2013年11月

二重否定のセンター高坂「ラブライブ!」第6話

「センターは誰だ?」と題されたお話。が、にこが仕掛けたスペック競争はアテが外れ、ふさわしい人物を選ぶことができない。6話においてキャラの個性が立ち現れていたのは、カラオケやゲームの点数=結果ではなく、それに臨むメンバーたちの姿勢や行動=過程のほうだった。「結局、みんな同じってことなんだね」のメンバー会議を経て、結論となった穂乃果の提案は「(リーダーは)なくてもいいんじゃないかな」、あるいは「みんなが歌ってみんながセンター」。「センターは誰だ?」という物語はあっけなく否定され、メンバーそれぞれがセンターへの期待を昂らせる。

 だがすぐに雲行きが怪しくなる。屋上に向かう途中、海未は「(リーダーは)もう決まってますよ」などと言いはじめ、真姫もそれを認めたかのような物言い。確かに、「リーダーなし・みんながセンター」という「結果」ではなく、そこに至るまでの「過程」に目を向ければ、決定打がない中でメンバー全員を納得させた穂乃果の行動はまさにリーダーにふさわしい…とは言える。が、直後のライブパートでは、けっきょく「みんながセンター」と言った本人がどセンターを確保していて、なんとなく釈然としない感覚と、センターに居座る穂乃果の強烈な印象が残る。

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どう見ても「みんながセンター」ではない。

 そもそもこのPVは、「みんながセンター」の結論とは全く逆に、穂乃果がセンターであることを厭らしいまでに強調する映像に仕上がっている。「センター」とは、要するに画面の中心にいる人物のことであって、たんに位置を指し示す言葉だ(と、ここでは考えることにする)。この時点のμ'sは7人であり、奇数なのだから必ず中心=センターに立つ人物ができあがる。PVの最初、ひとり立っている穂乃果が手招きをして、両側からメンバーを呼び寄せるのが象徴的だ。ひとりで立っているだけではセンターでも何でもないが、その両側にメンバーを配置することで、自分が立っている場所こそをセンター化している。さらに、PV前半のソロパートでは、海未とことり、花陽と凛、真姫とにこ、と2人ずつ配置することによって、画面からセンターという概念そのものが排除されている。偶数人の画面には、定義的にセンターが存在しえない。4以上の偶数なら、奇数+奇数の二段構えのかたちでセンターが作れるが、2人では絶対にどうしようもない。つまり、穂乃果以外のメンバーからは、センターの位置に立つ可能性が画面的に封じられている

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ひとりではセンターでも何でもない。だがメンバーを招き寄せることで、その位置がセンターになる。

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偶数人(特にふたり)では、「センター」という場所自体がない。右のカットが切り替わると、にこと真姫のあいだに穂乃果が割って入ってくる。穂乃果が入ることで7人の画面になり、よってそこがセンターになる。

 第6話のPVは、センターとしての穂乃果を強烈に見せつける映像に仕上がっている。前半では仲間を呼び寄せ、後半では彼女自身が仲間のあいだに割って入ってセンター化した映像は、メンバーあってのセンターだと示しているとは言えるが、しかしどう考えても「みんながセンター」ではない。この「みんながセンター」という言葉自体、「センターは誰だ?」の物語を否定することで、穂乃果をリーダー的な存在に見せる能動的否定の仕掛けであった。だがその直後に、メンバーに「リーダーはもう決まっている」と言わせ、PVでも結局センターに陣取る。「穂乃果がセンターを否定する」という結論を、自分で更に否定している。

