て、自分が笑顔を見せれば、世界も違って見えるはず。なるほど教育的。さてこの言葉は、前のシーンでのやよいの教え:「強引なくらいがちょうどいいのよ。ま、いろいろやり方はあるかもしれないけど、少なくとも私は、その方法で親友を一人作ったわよ」を引き継いでいた。それなら、このやよいの教えを素直に受け取れば、積極的に動くべきはインベルではなく春香のほう、ということになる。だから彼女はインベルに「外に出ろ」と説教していたわけではない。

 ここで今度は春香の視界を想像してみる。春香は外が見えない状況で、インベルの視界=外の世界を想像して語っていた。しかし、外が見えない=真っ暗闇、というわけではない。こういう状況のiDOLコックピットで何が見えるのかは、劇中でちゃんと描写されている。起動実験が失敗し、モニターが消灯した直後。あるいは、「私につきあってくれる?」と語りかけた出撃前。そういうとき、消灯したモニターには、反射した春香自身の顔が見えていた。つまり、ここでの春香の言葉は、全て自分自身を見ながら語られたものと聞くことができる。自分の表情が見えてしまっているから、彼女の言葉には、やよいの教えには無かった「笑顔」の要素が出てきてしまう。半ば自分に言い聞かせているようなかたちになる。

 このときiDOLのモニターは、中の人を閉じ込めた箱を透過しうる「外への目」であると同時に、その視線を彼女自身に向ける、半導体的なもの(=シリコン構造体)としてある。消灯したモニターは「外への目」としての機能を果たさず、ただ視線を反射させて、内側のキャラクターに一方的な視線を浴びせていた。しかし春香は、外への視界の遮断を想像力で突破する。それと同時に、自身に向けられた視線を受け止め、自分自身を見て呼びかける。「自分が笑顔なら、みんなも笑顔を見せてくれる」。彼女は箱の内側から外の世界と内側の自分を同時に見た。インベルが見る景色と、彼が自分自身を見る視線を感じた。彼の視線を共有し、自分への視線を自覚した。……それは彼の目で彼女を見た。

 もはや彼女は箱の外側からの一方的な視線に晒されるキャラクターではない。落下する箱の中で「飛ぼう、私と」と言い切った彼女は笑顔を見せ、インベルはそれを見て飛んだ。半導体的なモニターを通して、自身を閉じ込めた箱=筐体の壁を、内にいながら乗り超えるこの自覚。一方的な視線を跳ね返す。視覚の獲得。内側からの駆動。彼女とそれの融合。こうやってiDOLを起動した彼女は、アイドルでありかつそのシステムを乗りこなすマスターに見える。

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消灯したモニターに自身の表情が反射して見えることはチラホラと出てくる。/起動後の彼女は、箱に閉じ込められたキャラクター=アイドルであると同時に、画面を見てiDOLを動かすプレイヤー=マスターである何かに見える。
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アイドル∧マスター=愛「アイドルマスター XENOGLOSSIA」(2)

(1)から続く

プレイヤーの再設定

「ゼノグラシア」で面白いのは、ゲーム由来の強大な権力を持つP=プロデューサーは消去しながら、ゲームをプレイするP=プレイヤーの存在を作品内に再設定している点である。原案ゲームでPに与えられた称号「アイドルマスター」は、本作では主人公たちiDOLイロットを指すものだった。このことが直接的に示しているように、春香たちは単なるパイロットではなく、ゲームプレイヤーの位置に強制的に立たされる。というか、iDOLを操縦することが、明らかにゲームプレイを想起させるように描かれている

 例えば、iDOLの起動シークエンス。iDOLを起動するためには、まずコクピットで「アイ」と呼ばれるキーを挿し込まなくてはならない。この「アイ」という小道具は、iDOLの起動キーであると同時に、特定のiDOLとマスターの絆の証「愛」、iDOLの感覚器官とくに視覚の延長としての「eye=目」、それらをまとめて「I=私」、さらには劇中で「天才でもなしえなかった」と語られた「i=虚数領域」……と、まあいくつもの多重性を帯びているが、ここで春香たちがアイを挿し込む動きに注目すると、細長い投入口にアイを挿し込む動作が、プレイヤーが筐体にクレジットを投入する動作とパラレルに見える。先に書いた機能を考慮して言ってみれば、春香たちはクレジットとプロデューサーカードとユニットカードを全部まとめて「アイ」として投入し、iDOLを起動するわけだ。……ゲームスタート。

