2013年05月

三重開封「ラブライブ!」第2話(3)

(1)(2)から続く

(3)3つの重ね合わせを解く

 真姫が「開封の儀」に立ち会っていた事実は、仮歌のCDを「手紙」として見る視線を得て意味を持つ。(1)で書いたように、仮歌のCDは、穂乃果妹の手で郵便物と混ぜられたことで、開封されるべき手紙に変性したのだった。差出人は真姫で、宛先は穂乃果たち3人だ。ところが(2)で見たように、映像は時間の連続性を混濁させ、最後に真姫が「開封の儀」に立ち会っていた事実を際立たせた。手紙の開封には、穂乃果・ことり・海未に加えて、真姫も参加していた。ここで手紙の「宛先」が拡張される。手紙を開封した一員として、真姫は「宛先」の資格を得る。真姫は「差出人」であると同時に「受取人」の役も果たしてしまった。

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CDを開けて再生するという何でもない動きに3カットを要す。「開封の儀」の多重性との符合。/この後の、曲を聞く3人を真上から捉えたカットが良い。3人は不動の姿勢で聞いているが、画が再生されるCDのように回転しすることで、何かが大きく動いたことが感じられる。

 これと同じことが、「差出人」の側でも起きている。仮歌のCDという手紙は、そもそも海未が書いた「歌詞の紙片」が原料だった。仮歌のCDは、「海未の歌詞+真姫の曲+真姫の歌声」という、三重の期待を保っていた。ということは、手紙を差し出した側も、真姫ひとりとは言い切れなくなる。こうして、今度は手紙に書かれた「μ's」という名前が、「宛先」と「差出人」の二重の意味を持ってくる。ここでCDを手にとった穂乃果妹のセリフを思い出そう。穂乃果妹は「宛名がないんだ。μ'sって書いてあるけど?」と言及することで、「μ's」と「名前」を結びつけた。確かに、この手紙には、「宛名」がなかった。そして同じように「差出人名」もなかった。「μ's」という名前は「宛先」であると同時に「差出人」でもあった。仮歌のCDは、μ'sからμ'sに宛てられた手紙だったのだ。

 そのCDを、穂乃果たちは屋上で再生する。ボーカルが聴こえ始めたところで、穂乃果は「この歌声……!」と、まず「真姫の歌声」に反応する。しかし上でみたように、この手紙は「真姫の歌声」にとどまらない多重性を保っている。すぐに海未とことり(この2人は真姫の歌声を聴いたことがない)が「私たちの歌……」とつぶやき、手紙の重ねあわせ状態を「私たちの歌」として確定させる。ここで用いられた「私たち」という一人称複数形こそ、「開封の儀」を解く鍵になる。少し前のグループ名決定のシーンで、穂乃果は投票用紙を開きこう宣言した:「今日から私たちはμ'sだ!」。「私たち」という一人称複数形と「μ's」という名前。両者はどう関係していたか? 結論から言えば、「真姫」「μ's」「私たち」に多重の意味を重ね合わせ、「私たち=穂乃果+海未+ことり」の等式を崩すこと。「私たち」という一人称複数形を、穂乃果・海未・ことりの3人から拡張させること。「三重開封」が生み出した効果はここにある。

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全ては「私たち=穂乃果+海未+ことり」の等式を崩すことに収斂する。

「私たち」という一人称複数形が指すものは何か。Aパート、穂乃果たち3人がグループ名を考えるシーンで、彼女たちはどのようにアイデアを出していたか。「なかなか思いつかないよね~」という穂乃果に対して、ことり:「何か私たちに特徴があればいいんだけど」、あるいは海未:3人とも性格はバラバラですし……」。これを受けて、単純に3人の名前を使って「ほのか・うみ・ことり」とか「陸・海・空」とか、どうしようもないボツ案が生まれてくるわけだが、注意すべきは、彼女たちが「私たち=3人」と、自明のごとく規定している点だ。ちらっと映される3人のメモの中に、「でもでもこれだと3人だけのグループみたいヤナ~」と(おそらく穂乃果の筆跡で)書かれているのも参照しよう。穂乃果は違和感を覚えつつも、3人は「私たち=穂乃果+海未+ことり」という規定から抜け出せていない。この等式が崩されるのは、最後の最後、三重の重ね合わせが開かれる「開封の儀」によってなのだ。

