2013年09月

「ラブライブ!」第1話(intro)

「だって可能性感じたんだ、そうだ進め」……彼女は歌う。
「後悔したくない、目の前に」……彼女は目を開く、
「僕らの道がある」……彼女は駆け出す。

……彼女の「道」とは?

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彼女がこれから走る「道」=13話にわたるこの作品。

1.「いま」
 ナレーションは言う:「いま、私の通う音ノ木坂学院が大ピンチなの。それは……昨日突然、理事長によって伝えられた、学校廃校の知らせがきっかけだった」。この「昨日」という限定が、逆に語り手の「いま」を照射する。なぜ「今朝」でも「さっき」でも「あの時」でもなく「昨日」なのか。彼女がその歌を歌い終えたとき、映像が彼女の「いま」に追いつく。第1話は前日談だ。第2話からはライブ=「いま」である。

2.「見ること」
 彼女は目を見開いてから駆け出す。彼女は「廃校のお知らせ」を見て倒れる。だがナレーションが言うとおり、廃校が「突然理事長によって伝えられた」ものなら、彼女は集会でそれを聞いたとき倒れなければならない。「生徒に廃校を伝える理事長」と「廃校のお知らせを見る主人公たち」の映像は、時系列が逆転している。この操作が彼女を「見る者」に仕立てる。彼女の能動性が映像を動かし、A-RISEを目撃させ、歌う生徒を発見させる。同時に、アイドル(=見られる者)という主題との間に緊張関係を結ぶ。

3.「輝かしい高校生活」
 彼女の最初の言葉:「私の……私の輝かしい高校生活が!」。彼女が歌った「道」は、最初の言葉で既に示されている。これを受けた最後の言葉は「私、やっぱりやる。やるったらやる!」

4.「夢」
 オープニング後、彼女はもう一度目を開く。ここで彼女が「夢」としたのは、もちろん「廃校決定」のことだ。だが直後の廊下を駆けるシーンに、すかさず「叶え!私たちの夢――」のタイトルが入る。「夢」は多重の意味を帯び、直前のオープニング映像=アイドル活動が、「叶える夢」として浮かび上がる。

 冒頭3分に圧縮された、これから彼女が駆ける「道」。そこで彼女にかけられる言葉は「ついにおかしくなっちゃったのかな」。そう、こんなものに向かっていくやつは頭がおかしいのだ。この主人公は決して視聴者の分身ではない。感情移入など論外である。この主人公はフィクションの「道」を拓く存在であり、まさにその彼女、頭のおかしい女=高坂穂乃果が、扉をひらき、教室に浸入してくるところから、第1話は開始する。ぞくぞくするプロローグ、そのイントロダクション。

挿入歌「ススメ→トゥモロウ」の歌詞について

 冒頭とラストで突然歌われるこの曲は、イントロ部分がとても耳に入りやすい。「だって可能性感じたんだ そうだ進め 後悔したくない 目の前に僕らの道がある」。そう言って穂乃果が駆け出すことで、この作品はスタートする。これに続く歌詞には多重の仕掛けがあるように思える。

 まず、駈け出してカバンを放り投げたところ。「ドゥーン(笑)」に聞こえるのは「do」であり、「I do」と彼女たちの能動性を示すと同時に「I do!」「Idol」に見える視覚的な仕掛け。これに続くのが「I live」で、「ラブ」と「ライブ」が重なって聞こえる聴覚的な仕掛け(さらに「I live」は、「I=アイ=愛=ラブ」であるから、「ラブライブ」と読み込むこともできる)。ここで「live」は動詞なのだから、本当は「リブ」と発音しなければおかしい。これは日本語のいわゆる「ライブ」を動詞的に使っているのだろうが、それにしても作中で穂乃果たちが特にライブ活動を重視しているようなフシはない。

 そもそも「ラブライブ!」という作品名は、読者参加型企画の「ライブ感」を汲んだものだ。この「ライブ感」は、視聴者が参加できないTVアニメ版では、キャラクターの「生きざま」として表現される、「I live」とかいて「ライブ」と歌うように。つまり、穂乃果たちにとって「ライブ」とは「生きること」=映像での振る舞いすべてなのだ。「ラブライブ!」は、すべての過程が、彼女たちの「ライブ」である。作品のはじまりで、彼女はそう歌っている。

(→)「ラブライブ!」第1話:高坂穂乃果の躁鬱分解
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アイドル∧マスター=愛「アイドルマスター XENOGLOSSIA」(2)

(1)から続く

プレイヤーの再設定

「ゼノグラシア」で面白いのは、ゲーム由来の強大な権力を持つP=プロデューサーは消去しながら、ゲームをプレイするP=プレイヤーの存在を作品内に再設定している点である。原案ゲームでPに与えられた称号「アイドルマスター」は、本作では主人公たちiDOLイロットを指すものだった。このことが直接的に示しているように、春香たちは単なるパイロットではなく、ゲームプレイヤーの位置に強制的に立たされる。というか、iDOLを操縦することが、明らかにゲームプレイを想起させるように描かれている