 ここでPVという、第6話に特異な形式を考慮しなければならない。PV終了後、場面がその映像を見ている絵里に切り替わったことが示すように、PVは明確に劇中映像であり、物語内に時間を持っていない。それは既に撮影された映像だ(物語内にカメラを持ち込んだAパートが、このことを意識させる)。このPV=物語外映像という舞台が、穂乃果の否定を物語レベルから引き上げる。穂乃果は「センターを決める物語」の否定としての「みんながセンター」を更に否定するが、この動きは結局のところ、更に上位の物語の枠組み:「「「センターは誰だ?」の物語を否定する物語」を否定する物語」を呼び込んでしまう。物語の否定は、「物語を否定する物語」に回収されてしまう。だから、能動的否定によって映像の中心=センターに立つためには、自身の物語内の決断を、物語外映像=PVという舞台で再び否定しなければならない。彼女はお話の中でセンターの位置に立つのではない。映像上にセンターとして顕現する。

 物語からPVに移行する=物語から離脱する直前、穂乃果はカメラ目線で「さあ、始めよう!」と宣言する。以前の記事で書いたように、階段の段上という場所を考えるに、これは物語内のキャラクターに向けられた言葉ではない。サブタイトルのお話を壊し、これから更にその否定をも破壊しようとするキャラクターが、こちらを向いて「さあ、始めよう!」と宣言する。この瞬間に、彼女は物語内のいちキャラクターから抜けだして、映像の中心=センターつまり見る者にとってのアイドルとして立ち現れる。物語内の自分すらをも否定する、この能動的二重否定。6話のPVが圧倒的な印象を残すとすれば、それは穂乃果の二重否定が、彼女に物語内に留まらないアイドル性を付与しているからだ。物語などどうでも良い。そんなものは彼女が壊した。あとはただ、歌って踊るその存在に感じ入るのみ。

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戦慄のカット。

 ここでは第6話の物語を「センターは誰だ?」のタイトルと結びつけて考えたが、実際にはもうひとつ、「リーダーは誰だ?」というお話が並行して展開している。そもそも「センターは誰だ?」のお話は、希が「穂乃果ちゃんってどうしてμ'sのリーダーなん?」と問い、それを受けたメンバー会議の場で、にこが「リーダーが代われば、必然的にセンターだって代わるでしょ?」と言うことで、「リーダー」と「センター」を繋げてしまったことから始まっている。そして第6話においては、穂乃果はセンターの位置には立ったが、リーダーであると明示されてはいない。海未が「もう決まってますよ」と曖昧な言葉で流してしまったこの問題は、物語的にリーダーとして扱われながらも、ぜんぜんリーダー的な行動をしない穂乃果が、最終的には「最低化」するところまで解決されない。
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「ノワール」BD-BOX発売決定、の報

監督:真下耕一+音楽:梶浦由記の出発点「NOIR」初Blu-ray化、特別オールナイト上映の開催も決定

大変喜ばしいことです。
オリジナルフィルムからのリマスター版ということで、まず見た目が楽しみ。音楽について言われることが多い作品だが(それが最大の魅力なのは確かだが)、セル画末期の色彩や背景もとても良い。フィルム作品はこういうとき楽しい。フランス語音声の収録は?

真下監督とビィートレインの新作は気配なしだが、この作品の1話で演出助手にクレジットされていた山本秀世・川面真也の両氏が、今季SILVER LINK.で監督をやっている。特に川面監督の「のんのんびより」は良い。「音」と「間」への配慮が、受け継がれた演出の持ち味を感じさせる。真下組の名前が出てくるスタッフワークも楽しい。

3年前に「serial experiments lain」のBDが出た(ずいぶん時間がかかったけど)ときもびっくりしたけれど、こうして気に入った作品が新しく出てくるのは、嬉しいことです。
「lain」のRESTOREくらい驚きたい。

鬼の矢澤の入部試験<アイドルゲーム>「ラブライブ!」第5話

 副会長の示唆(誘導)を受けて、アイドル研究部の部室にやってきた穂乃果たち。だがにこは「お断りよ」と彼女たちの入部を拒否する。その理由は「アイドルを汚している」から。納得できない穂乃果は、「ずっと練習してきたし、歌もダンスも…!」と食い下がるが、にこ「そういうことじゃない」。どういうことか。にこは言う:「あんたたち、ちゃんとキャラ作りしてるの?」。彼女いわく「お客さんがアイドルに求めるものは、楽しい夢のような時間でしょ? だったら、それにふさわしいキャラってものがあるの」。以下にっこにっこにー。

