2013年06月

今を愛せ「ラブライブ!」第3話

 第3話は一見ヌルい。無人の客席、潤む瞳、駆けつける天使と、いつの間にやら集う仲間たち。お涙頂戴要素をひと通りこなした後、穂乃果は絵里とのやり取りで新たなる決意を語る。ここで「続けます。やりたいからです!」と宣言することで、アイドル活動は廃校阻止の手段から目的に変わった。しかしそれはセリフで語られるほど表層的な変化でしかない。変わったのはアイドル活動の位置づけだけではない。

 第3話は神社の朝練シーンから始まる。やってきた真姫を呼び止める穂乃果:「そうだ、あの曲、3人で歌ってみたから聴いて?」。「ハァ?なんで?」と渋る真姫。しかし穂乃果はどうしても聴いてもらいたいらしく、よくわからない絡みから強引にイヤホンを真姫の耳に挿しこむ。「けっこう上手く歌えたと思うんだ。いくよ~」からOPに入る流れは面白いが、このアバンは、「練習に打ち込む姿」と「真姫への絡み」を並べたことに意味がある。ご丁寧な海未の言葉:「ふたりがここまで真面目にやるとは思いませんでした」も参照しておこう。どうやら穂乃果は、予想外なほど真面目に練習に打ち込んでいるらしい。歌も「けっこう上手く歌えた」ようで、それを真姫に聴いてもらいたいと思っている。つまり、誰かに練習の成果を披露したい

 OP明けのシーンもこの延長だ。穂乃果たちは三年モブに絡まれる:「あしたライブやるんでしょ?どんなふうにやるの?ちょっと踊ってみてくれない?」。この無茶振りに海未は逃走し、ことりさえも「え、ここでですか…?」と引き気味のなか、しかし穂乃果は全く動じず、「いいでしょう、もし来てくれたら、ここで少しだけ見せちゃいますよ?」。朝練での歌に続いて、今度は踊りを披露しようとする。しかもただ披露しようとするだけでなく、ちゃっかりライブ本番の客寄せもしている。穂乃果はこれまでの頑張りの成果を見てもらいたくて仕方がないのだ。

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穂乃果は活動の成果を披露したくて仕方がない。

 この意志は、衣装をめぐる海未とのやり取りのなかでさらに強調されている。ライブ前日の夜、穂乃果の部屋に集まった3人。ことりが完成させた衣装に、海未はビビる:「言ったはずです、スカートはひざ下までなければ穿かないと」。ここで「制服のスカートも膝下までないだろ!」と突っ込むのは野暮だ。海未が羞恥心を克服できることは、チラシ配りのシークエンスで明らかになっている。だから海未が怒っているのは「スカートが膝下までなかったから」ではなく、「穂乃果とことりが結託して卑怯にも約束を破ったから」だ。むしろ怒るに値する裏切りである。しかし穂乃果はこの親友への裏切りを正当化するのである。全ては「成功」のためなのだと。

 穂乃果は言う:「だって、絶対成功させたいんだもん。歌を作ってステップを覚えて衣装も揃えて、ここまでずっと頑張ってきたんだもん。3人でやってよかったって、頑張ってきてよかったって、そう思いたいの」。穂乃果は「成功」を目指している。その定義は、「頑張ってきてよかったと思うこと」。これは親友との約束に優先する。この意志こそ上に挙げた「披露願望」の源泉である。穂乃果が練習の成果を見てほしいのは、その成果を実現した「頑張り」に「よかった」という評価を与えたいからだ。穂乃果の披露願望は、過去の行為への意味付けという意志に裏付けられていたのだ。

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海未は練習さえすれば羞恥心も克服する。

 そしてこの穂乃果の目論見は見事に失敗する。ライブの客席は無人だった。これでは活動の成果を見てもらうことができない。見てもらえなければ、過去の頑張りに意味をもたせることができない。つまり「失敗」である。だからこそ穂乃果は歌い出すことができない。そこに駆けつける花陽(この役を安易に視聴者に振らなかったのは良かった)以下の展開は冒頭に示したとおり。そして決め台詞。「こんな気持ち、初めてなんです。やってよかったって、本気で思えたんです。今はこの気持ちを信じたい。このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。応援なんて全然もらえないかもしれない。でも、一生懸命頑張って、私たちがとにかく頑張って届けたい。いま、私たちがここにいる、この思いを!」