 例えば、iDOLの起動シークエンス。iDOLを起動するためには、まずコクピットで「アイ」と呼ばれるキーを挿し込まなくてはならない。この「アイ」という小道具は、iDOLの起動キーであると同時に、特定のiDOLとマスターの絆の証「愛」、iDOLの感覚器官とくに視覚の延長としての「eye=目」、それらをまとめて「I=私」、さらには劇中で「天才でもなしえなかった」と語られた「i=虚数領域」……と、まあいくつもの多重性を帯びているが、ここで春香たちがアイを挿し込む動きに注目すると、細長い投入口にアイを挿し込む動作が、プレイヤーが筐体にクレジットを投入する動作とパラレルに見える。先に書いた機能を考慮して言ってみれば、春香たちはクレジットとプロデューサーカードとユニットカードを全部まとめて「アイ」として投入し、iDOLを起動するわけだ。……ゲームスタート。

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スタイリッシュクレジット投入(3話)

 iDOL起動、モニター点灯。iDOLのコクピットは全天周囲型ではなく、モニターに視界を映し出すタイプ。この見た目もあって、iDOLはあたかもゲームをプレイするかのような感覚で操縦できるようだ……第3話で春香自身が言っていた:「昔からこういうの得意なんだ、ゲームでも弟に負けないし」。さらに第16話では、もっと直接的に、iDOLのモニターでオセロゲームをプレイする様子が描かれている。このように、iDOLの操縦がゲームプレイと相似形に描かれたことによって、春香たちマスターは、コクピットに入ると同時に、強制的にプレイヤーの立場に祀り上げられる。iDOLはアーケードゲームの大型筐体なのだ。

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画面も操作もゲームっぽいコクピット。リザルト画面も出る。(4話・3話)

「ゼノグラシア」というゲームの正体

 さてキャラクター=マスターをプレイヤーの位置に置くことでどのような効果が生まれたのか。(1)で見たように、「ゼノグラシア」のマスターは、P権限のうち「使役する者」を引き継いだが、「見る者」の権限はiDOL側に受け継がれていた。春香たちマスターは「見られる者」であり、iDOLは彼女たちに容赦無い視線を浴びせかけていた。しかし映像は、「見られる者」のマスターを、ゲームプレイヤーの立場に強制的に祀り上げる。プレイヤーとは、画面内のキャラクターを一方的に見つめることができる、「見る」権限を有する権力者であった。iDOLはモニターに視界を映しだすタイプだから、ここでいう「画面」とは「iDOLの視覚」のことだ。ということは、iDOLへの搭乗は、マスターが「『見る者』としてのiDOLが見たもの」を見る者=iDOLと視覚を共有する者になることを意味する。春香たちはプレイヤー権限でiDOLの視覚をハックし、「iDOLが見ているもの」を見ることになるわけだ。では「iDOLが見ているもの」とは何だったか?

 iDOLが見たもの=画面に映し出されるものとは、「見られる者」としてiDOLに選別されたマスターの姿、つまり春香たちにとっては過去の自分自身なのである。春香たちは、iDOLを起動した瞬間、プレイヤーの立場=画面外から、画面内キャラクターとしての過去の自分を見るハメに陥るのだ。この捻れた構造は、単にPの盗撮性を暴露するだけでなく、春香たちアイマスのキャラクターに、かなりグロテスクな二重性を背負わせることになる。春香たちがプレイする(させられる)ゲーム:「アイドルマスター XENOGLOSSIA」では、彼女たちは自分自身を「見られる者」=キャラクターの立場、すなわちアイドルとして見なければならない。マスターは自分自身をプロデュースしなければならない(輝きを失うとiDOLが起動しない)。iDOLはただの筐体に非ず、マスター自身がアイドルになる「アイドルマスター」だったのだ。

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春香が初めてiDOLを起動するシーンでは、起動した一瞬の間、モニターに過去の春香自身の映像が映し出されるが、起動に失敗すると画面は暗転し、現在の姿が映り込む。画面内キャラクター=アイドルとしての春香画面外プレイヤー=マスターとしての春香が対照された場面。(3話)

「ゼノグラシア」は、Pを消し、マスター/スレーブの関係をひっくり返した上で、キャラクターをプレイヤーの位置に立たせることで、彼女たちに強制的に「見る者」としての権限を与えた。この手続を踏んだことで、春香たちは「見る者=マスター」であると同時に「見られる者=アイドル」でもある、グロテスクな二重性を帯びることになった。おそらくこの二重性こそが「ゼノグラシア」最大のキモである。物語の主軸をなす春香・千早・インベルの三角関係は、この捻れから展開していくことになる。

(続く)

(※中絶)

アイドル∧マスター=愛「アイドルマスター XENOGLOSSIA」(1)

「アイドルマスター XENOGLOSSIA」は、Google検索にその名を入れれば「黒歴史」とサジェストされるような、まあ独特の地位を獲得している。その具体的な内容については、簡にして要を得た彼の記事(本当は面白い「アイドルマスター XENOGLOSSIA」 - ちゆ12歳)に詳しいが、しかしリンク先でも示されているように、「作品自体のクオリティは大変高く」、「黒歴史」と貶められる風潮は、どうやら「原作を見なかった」ことに由来するようである。アイマスである意味はないが、別物として見れば面白い……というところまでが、ゼノグラシアを語るテンプレなのだ。

 本当にそうだろうか?