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スタイリッシュクレジット投入(3話)

 iDOL起動、モニター点灯。iDOLのコクピットは全天周囲型ではなく、モニターに視界を映し出すタイプ。この見た目もあって、iDOLはあたかもゲームをプレイするかのような感覚で操縦できるようだ……第3話で春香自身が言っていた:「昔からこういうの得意なんだ、ゲームでも弟に負けないし」。さらに第16話では、もっと直接的に、iDOLのモニターでオセロゲームをプレイする様子が描かれている。このように、iDOLの操縦がゲームプレイと相似形に描かれたことによって、春香たちマスターは、コクピットに入ると同時に、強制的にプレイヤーの立場に祀り上げられる。iDOLはアーケードゲームの大型筐体なのだ。

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画面も操作もゲームっぽいコクピット。リザルト画面も出る。(4話・3話)

「ゼノグラシア」というゲームの正体

 さてキャラクター=マスターをプレイヤーの位置に置くことでどのような効果が生まれたのか。(1)で見たように、「ゼノグラシア」のマスターは、P権限のうち「使役する者」を引き継いだが、「見る者」の権限はiDOL側に受け継がれていた。春香たちマスターは「見られる者」であり、iDOLは彼女たちに容赦無い視線を浴びせかけていた。しかし映像は、「見られる者」のマスターを、ゲームプレイヤーの立場に強制的に祀り上げる。プレイヤーとは、画面内のキャラクターを一方的に見つめることができる、「見る」権限を有する権力者であった。iDOLはモニターに視界を映しだすタイプだから、ここでいう「画面」とは「iDOLの視覚」のことだ。ということは、iDOLへの搭乗は、マスターが「『見る者』としてのiDOLが見たもの」を見る者=iDOLと視覚を共有する者になることを意味する。春香たちはプレイヤー権限でiDOLの視覚をハックし、「iDOLが見ているもの」を見ることになるわけだ。では「iDOLが見ているもの」とは何だったか?

 iDOLが見たもの=画面に映し出されるものとは、「見られる者」としてiDOLに選別されたマスターの姿、つまり春香たちにとっては過去の自分自身なのである。春香たちは、iDOLを起動した瞬間、プレイヤーの立場=画面外から、画面内キャラクターとしての過去の自分を見るハメに陥るのだ。この捻れた構造は、単にPの盗撮性を暴露するだけでなく、春香たちアイマスのキャラクターに、かなりグロテスクな二重性を背負わせることになる。春香たちがプレイする(させられる)ゲーム:「アイドルマスター XENOGLOSSIA」では、彼女たちは自分自身を「見られる者」=キャラクターの立場、すなわちアイドルとして見なければならない。マスターは自分自身をプロデュースしなければならない(輝きを失うとiDOLが起動しない)。iDOLはただの筐体に非ず、マスター自身がアイドルになる「アイドルマスター」だったのだ。

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春香が初めてiDOLを起動するシーンでは、起動した一瞬の間、モニターに過去の春香自身の映像が映し出されるが、起動に失敗すると画面は暗転し、現在の姿が映り込む。画面内キャラクター=アイドルとしての春香画面外プレイヤー=マスターとしての春香が対照された場面。(3話)

「ゼノグラシア」は、Pを消し、マスター/スレーブの関係をひっくり返した上で、キャラクターをプレイヤーの位置に立たせることで、彼女たちに強制的に「見る者」としての権限を与えた。この手続を踏んだことで、春香たちは「見る者=マスター」であると同時に「見られる者=アイドル」でもある、グロテスクな二重性を帯びることになった。おそらくこの二重性こそが「ゼノグラシア」最大のキモである。物語の主軸をなす春香・千早・インベルの三角関係は、この捻れから展開していくことになる。

(続く)

(※中絶)

アイドル∧マスター=愛「アイドルマスター XENOGLOSSIA」(1)

「アイドルマスター XENOGLOSSIA」は、Google検索にその名を入れれば「黒歴史」とサジェストされるような、まあ独特の地位を獲得している。その具体的な内容については、簡にして要を得た彼の記事(本当は面白い「アイドルマスター XENOGLOSSIA」 - ちゆ12歳)に詳しいが、しかしリンク先でも示されているように、「作品自体のクオリティは大変高く」、「黒歴史」と貶められる風潮は、どうやら「原作を見なかった」ことに由来するようである。アイマスである意味はないが、別物として見れば面白い……というところまでが、ゼノグラシアを語るテンプレなのだ。

 本当にそうだろうか?