 ファーストライブの穂乃果の評価は、「やってよかったって、本気で思えたんです」。よって「成功」なのだが、ではなぜ「やってよかった」と思えたのか? 花陽が駆けつけ、最終的にはメンバー大集合な状態になってしまったのだから、観客はいなかったわけではない。しかし絵里が「意味があるとは思えない」と言ったとおり、盛況には程遠い状況だった。だから穂乃果が「やってよかった」と思えたのは、上で述べた「披露願望」が満たされたからではない。成果の披露によって過去の活動に意味が与えられた=努力が報われたからではない。それはひとえに「いま」歌い出し、活動することができたからだ。「いま」ライブをやったからこそ、「今まで」の活動を「やってきてよかった」と思うことができている。これは過去の努力とは何の関係もなく、ただ(花陽をトリガーにして)「いま」活動したという事実を作ったからにすぎない。ライブを経験することで、「やってよかった」という思いは、過去を意味づける根拠として「思いたいもの」から、「いま、私たちがここにいる、この思い」として「届けたいもの」に変わっている

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「思いたいのーーー!」と言葉で叫んでも意味は無い。活動こそがその思いを伝える。たとえミスったとしても。

 高坂邸のシーンで、穂乃果は「やってよかったと思いたい」と語った後、窓を開け放ってその思いを叫ぶ。だが叫びで思いは伝わらない。ライブを経験した穂乃果が見出す解は、「私たちがとにかく頑張って」、その思いを「届ける」ことだ。観客の有無は関係ない(「誰も見向きもしてくれないかもしれない」)。評価されるかも関係ない(「応援なんて全然もらえないかもしれない」)。重要なのは過去の積み重ねではない。いま歌うことができるか。いま踊ることができるか。だがその「いま」は即、過去になる。「今まで」はどんどん増えていく。だから「今までやってきてよかった」と思い、その思いを届けるためには、更新され続ける「いま」のなかで活動し続けるしかない。この存在をアイドルと言わずして何という。穂乃果のアイドル活動は、「いま・ここ」を称揚しその思いを伝え続ける、ひとつの巨大なライブなのだ。過去を見るな。未来は忘れよ。ラブライブ=今を愛せ。

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「ロビンフッドの大冒険」第22話の真下演出メモ

 これは名作回。1話・3話に続いて真下監督のコンテ演出回(平田智浩作監)だが、今回は特に良かった。

・透過光カットとネオン色ランタン
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最初のシーンからキマっている。決然としたマリアンの振り向きを捉える。ランタンがネオン的な色彩なのが真下的。

・「おじゃる」と「あいうえお」
セリフも活きている。口癖が移ってしまうのは、いかにもアニメ的な僧正の造形を逆手に取った。強硬派マリアンの緊張が続いた後の、ヘタレ男4人組の無意味な「あいうえお」も良い。この緩急。

・止め画の妙
緩急といえば、マリアンが気絶するシーン。ピタゴラ運動で落下してくるシャンデリアをテンポいいカット割りで映した後、気絶したマリアンを止め画で捉え、急にリズムを崩す。抱き上げたロビンが思わずウィルに視線を移し、またマリアンを見つめる間。ここは音響演出も妙で、シャンデリアの落下音でロビンの呼びかけがかき消されていたり、その後の無音+松明の効果音が、映画的なカット割りと相まって、フィルム上映のノイズっぽく聞こえたり。

・回想シーンからの色彩侵蝕
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館に入ってからは引きの画を多用して視線を意識させる。この館の色彩は堪らない。炎が緑色なのはさすがに驚くが、この色彩が回想シーンから連続していることに注意。回想という虚構と作品内現実を「お化け屋敷」で混淆させている。回想を挟みながら館にたどり着く移動の処理も見事。

・階段芸
階段のシーンもいちいち構図がキマっていて格好良い。上りは恐る恐るゆっくりと、下りは(マリアンの落下に呼応して)一瞬で。ビビっていたジョンは蒲田行進曲的な階段落ちで一気に下る階段芸。

・音楽
そして部屋シーンの印象的な音楽。映像を侵蝕するかのような音響演出は真下の十八番。回転扉に引っかかるマリアンがこちらを向く、一瞬の間。

・附打木槌
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ここから映像はさらに怪しさを増していく。剣を持ったマリアンが振り返るカットでは、どう考えても歌舞伎の附け打ちのような効果音が用いられる。動きも見得を切る役者のそれだ。この音は後に闇オークション司会の木槌の音だと判明するが、いやそれは音違うだろう。展開もどんどん劇臭くなっていく。ここのマリアンの動きは「NOIR」1話のミレイユを彷彿とさせる。

・照明の調整に余念がない登場人物たち
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随分と自覚的に照明を調整する登場人物たちである(照明を落とす動きは2度ある)。もちろん、ここの照明の調整は、マリアンの超常現象を捉える準備だ。髪の色が変化したように見えるのが象徴的。