 まとめてみよう。(ア)「開封の儀」に立ち会ったことで、真姫は「差出人」であると同時に「宛先」にもなった。(イ)同時に「μ's」という名前も、「宛先」であると同時に「差出人」になった。(ウ)多重性を保っていたCDを「私たちの歌」に確定させ、「真姫の歌声=私たちの歌」かつ「私たち=μ's」と規定した。ここで(ウ)(ア)(イ)を代入して整理すると、「真姫=差出人=宛先=μ's=私たち」と、全てが重ね合わされる。真姫の歌声を「私たちの歌」として手に入れたとき、「μ's」=「私たち」は、「(穂乃果+海未+ことり)+真姫」に拡張されている。ここに至って「私たち=穂乃果+海未+ことり」の等式は崩された。「9人のμ's」に向かう準備はこうして整った。

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2人の表情の相関。互いに気づいていたのだろうか。

 これまで何度も書いてきたように、この作品の魅力は、物語の強制力に徹底して抵抗しているところにある。第2話では、穂乃果はまったくメンバーを集めようとしていない。真姫にはあくまで作曲しか依頼せず、すれ違う花陽と凛にも勧誘はしていない。つまり「メンバーを集める」という物語は、直接的には発動していない。その代わり第2話は、(1)真姫のCDが家のポストに投函されていたことと、(2)作曲・収録の過程がすっぽり抜け落ちていることという、ちょっとした餌を撒いた。ここではそこから「開封の儀」に多重性を積み上げ、それを解くことで「μ'sを3人から拡張する」という展開を導くことができた。物語の強制力に抗いながら、細部を積み上げて自ら物を語る映像。第2話の映像には、ツッコミを誘う綻びと、分解に耐えうる強靭さが、スリリングに重ね合わされている。

(参考)なんでみんなラブライブ!ってデタラメアニメ見てるの? 脳がスポンジなの? - 藤四郎のひつまぶし
突っ込みどころを参考にした。

(→)今を愛せ「ラブライブ!」第3話
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三重開封「ラブライブ!」第2話(2)

前回の続き)

(2)時間の混濁

 仮歌を作曲・収録する過程を省略する効果は2つある。ひとつは、真姫の歌声そのものを「未開封」にすること前の記事で書いたように、仮歌のCDは、作詞の紙片が未開封のままにされたことで、作詞と作曲の二重の手紙として開封されたのだった。CDを再生=開封した瞬間に歌詞の紙片も開封され、その内容は真姫の歌声で語られたわけだ。この真姫の歌声は、第1話では聞くことができたが、第2話ではCDを再生するまで溜められている。音楽室のシーンでも、穂乃果がやってくるのは真姫が歌い終わった直後だ。だからCDの「開封の儀」では、歌詞と曲に加えて、真姫の歌声も同時に開封されたのだ……ということもできるが、省略の効果はこれだけではない。

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真姫を説得する機会は2度あるが、歌声を聞くことはできない。

 作曲・収録の過程を省略することで、神社のシーンとCDのシーンは連続して隣り合わされる。すると、この2つのシーンの間に、時間の連続性へのちょっとした疑問が生まれてくるのである。たとえば、真姫はいつ作曲したのか? とか、シーンの間の一晩で? それって天才すぎないか? とか。このように、映像の連続性を疑わせること。これこそ、過程の省略が生んだ効果なのだ。伏線はちゃんとある。