Pの分散

 原案ゲームから「ゼノグラシア」へ変更点は数多あるが、その中でも最も重大なのは、P=プロデューサーが消去されていることである(これに比べれば、その他の設定や声優の変更など、些細なことに思える)。まず原案ゲームでPが果たしていた役割を振り返ってみよう。P=ロデューサーはレイヤーの分身であり、ゲーム内でキャラクター=アイドルをプロデュースしていく存在だった。Pはプロデュースする(目をかける)キャラクターを選別し、売り出すアイドル(プロダクト)として調教しながら、コミュニケーションを取り「思い出」を獲得し、「ファン数」なるスコアを競い合う。Pはこの強大な権限を行使しながらゲーム内のキャラクターと関係を築いていく。タイトルの「アイドルマスター」とはプロデューサーランク=プレイヤーに与えられる称号であり、Pがアイドルをプロデュースする「名人」であると同時に、キャラクターを使役する「主人」であることを意味していた(これは「ポケモンマスター」と同じ用法である)。P=プロデューサー=プレイヤー=マスターは、キャラクター=アイドル=スレーブを見つめる(選別する)者であり、かつ使役(調教)する者でもある

 なんだかとってもマッチョでやらしい関係にも思えるが、原案がゲームである以上、これは必然的な構造だといえる。ゲームとは画面外のプレイヤーが画面内世界に干渉し、その結果をシミュレートする遊びである。プレイヤーは変数を入力する立場にあり、画面内のキャラクターを一方的に見つめて使役する、強大な権力を持つ存在なのだ。しかしこの構造を無自覚に映像作品に移植すると、それは安易な代理戦争の様相を呈することになる。マスター/スレーブの権力関係は、ゲームが持つプレイヤー/キャラクター構造の内では正当だが、プレイヤーが存在しえない映像の中では無根拠である。ゲームを映像化するにあたっては、ここをなんとか処理しなければならない。例えば、先に挙げた「ポケモン」では、脚本の首藤剛志はこの代理戦争問題を消化するのに苦労している(『ポケモン』バトルを否定していいのか?(WEBアニメスタイル_COLUMN))。これを最も簡単に解決する方法は、おそらくマスターとスレーブを一体化することであり(多くのロボットアニメはロボットの損傷を操縦者の痛みとして描く)、「ゼノグラシア」と関連する「舞-hime」シリーズにおいても、両者は概ね一心同体の関係だった(いろいろ面倒な設定があったが、簡単にいえば、スレーブが死ぬとマスターも死ぬ)。あたりまえの一般論が長くなったが、要するに「アイマス」はキャラクターを使役して競わせる構造を持つゲームであるゆえ、Pの特権性をごまかすのはかなり大変なはずなのだ。

 では「ゼノグラシア」はどうしたのか。「ゼノグラシア」は、Pの権限を、マスターとスレーブに分散して振り分けることで処理している。まずキャラクターの相手をロボット=非人格にして、プレイヤーの分身であるプロデューサーを消す。そのロボットをiDOLと名付け、さらにアイマスのキャラクターたちを操縦者にすることで、キャラクターのマスター/スレーブの位置を反転させている。第2話で主人公・天海春香が知るように、「ゼノグラシア」においては、「アイドルマスター」とはキャラクター側に与えられる称号である。

 しかしこの作品のマスターは、原案ゲームのP権限の半分しか持たされない。Pの権限:「見る者」と「使役する者」のうち、「使役する者」としてはマスターだが、「見る者」の権限はiDOLの側にある。第1話の冒頭、オーディションを受けに来た天海春香を盗撮するiDOLの姿は、「見る者」としてのPの権力を受け継いでいることを示している。キャラクターたちに容赦ない視線を浴びせ、「盗撮魔」として名高いiDOLたちの存在は、明らかにP=プレイヤーの半身としてある。

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盗撮というけれど、それはプレイヤーがいつもやっていることだ。(1話)

 要するに、「ゼノグラシア」は、ゲームの構造によって正当化されていた権力者Pの存在を消し、その権限をマスター側のキャラクターとスレーブ側のロボットに分散して振り分けることで処理している。まとめると以下。

<原案ゲーム>
プレイヤー=プロデューサー見る使役マスター
キャラクター=アイドル:見られる・服従:アイドル(スレーブ)
<ゼノグラシア>
キャラクター=主人公:見られる・使役マスター
キャラクター=ロボット:見る・服従:iDOL(スレーブ)

こうしてみると、アニメ版「アイドルマスター」第1話の、ご丁寧にも視点としてプロデューサーを設定した演出にはぞっとするものがあるが、いっぽう「ゼノグラシア」は、この捻れた関係性を保ったまま、主人公たちを「プレイヤー」の位置に立たせていく。

(続く)
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