・水と超常現象
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もはや真下演出以外の何物でもない映像が展開される。超能力を発動させたあと昏い微笑みを浮かべる茶髪・短髪のマリアンはもうビィートレイン作品のヒロインにしか見えない。

・仮面変態とストーカー
僧正の仮面も「悪くない」が今回はやはりギルバート。顔は隠れているが、マリアンは一瞬で見破るし、印象的な変則ズームが、マッチが見た「亡霊」と彼を結びつける。「仮面の変態」と「ストーカー的サブキャラ」のルーツはこの辺か。最後のシーンで部位→全体と見せていくのもいい。

 本作の放送開始は1990年、真下監督のテレビシリーズ作品としては4作目。すでに後のビィートレインに繋がる作風が確立されかけていたことがわかる。作家論的に見ても面白い回だった。

夢的な3分間の驚きを数える「あいうら」第9話

 カニOPの記事で「映像の細部を覚醒させる喜びこそ『あいうら』に潜む面白さなのだ」と見得を切ってみた以上、それがどういうことなのか示さなくてはなるまい。第9話は恰好の例になる。

1.「まだ続くのか?」

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ダラっとうつ伏せに寝転んだ奏香を斜め上から捉えた印象的な1カット目(1-左)。奏香「野望は潰えましたが、夢ならあります」のセリフで、お話が前回から続いていることが明らかになる。この事実にまず軽い驚きを覚えつつ(驚き1)、その驚きを代弁する彩生のツッコミ「まだ続くのか?」。もういちど奏香と彩生のやり取りがあった後、カットが切り替わる(1-右)。切り替わった瞬間に、(1-左)が彩生ではなく歩子の視線だったことが明らかになる(驚き2)。1カット目で印象的な奏香の姿を見せ、その奏香と画面外の彩生を会話させた(しかも彩生に視聴者のツッコミを代弁させた)ことで、映像の視線と主体を同一視する錯覚を生み出したのだ。なんとも映画的なトリック。

2.「へぇー、どんな夢?」

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2カット目に切り替わると、歩子が発言。さっきまで喋っていた(=カメラの主体だと錯覚していた)彩生から、右に座る歩子に視聴者の視線が移る。すると自然に、私たちの視線はさらに右、奥行きのある背景ともうひとつのイスに誘導される(2-左)。意味ありげに置かれたそのイスは無人だ。何なんだあのイス……と引っ掛かりを覚えていると、アイキャッチ後のカット(2-右)で、カメラの視点がそのイスに移動している(驚き3)。画面上の視線誘導と、カメラの視線移動をシンクロさせた、これもまた映画的な仕掛け。ここで奏香の姿勢は仰向けに変わっている。

3.「じゃああるのかい?彩生ちゃんには。将来のドリームってやつが!」

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歩子のどうでもいい夢の話から、「けさ何か夢みた?」と彩生に話が振られる。彩生と奏香のやり取りの中、奏香は彩生をビシっと指さして「じゃああるのかい?彩生ちゃんには。将来のドリームってやつが!」と問う(3-右)。彩生がカメラ目線になり、そこに奏香の腕がインしてくることで、彩生を映していたこのカットが、奏香の視点だったことが示される(驚き4)。歩子の夢が挿入され、会話劇のフォーマットを忘れかけたところで、カメラが奏香視点であることを明かす奇襲。このアニメの視聴者に気を抜く暇はない。

4.「もちろん。アイドルにでもなろうかと思ってる」

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さらに驚くべきことに、その奏香視点カット(4-上左)の次のカット(4-上右)では、奏香は仰向けに寝っ転がったままなのである(驚き5)。(4-上左)の奏香の腕は、明らかにうつ伏せの姿勢から伸ばされているように見える。なんだこれは、作画(演出)ミスか? と思いきや、うつ伏せであると思ってしまった(4-上左)のほうが錯覚なのだ。どういうことか。

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奏香視点のカット(4-下右)は、歩子が爆発夢に驚いて起床したカット(4-下左)から繋がっている。下向き姿勢の歩子と奏香の視点を連続させたことで、奏香の天地の記憶を上書したわけだ(驚き6)。背景の類似も、ミスリードに一役買っている。実際に試してみれば、仰向けでも左手を奏香のように差し出すことができるとわかるはず。

5.「美鈴ちゃん、玉の輿ってどうやったら乗れるかな?」

歩子「アイドルってどうなるの?」で、エンディング。キャストに田村ゆかりの名前があることから、Cパートでアイドル的な先生にこの話を振るのか……と思いきや、奏香が先生に振るのは、ひとつ前の話題の「玉の輿」(驚き7)。意外性があるのは先生の反応ではなく奏香の振りの方。