Pの分散

 原案ゲームから「ゼノグラシア」へ変更点は数多あるが、その中でも最も重大なのは、P=プロデューサーが消去されていることである(これに比べれば、その他の設定や声優の変更など、些細なことに思える)。まず原案ゲームでPが果たしていた役割を振り返ってみよう。P=ロデューサーはレイヤーの分身であり、ゲーム内でキャラクター=アイドルをプロデュースしていく存在だった。Pはプロデュースする(目をかける)キャラクターを選別し、売り出すアイドル(プロダクト)として調教しながら、コミュニケーションを取り「思い出」を獲得し、「ファン数」なるスコアを競い合う。Pはこの強大な権限を行使しながらゲーム内のキャラクターと関係を築いていく。タイトルの「アイドルマスター」とはプロデューサーランク=プレイヤーに与えられる称号であり、Pがアイドルをプロデュースする「名人」であると同時に、キャラクターを使役する「主人」であることを意味していた(これは「ポケモンマスター」と同じ用法である)。P=プロデューサー=プレイヤー=マスターは、キャラクター=アイドル=スレーブを見つめる(選別する)者であり、かつ使役(調教)する者でもある

 なんだかとってもマッチョでやらしい関係にも思えるが、原案がゲームである以上、これは必然的な構造だといえる。ゲームとは画面外のプレイヤーが画面内世界に干渉し、その結果をシミュレートする遊びである。プレイヤーは変数を入力する立場にあり、画面内のキャラクターを一方的に見つめて使役する、強大な権力を持つ存在なのだ。しかしこの構造を無自覚に映像作品に移植すると、それは安易な代理戦争の様相を呈することになる。マスター/スレーブの権力関係は、ゲームが持つプレイヤー/キャラクター構造の内では正当だが、プレイヤーが存在しえない映像の中では無根拠である。ゲームを映像化するにあたっては、ここをなんとか処理しなければならない。例えば、先に挙げた「ポケモン」では、脚本の首藤剛志はこの代理戦争問題を消化するのに苦労している(『ポケモン』バトルを否定していいのか?(WEBアニメスタイル_COLUMN))。これを最も簡単に解決する方法は、おそらくマスターとスレーブを一体化することであり(多くのロボットアニメはロボットの損傷を操縦者の痛みとして描く)、「ゼノグラシア」と関連する「舞-hime」シリーズにおいても、両者は概ね一心同体の関係だった(いろいろ面倒な設定があったが、簡単にいえば、スレーブが死ぬとマスターも死ぬ)。あたりまえの一般論が長くなったが、要するに「アイマス」はキャラクターを使役して競わせる構造を持つゲームであるゆえ、Pの特権性をごまかすのはかなり大変なはずなのだ。

 では「ゼノグラシア」はどうしたのか。「ゼノグラシア」は、Pの権限を、マスターとスレーブに分散して振り分けることで処理している。まずキャラクターの相手をロボット=非人格にして、プレイヤーの分身であるプロデューサーを消す。そのロボットをiDOLと名付け、さらにアイマスのキャラクターたちを操縦者にすることで、キャラクターのマスター/スレーブの位置を反転させている。第2話で主人公・天海春香が知るように、「ゼノグラシア」においては、「アイドルマスター」とはキャラクター側に与えられる称号である。

 しかしこの作品のマスターは、原案ゲームのP権限の半分しか持たされない。Pの権限:「見る者」と「使役する者」のうち、「使役する者」としてはマスターだが、「見る者」の権限はiDOLの側にある。第1話の冒頭、オーディションを受けに来た天海春香を盗撮するiDOLの姿は、「見る者」としてのPの権力を受け継いでいることを示している。キャラクターたちに容赦ない視線を浴びせ、「盗撮魔」として名高いiDOLたちの存在は、明らかにP=プレイヤーの半身としてある。

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盗撮というけれど、それはプレイヤーがいつもやっていることだ。(1話)

 要するに、「ゼノグラシア」は、ゲームの構造によって正当化されていた権力者Pの存在を消し、その権限をマスター側のキャラクターとスレーブ側のロボットに分散して振り分けることで処理している。まとめると以下。

<原案ゲーム>
プレイヤー=プロデューサー見る使役マスター
キャラクター=アイドル:見られる・服従:アイドル(スレーブ)
<ゼノグラシア>
キャラクター=主人公:見られる・使役マスター
キャラクター=ロボット:見る・服従:iDOL(スレーブ)

こうしてみると、アニメ版「アイドルマスター」第1話の、ご丁寧にも視点としてプロデューサーを設定した演出にはぞっとするものがあるが、いっぽう「ゼノグラシア」は、この捻れた関係性を保ったまま、主人公たちを「プレイヤー」の位置に立たせていく。

(続く)
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