 第2話は、アバンで生徒会に講堂の利用申請をするところから始まる。これが1日目。その夜、穂乃果の部屋にて、作曲を真姫に依頼すべくあした聞いてみようと思うんだ」とあることから、Bパートに入って真姫を説得するのは2日目。Bパートは、真姫にきっぱり断られ、さらに会長にどやされた穂乃果が、ダウナーな気分のまま投票箱を開け、グループ名を決定、気分をとり直して再び真姫のもとへ……と流れていく。映像はなめらかに連続し、一見、ここまで同日=2日目であるかのように見えるのだが、このなめらかに連続した映像は、実は台詞によってぶった切られているのである。具体的には、グループ名を決定し、穂乃果が再度真姫を訪ねようとするシーン……の前のモブの台詞。

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左が問題のカット。この後、穂乃果は真姫が音楽室にいることを教えてもらい、2度目の説得に向かうことになる。

 帰りがけのモブは言う:「屋上でいつも練習してるんだってー」。このあまりに適当な台詞。この台詞が調和を乱す。練習場所を屋上に定めたのはAパート=1日目だ。ということは、もしこのシーンが2日目の出来事だとすると、屋上で練習を始めたのが、この前日になってしまう。ところがモブの台詞は「屋上でいつも練習してるんだってー」。昨日と今日の2日間は、「いつも」とは言わない。つまりこのモブの台詞からは、グループ名決定シーンと音楽室シーンの間に、相当の時間経過があったことが読み取れてしまうのだ。しかし映像は何の問題もなく繋がっている。だから映像の時間の連続性にちょっとした疑問符がつく。

 作曲の過程を省略し、神社のシーンとCDのシーンを隣り合わせたことから生まれているのも、これと同じ効果である。神社とCDのシーンの間にどれくらいの時間が経過したのか、知るすべは全くない。だから別に真姫が一晩でやったとは限らないし、そもそもそれは大した問題ではない(「μ's」という名前が定着しているっぽいことからも、それなりに時間が経っていそうなことは想像できる)。しかし作曲の過程が抜け落ちていることが、一体いつ作曲したのか? とか、それって天才すぎないか? とか、時間の連続性にちょっとした疑問符をつける。Bパートの映像は、映像の連続性に引っかかりを覚えさせ、作中の時間を混濁させている。そしてこの混濁があるからこそ、最後、屋上での「開封の儀」と直後に真姫が映る場面で、連続性を回復する瞬間が際立つ

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屋上でCDを再生する3人(左)。歌が流れる中、場面は変わり、青空を背景に、真姫がひとり悦に入っている(右)。

 家に届けられていたCDは、屋上で3人立ち会いのもと再生される。曲が流れ、「凄い、歌になってる!」と感動していると、アイドルランキングのポップアップが出現。ランクなしから999位に変わり、「票が入った……」と、3人は驚きの表情。穂乃果が「さあ、練習しよう!」と立ち上がったところでカメラが引き、場面転換。青空を背景にして、真姫がひとり満足気な表情を浮かべている(そこどこだよ!のツッコミ待ちのようなカットだ)。曲が変わり、そのままエンディングに入る流れは滑らかだが、さてこの2つの場面はどう繋がっているのか? 鍵は場面が切り替わるところの連続した2カットにある。

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この2つは連続したカット。注目すべきは、左の梯子と、右の携帯。

 左のカット、穂乃果が「さあ、練習しよう!」と言ったところで、カメラが思い切り引く。これは場面転換への導入でもあるが、画面の右側に、屋上への入口と、そこに設置された梯子を映すための引きでもある。この梯子が次のカットで真姫がいる場所を示している=真姫は屋上の入口の上にいる。真姫が柵のない抜けた青空を背に立てたのは、屋上のさらに上にいたからだ。これでまず空間が繋がる。

 次、右のカット。真姫が手にしている携帯を見ると、画面には、μ'sが参加しているアイドルランキングが表示されている。ここでネットのランキングというギミックが活きてくる。歌詞の紙片やグループ名の投票用紙が時間をかけて配達されたのに対し、ネットの投票用紙は瞬時に届き開封される。発送と開封は同時に行われる。ということで、さっきμ'sに入った票は、真姫が入れた票だったとわかる。こうして2つの場面の時間と空間が接続される。3人が屋上でCDを再生しているとき、真姫は同じ時間に同じ場所にいた。2つの場面は、実はひとつのシーンだったのだ。第2話の映像は、最後の最後で、時間と空間の連続性を回復したのである。