6.「すいませんでした」

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先生が「知るか!」と怒鳴ると、次のカットでは奏香がびっくりして床に落ちている。このカット(6-右)、エンディング前のカット(6-左)と比べてみると、消えていた例の3つめのイスが復活している(驚き8)。無人のイスは、そのイスに座るべき人物の不在を強調する。奏香が床に落ちたカットに無人のイスを配置することで、奏香の「落ちた感」を強調し、第9話全体に「オチ」をつけた、というわけ。

 わずか4分、本編だけなら3分の間に、これだけの驚きが潜んでいる。全力で闘った試合後のような心地良い疲労感さえ覚えるこの3分という時間は、決して短いものではない。3分という超短尺だからこそ、内容が「他愛のないおしゃべり」だからこそ、映像そのもののほうに、見る側も作り手の側も、全リソースを注ぐように仕向けられる(これは「ねらわれた学園」の反省かもしれない)。「あいうら」は、内容を消したからこそ面白さを堪能できる、日常系アニメの逸品である。

「あいうら」OPはなぜカニとジョブズなのか

「あいうら」は面白い。



 妙なOPである。曲も妙だが映像も妙だ。誰もがツッコみたくなる「なぜ蟹?」「なぜジョブズ?」的な疑問に対して、ここではジョブズの最後のカット:「Think Crabing」のメッセージを起点にして考えてみよう。

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 あいうらジョブズのメッセージ「Think Crabing」。もちろんアップルのキャッチコピー「Think different」が元ネタだが、この「crab」は動詞の意味で用いられているのだから、とうぜん「蟹」ではない。これは辞書を引けと言っているようなものだ。辞書を引けば道が拓ける。

「Think Crabing」。「crab」の動詞型には「不愉快にさせる」「あら探しをする」「けちをつける」とネガティヴな語彙が並んでいる。「crab」の語源が「crawl」すなわち「ひっかく」「掘り出す」(水泳のクロールのこと)だったことを考えれば、「根掘り葉掘り、枝葉末節を指摘する」みたいなニュアンスだと思っていいだろう。「Think Crabing」とは、「根掘り葉掘り、枝葉末節を指摘するように、ひねくれて考えろ」ということなのだ。喜んでそうしよう。

「crab」の項目を辞書で引けば、動詞型の意味の他に、もうひとつおいしい手がかりが手に入る。「crab」には「蟹」のほかに「野生のリンゴ(crab apple)」の意もある。曰く「(小粒で酸味の強い)野生リンゴ」。「crab」には、「蟹」「ひねくれ」「リンゴ」の3つの意味が重ね合わされていたわけだ(伊勢エビならぬ三重クラブである)。よって、「crab」→「リンゴ」→「apple」→「ジョブズ」。辞書を引いただけで、瞬時にここまで連結することができる。だが「ジョブズ」と「蟹」が繋がったところで、じゃあなんで「あいうら」に「ジョブズ」なのか? この両者をどう結ぶか。ここは意味や内容に囚われていては繋がらない。Think Crabing(筆者はここに2ヶ月かかった)。

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 このカットがヒントである。どデカく「AIURA」と映されたスクリーンの前に立つジョブズ。どうやらこれは、革新的ニューデバイス「AIURA」の発表会、ジョブズのプレゼンテーションの真っ最中なのだ。さて、アップルの製品群のネーミングには、ご存知の通り共通の接頭辞がある。その接頭辞を思い出してから、ここでこのアニメのタイトル名を声に出して叫んでみよう。「あいうら」……「iうら」

「あいうら」→「iうら」→「apple」→「リンゴ」→「crab」→「蟹」。ヒントとしての「ジョブズ」と「Think Crabing」。「あいうら」と「蟹」を繋ぐには、いくら原作を参照したって、キャラ設定を掘り返してみたって無駄である(少なくとも今のところは、と留保はつけておく)。オタク的読解を嘲笑うかのようなOPが呼び起こすのは、映像の枝葉末節を全力でひねくれて解釈する楽しみと、あらゆる潜勢力を観る者の目で覚醒させる喜び。このOPが味あわせてくれるエッセンスこそ、「あいうら」の4分間に潜む面白さであり、すなわち私たちが目覚めさせるべき「鑑賞の喜び」なのだ。

 アップルが「Think different」というキャッチコピーを掲げたとき、そこには「反抗者」「変革者」といったイメージが重ねられていた。OPがジョブズに語らせた「Think Crabing」という言葉は、視聴者を「鑑賞の喜び」に誘うヒントであるとともに、中村監督が、小さなリンゴ=蟹としての矜持を示したものだったのかもしれない。
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