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大事なのはパフォーマンスではくプロ意識である。にっこにっこにーに全くピンときていないここの穂乃果の表情は、全編通して彼女のベストショットの一つとして推したい。

 ここから第5話は、部室を追い出された穂乃果たちが、希からにこのアイドルへの熱い想いを明かされ(これも誘導だ)、打開策のヒントとして海未を仲間に引き入れたエピソードの回想へ……と流れていく。幼きころ、かくれんぼをしている穂乃果たち。それを見つめる幼女海未は、穂乃果と目が合いそうになると木の裏に隠れた。この動きは傘で身を隠すにこの動きと重なり、翌日、穂乃果たちは、かつて海未に対したのと同じように、にこをやや強引に押し切ってアイドル研究部に加入する。一見、穂乃果の「営業スキル」をよく示すエピソードに見える。

 だが回想のケースとにこのケースには決定的な違いがある。それは「どちらがゲームマスターか」だ。まず回想の海未。ここで穂乃果がとった行動は、考えてみるとそれほど飛躍したものではない。なぜなら、「隠れたひとを見つけること」は、かくれんぼのルールにおいて既に制度化されているからだ。かくれんぼをやっているのだから、隠れている人間を見つけることは、なんら不思議なことではない。見つけられたひとに次のオニを振るのもルールで決まっていることだ。回想のケースでは、偶然にも、海未がとった行動(隠れること)と、穂乃果たちのゲーム(かくれんぼ)のルール(隠れている人間を見つけ、次のゲームのオニにする)が合致していた。穂乃果はこのルールにうまく便乗することで、海未を仲間に引き入れた

 これに対してにこのケースでは、穂乃果たちは別にかくれんぼをしていたわけではない。にこの行動は、「見つけてもらうために隠れる」という意味ではかくれんぼだが、そうだとしてもゲームマスターは穂乃果たちではなくにこである。穂乃果は自分のルールをにこに適用したわけではなく、まさに「押し切って」いるわけでもない(穂乃果はこのことを理解しているように見える)。起こったことをありのままに受け取ってみれば、穂乃果たちがアイドル研究部に入ったのであって、にこがμ'sに入ったわけではないのだ。穂乃果たちが繰り返し「部長」と呼びかけるのは、穂乃果たちのほうがアイドル研究部のルールに従っていることを端的に示している。だからこれは海未に「オニ」の役割を振った回想と同じではない。むしろ逆だ。穂乃果がにこを取り込んだのではなく、にこが自身のゲームルールに穂乃果を取り込んだのである。

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回想の海未と現在のにこは並列して見えるが、にこは実は穂乃果たちを自分のルールに取り込んでいる。

 ではにこのゲームとは何だったのか? ここであの強烈なシーン、にっこにっこにーを参照しなければならない。この場面は、直接的に「アイドル論」のようなものが語られる、全編を通してもかなり珍しいシーンである(そのこと自体がちょっとすごい)。なのでうっかりするとにっこにっこにーの勢いに呑まれそうになるが、だがにこはいきなりこんなことを言いはじめたわけではなかった。これは直前の花陽と穂乃果のやりとりを受けたものだ。「伝説のアイドル伝説」に興奮する花陽に対しての、穂乃果のツッコミ:「花陽ちゃん、キャラ変わってない…?」(3話・4話に続いて、また花陽がきっかけ)。ここでスイッチが入った花陽に、穂乃果は全くついていけない。両者ともキャラを把握できておらず、自分たちがどう見えているか無自覚である。プロ意識が足りない!