 作曲と収録の過程を省略した映像は、映像の連続性を混濁させることで、それが回復する瞬間を際立たせた。その瞬間に示されたのは、「開封の儀」に、真姫も立ち会っていたという事実。この事実をもって、いま一度このシーンを見返してみる。

(また、続く

三重開封「ラブライブ!」第2話(1)

 第2話でも、終盤に、映像の連続性を疑わせる「超展開」がある。作曲の依頼を断り続ける真姫に対して、三顧の礼のしつこさで頼み込む穂乃果:「毎日、朝と夕方に階段でトレーニングしてるから、よかったら遊びに来てよ」。神社を訪ねた真姫が出会うのは、真剣に練習に打ち込む穂乃果たちの姿と、希の誘導:「恥ずかしいならこっそりという手もあると思うんや」。結果、次のシーンで、穂乃果の家には、「μ's」と書かれた宛名のないCDが届くことになる。

 しかしこの2つのシーンの間はかなり飛躍しているようにも見える。引っかかると思しきは以下の2点。まず(1)真姫のCDが家のポストに投函されていたこと。その理由は? 宛名がないということは、わざわざ自分で届けたのか? 下駄箱にでも放り込んでおいたほうが整合性があったのではないか? 次に(2)作曲・収録の過程がすっぽり抜け落ちていること。真姫はいつ作曲したのか? シーンの間の一晩で? それって天才すぎないか? この過程はなぜ省略されたのか?

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CDは郵便物とともに届く。「宛名がないんだ。μ'sって書いてあるけど?」


(1)CDという(開封すべき)手紙

 穂乃果宅に届く、「μ's」と書かれた宛名のないCD。このCDには真姫の仮歌が収録されているが、さて仮歌を収録するためには歌詞が必要であり、「μ's」と書くためにはその名前が必要だ。これらはどのようにしてもたらされたか?

 まず歌詞。1日目の夜、穂乃果の部屋での会議にて、作詞を海未が担当し、作曲は「一年生のすごく歌の上手い子」に依頼すべく「明日聞いてみる」ことが決まる。翌日、穂乃果は真姫を屋上に連れ出し、説得を試みるものの、「お断りします」で失敗。手にした紙を見つめながら、「せっかく海未ちゃんがいい歌詞作ったのに」とつぶやく。この紙が歌詞だ。海未は一晩で作詞をやってのけたのだ(もしかしたら、未だに書き続けていたポエムのストックだったのかもしれない)。グループ名決定シーン(後述)のあと、穂乃果は音楽室で2度目(1話から数えると3度目)の説得を試み、強引ながら真姫に歌詞を手渡すことに成功する。海未の歌詞は「海未→穂乃果→真姫」と手紙のようにリレーされて、真姫の手に届く。

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歌詞の紙片は手紙のように手渡しでリレーされる。海未が穂乃果に手渡す映像はないが、それを取り戻そうとする動き(左)が、逆に手紙が受け渡されたことを代替している。どちらのシーンでも紙は折りたたまれたまま。

 次に「μ's」というグループ名。Aパート、穂乃果たちはグループの名前を決めようとするが、なかなか妙案が思い浮かばない。そこで穂乃果は、全校生徒に丸投げする形で、グループ名の投票箱を設置する。Bパートで投票箱を覗いてみると、「あったよーーー1枚!」。その1枚、「μ's」と書かれた投票用紙によって、3人はグループの名前を得る。真姫が「仮歌を収録した『μ's』と書かれたCD」を作る材料となる「歌詞」と「グループ名」は、どちらも「紙」のかたちで届けられたものなのだ。

 ポイントは、両者の扱いの差にある。グループ名決定のシーンを見ると、穂乃果が投票用紙を開く動作がやたら丁寧に描写されていることに気づく。重要なのは、投票用紙が即座に開封され、書かれた内容「μ's」もすぐに明かされているということだ。この映像が「紙」という物体と「開封」という動作を結びつける。グループ名の投票用紙はすぐに開封された。では歌詞の紙片はどうだったか?

