2014年03月

「てさぐれ!部活もの あんこーる」

収録を長引かせ、声優を長時間拘束することによって、箸が転んでもおかしい年頃、徹マン午前4時みたいなテンションを実現している。……と書いていて、そういえば「箸が転んでも~」って何歳くらいのことを言うのだっけ、と思って辞書を引いてみたら、十代後半の女性と出た。まさに作中のお年頃である。

そんなテンションなのだから、1期序盤に書いたような、キャラクターと中の人が重なり合う緊張感は、もはや望むべくもない。事務所ネタやら下ネタやら、何でもアリの祭り状態である。ちょっと面白さが変わってしまったなあと思うこともなきにしもあらずだが、この解放区のような雰囲気はやはり楽しい。2期の1話では、キャラとキャストを続投させるにあたって「サザエさんメソッド」を採用することが明言されていた。学生時代をやり直したい的な願望とそれに応えたフィクションはたぶんありふれているが、この作品は、サザエさんメソッドを用いて実際に同じメンバーに同じような収録をやらせることで、大仰なドラマにはない「学生やり直し感」を見事に実現しているようにも見えるのである。想像してみよう。学生時代がもう一周あったとしても、さして有益なことをするでもなく、仲間同士で(あるいはネットに向かって)下ネタ大喜利を呟き続けることくらいしかしていないような気がするではないか。別にドラマチックな恋愛に挑戦してみるでもなく、グダグダとした12ヶ月を繰り返している気がするではないか。そしてそれこそ最も正しいモラトリアムというか、楽しい生き方の原型のような気がしてくるではないか。こないか?

2期もやったのだから、最終回は「gdgd」とか「直球表題」みたいな、無理くり超展開を期待したい。それか実写。


毎回サブタイトルが気になる。

「そにアニ」第7話・第8話・第9話

第7話
そに子以外の人物がほとんどいない画面。別に中条がゴーストタウンなわけではなく(彼女が言っていたように特急も停まる)、そに子ひとりの画を描きだすために、彼女は「ワイルドな一人旅」に出て、「なんとなく」胎内にたどり着く。中条駅で広げたパンフは星まつりのものだが、ガラス工房での会話と宿の予約をしていなかったことから、たぶんほんとうに偶然そこにやってきた。その場その場でかかわりを持った人たちが、お話をつくるパーツとしてではなく、そに子と話すというだけの理由で画面上に現れる。温泉のポスターと親子の会話で星まつりが浮かび上がり、電車内で作った歌詞を思い出すことで、彼女は「迷わず歩き出す」。ガラスの向こうの流れ星が見えたとき、バラバラに画面に現れてきた人びとが、こんどはその画に辿り着くための理由として再構成される。これはそに子が「スターレイン」を見るお話なのだ。
そうなると気になるのは、本当に何の関係もなかった、新宿のシーンで映り込んだ女性。ただ、なんとなく「迷わず歩き出そう」っぽい雰囲気は匂わせている。付かず離れずの距離感が良い。
コンテ演出はOPと同じく中山奈緒美。

第8話
7話から一転、そに子を画面から消す。早々にただ転んだだけという真相が明かされながらも、彼女がいなくなった画面では、「なぜそに子がいなくなったのか」をめぐる下らない推理が空転していくことになる。別にその真相とかはどうでもよい。探偵役は推理を続けるためだけに推理する:「そに子さんが起きたら真相がわかっちゃうでしょ、推理ができなくなるじゃない!」。推理とは真相に至るまでの過程であり、その過程を描くことが作品の時間を作る。ただここで推理は空転している。推理の空転という全く中身の無い時間を作り出すために、そに子は画面から排除されている。そに子はこの作品の原理として在るから、「全く中身の無い時間」を作ることができない。
ただ真相を明かす最後の一言は余計。あと推理が下らないことは事実なので、推理のための推理をする場合は、トンデモ面白い叙述トリックとかを用意しておくべき。

第9話
こんどは画面上にそに子を増やす。トリプルブッキングに対応するために、友人二人がそに子に化ける。ピンクの髪+ヘッドホン+巨乳、という、外見的なアイコンはトレースしているが、各々はかなりフリーダムに振る舞う。というか、似せる気がない。鈴は行動的に機転を利かせるし、フウリは肉まんを食べる。とりあえず外見はそに子っぽいが、行動はそに子っぽくない。しかし、画面の中心にあって場を支配するというキャラクターの機能的には、各々の場ごとにすーぱーそに子として現れているように見えている。それぞれの持場ですーぱーそに子として現れ出ているからこそ、化けた三人は同じ画面には入らない。

手を変え品を変え描きだしてくるから面白い(特に7話が良い)。EDも毎回凝っていて楽しい。