 そんなメンバーに、にこは「キャラ作りしてるの?」と問いかける。「お客さんがアイドルに求めるものは、楽しい夢のような時間でしょ? だったら、それにふさわしいキャラってものがあるの」。無自覚に「素」の反応を見せるのではなく、客が求める「楽しい時間」にふさわしい「キャラ」を自覚的に演じること。これがにこのアイドル観であり、彼女のゲームだったのだ。にこは「<アイドル>という名のキャラ作りゲーム」のゲームマスターなのである。そこでにこは、穂乃果に言わせれば「アイドルが好きで、アイドルに憧れていて、私たちにもちょっと興味があり、ほんのちょっと何かあればうまくいきそうな気がする」アイドル研究部の部長というキャラを完璧に演じていた。騙されてはいけない。これらは全て「キャラ作り」の結果である。

 整理しよう。にこが穂乃果たちを拒んだ理由は「アイドルを汚しているから」。それはパフォーマンス云々ではなく、「キャラ作り」、つまり自覚の問題だった。そしてにこは「にっこにっこにー」の強烈なキャラを提示することで、穂乃果たちを「アイドルゲーム」に巻き込んだ。つまりこれは、「客を楽しませるのにふさわしいキャラ」を作ってこい(うまくできたら入れてやる)という、にこから穂乃果への振り=入部試験なのである。穂乃果のしたり顔は、この要求を理解した者の表情なのだ。役割を振る「オニ」の立場に注目すれば、回想の穂乃果にあたるのは実はにこで、回想海未こそ穂乃果たちだったのである。

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穂乃果はにこの「キャラ作りゲーム」を完全に理解した。ぼっちキャラを演じ続けるにこも大変そうだ。

 ではここで穂乃果が演じるべき「ふさわしいキャラ」とはどんなキャラか? 穂乃果は「押し切りキャラ」を以ってにこの要求に応える。もし第5話の穂乃果に「穂乃果らしい営業キャラ」を感じたなら、それこそまさに彼女の「キャラ作り」の上手さの証である。穂乃果は、「矢澤にこ」というキャラに対して、「高坂穂乃果」というキャラをぶつけたのだ。これを受けて、にこは穂乃果たちが入部に足ると判断し、加入を認める。ここで「アイドルっていうのは笑顔を見せるのが仕事じゃない、笑顔にさせる仕事なの」という言葉をただのアイドル論と受け取ってはつまらない。これは、キャラ作りの「ふさわしさ」を評価する基準、つまり「アイドルゲーム」の勝利条件を示した発言である。アイドルのキャラ作りの「ふさわしさ」は、それを見る者の笑顔で測られる。だからこそ、穂乃果たち「アイドル」として認めたにこは、最後に笑顔を見せたのだ。

 一度「キャラ作り」などという言葉を発した者は、その言葉を発したことも「キャラ作り」なのではないかという疑いを免れ得ない。素とキャラは二分法ではない。素とキャラの使い分けも含めて、映像に現れている部分全てが「キャラ」になってしまうのだ。「キャラ作りをしているキャラ」は、まさにこのゲームが発動するきっかけとなった「伝説のアイドル伝説」の多重構造と重なっている。花陽の意外な「キャラ」を引き出した「伝説のアイドル伝説」は、その多重構造で「キャラ作りをするキャラ」を呼び込んだのだ。息詰まる暗闘の末、思わず瞳を潤ますにこと、それに気づく穂乃果の表情からは、入部試験<アイドルゲーム>において割り振られたキャラを全力で演じきった二人の充実感と、互いを認め合う絆を感じるのである。

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ラストカットのにこの笑顔は印象的だが、その前の穂乃果も笑顔。両者とも笑顔にさせている。入部試験を経て、互いにアイドルとして認め合ったのだ。

 彼女たちは、「視聴者が求める、楽しい夢のような第5話にふさわしいキャラ」を演じきった。さて、私たちは笑顔にさせられたか?

(参考)ラブライブ! 5話考察 -小さなラブライブ!- : 愛は太陽だよ!
納得度の高い読解。この文章はリンク先に触発されて、あえて「トンデモ読み」をやってみようとした試みである。

(→)PVとしての「ラブライブ!」第6話
(→)二重否定のセンター高坂「ラブライブ!」第6話
(←)まきりんぱなへ至る途「ラブライブ!」第4話(1)
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