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投票用紙は即座に開封される。開封する穂乃果の動きは丁寧に描写され、内容もすぐに明かされる。この道具と動作の繋がりが、逆に歌詞の「未開封」を照射する。

 では歌詞の紙片は? すぐに開封されたグループ名の投票用紙に対して、歌詞の紙片は、受け渡されても折りたたまれたまま開封されない。中身についても、「いい歌詞」というぼんやりとした言い方でごまかされる。具体的に何が書かれているのかは視聴者には明かされず、内容不明のまま真姫の手に渡る。これは開封の動作と内容をともに映像として映しとった投票用紙とは対照的に見える。歌詞の紙片は未開封のまま保留され、真姫の創作の「材料」となる。真姫は未開封の材料を加工し、CDを作る。

 真姫のCDは、歌詞の紙片から「未開封」という性質が引き継がれていた。だからこそ、真姫のCDは、手紙のかたちで届けられ、郵便物とともに受け取られる必要があったのだ。開封されなかった「歌詞の紙片」は、「仮歌のCD」に姿を変え、再び穂乃果の手に渡った。それは手渡しのリレーではなく、ポストに投函されて届いた。ここで郵便物とCDが接近し入り混じる。妹が郵便物とCDを同時に手にとったことで、CDには郵便物の「開封されるべきもの」という性質が乗り移り、さらに妹の台詞:「宛名がないんだ。μ'sって書いてあるけど?」が、「宛名」(あるいは「差出人名」)と「μ's」を結びつける。これは「μ's」というグループ名が初めて他称され、「名前」として効力を持った瞬間でもある。妹は「宛名がない」と言ったが、まさにそう言及することで、「μ's」こそ「名前」になったのだ。「歌詞の紙片」は、「『μ's』と書かれた宛名のないCD」を経て、「μ'sに/から届いた開封されるべき手紙」として完成した

 屋上での「開封の儀」が、細かいカット割りで印象的に描かれているのは、このCDが「仮歌のCD」であると同時に、未開封のままだった「歌詞の紙片」の期待も保ち続けていたからである。CDを再生=開封した瞬間に、保留されていた「歌詞の紙片」も開封され、その内容は歌として明かされる。冒頭に挙げた一点、(1)CDが家のポストに投函されたことが、仮歌のCDを「作詞と作曲の二重の手紙」に変性させ、「開封の儀」のシーンに多重性を醸させていたわけだが、さてここでもう一点、(2)作曲・収録の過程を省略したことで、その多重性は、さらにもう一段階引き上げられる。

続く

(←)なめらかな断絶を踊る「ラブライブ!」第1話

なめらかな断絶を踊る「ラブライブ!」第1話

 第1話は何度見ても面白い。特にライブパートへの導入は鮮やかだ。生徒会長にアイドル部設立の申請を却下され、当の会長含む脇役たちが「どうすればいいの?」と途方に暮れる中で、主人公たる穂乃果は自ら歌い出すことで作品を駆動する(前記事参照)。この「どうすればいいの?」という芝居がかったセリフから、映像は虚構レベルを上げていく。穂乃果の落下=物理現象の不自然さに始まり、ノリ良く切り替わる3つの信号、ギリギリを通過していく3台の車、突然現れる海未とことり、彼女たち3人の完璧なダンス。ミュージカル的な、虚構レベルのなめらかな遷移が心地いい。

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ライブパートの車は「ラブライブナンバー」。虚構レベルは高い。

 虚構レベルの変更は、映像に断絶を見せる。そうすると「どこからがライブパートだったのか?」という疑問が湧いてくる。「このライブパートは編集された映像ではないか(時間軸が連続していないのではないか)?」とか、「第1話全体が虚構内虚構なのではないか?」とか。しかし映像にそれ=時間の断絶を示す決定的な要素はない。むしろ第1話の映像は、ナレーションを仕掛けることで、ライブパートの連続性を強調しているように見える。

 第1話は、穂乃果が突然歌い出し、階段上から身投げするところから始まる。だが跳躍した穂乃果の体は落下しない。最高到達点で静止し、時間軸は巻き戻される。ここでナレーションが挿入される。抜き出してみよう。

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これが私、高坂穂乃果、高校2年。いま、私の通う音ノ木坂学院が大ピンチなの。それは……昨日突然、理事長によって伝えられた、学校廃校の知らせがきっかけだった。」

 語り手は高坂穂乃果を名乗り、ざっと物語の背景を説明する。曰く「昨日突然、理事長から廃校が伝えられ、学校が大ピンチである」と。なぜ「今朝」でも「あの時」でもなく「昨日」なのか? ここで語り手は、彼女にとっての「現在」が、映像の「翌日」であることを明かしている。第1話の作中時間は2日間だ。廃校を知り、夜自宅でアルバムを眺めるのが1日目。A-RISEを見て、スクールアイドルをやってみようと思い立ち、会長に却下されるのが2日目。1日目の「廃校のお知らせ」が「昨日」ということは、語り手であるところの高坂穂乃果にとっては、2日目が「現在」になる。では語り手は2日目のどの時点から語っているのか?

 語り手が次に現れるのが、Aパートの最後、A-RISEを見た穂乃果がスクールアイドルを思い立つシーン:「この時、私の中で、最高のアイデアがひらめいた!」。続くBパートにナレーションはない。ではBパートが語り手の「リアルタイム」なのか? これは違う。冒頭で、ライブパートの映像を指して「これが私」と言っているのだから、ライブパートは語り手にとっては「過去」。語り手は高坂穂乃果を名乗っていて、外部に立つナレーターではない。2日目にいる語り手から見て「過去」ということは、ライブパートはそのまま同日=2日目の出来事であったとするしかない。

 一応、想像の余地はある。階段上から跳躍し静止したところで「これが私」と言っているのだから、その後は連続した時間かどうか定かではない。階段の手すりに飛び乗るカットと、路上に飛び降りるカットの間には、時間的な断絶があるのかもしれない。よく見てみると、この階段はものすごく長いので、穂乃果がワープしている=時間的な断絶があるかのようにも見える。とはいえこの作品では穂乃果の移動は徹底して省略されるのだし、そんな想像にはあまり意味が無い。重要なのは、映像は連続しているが、虚構レベルは明らかに断絶し、にもかかわらず語りの声が強引に連続性を回復させている、ということだ。高坂穂乃果は、嘘かホントかどっちつかずの、なめらかに断絶した時空間を踊っているのだ。

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最後、こちらに向かって「やるったらやる!」と宣言した穂乃果には、何か別格の力強さを感じる。この穂乃果こそ、冒頭で「これが私」と語った、あの声の主に見える。

 ライブパートを踊り終えた穂乃果は、カメラに向かってこう宣言する。「私、やっぱりやる。やるったらやる!」。作中の穂乃果が初めて作品の外側を意識したとき、登場人物は語り手に追いつき、その声は語りの声と重複する。踊る穂乃果は映像の虚構レベルを上昇させ、虚構レベルを上げた映像が穂乃果自身を語り手のレベルに引き上げる。映像を自ら駆動する主人公と、主人公のレベルを遷移させる映像。その橋渡しをする歌と踊り=アイドル活動。そこに何が映っているのか。その映像は嘘か真か。その声は誰の声か。このなめらかな浮遊感と、断絶の緊張感。「ラブライブ!」の面白さは、たぶんこのへんにある。

(参考)ラブライブ!の京極尚彦監督コンテ演出について考える - WebLab.ota
時空間の歪みについての指摘がある。

(→)三重開封「ラブライブ!」第2話(1)
(←)「ラブライブ!」第1話:高坂穂乃果の躁鬱分解
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