2014年06月

のぞみののぞみ「ラブライブ!」2期第8話

 街頭でのラブライブ予選出場グループインタビュー。マイクを向けられた穂乃果は言う、私たちは、ラブライブで優勝することを目標に、ずっとがんばってきました。ですので、私たちは、絶対優勝します!」。いかにも穂乃果的な超理論が良い。OP明けには、A-RISEの言葉を思い出して、「認められてるんだ、私たち。3回目の「私たち」が聞こえ、絵里が「最終予選で歌う曲を決めましょう」と言ったところで、画面左下にタイトルテロップが入る。『#8 私の望み』。これまでこの作品では、タイトルテロップは本編開始後すぐに表示されてきた。イレギュラーなタイミングで挿入されたの望み』と、3度語られた「私たち」。8話は、〈曲の選択〉というお話が、〈私の望み-私たちの目標〉の軸に絡んで展開する。希の提案は……「例えばやけど……このメンバーでラブソングを歌ってみたらどうやろか」

「ラブソング」という希の提案は、いかなる「私の望み」から出力されたものなのか。第8話を引っ張っていくこの期待には3度のミスリードがある。まず、(1)「ラブソングはラブライブで有利だから」とした花陽説。「私の望み=ラブソング」と「私たちの目標=ラブライブ優勝」を重ねる美しい解釈だが、これは真姫の「だったら逆に止めるべきよ。どう考えたって、今までの曲をやったほうが完成度は高いんだし」で否定。次に(2)「9人で曲を作りたかった」とした絵里。絵里は希について、「音ノ木坂に来てやっと居場所ができた」だの「だからラブソングを提案したのよ」だの好き勝手言ってくれるが(ひとの望みを勝手に代弁して突き進む感じは1期8話の裏返しか)、本人は「曲じゃなくてもいい、9人が集まって、力を合わせて、何かを生み出せれば、それでよかったんよ」と言っている。では希が生み出したかった「何か」とは?

 そこから始まる希の語り。転校ばかりで友達はいなかった。高校で自分と同じようなひとに初めて出会った。熱い思いはあるけれど、どうやってつながったらいいかわからない。そんなとき、それを大きな力でつなげてくれる存在が現れた。思いを同じくするひとがいて、つないでくれる存在がいる。奇跡の9人。この9人で、何かを残したかった。映像は切れるが語りは続く。「確かに、歌という形になれば、よかったのかもしれない。けど、そうじゃなくても、μ'sはすでに、何か大きなものを、とっくに生み出してる。ウチはそれで十分。夢はとっくに……」。なるほど、ここまでの話から順当に考えれば、(3)希がラブソングを提案したのは「9人で何かを生み出したかった」から。しかし、その望みはもう叶っているのだった。この9人はすでにμ'sという奇跡的な集団を生み出していたのだから……、なんとも感動的!

 が、このいかにも“泣ける”話を平然と語りきった希は、ここで突然崩れる。彼女はお茶に映った幼少期の自分自身を幻視する。幼少期の希がいまの希を見てほほえむ。そして、初めて言葉に詰まるのである。直前までの流暢な語りや、作中でのこれまでの振る舞いを考えれば、ここは相当に特別なことが起こっているように見える。「奇跡の9人」の感動的なお話は幻影によってぶった切られ、なんだかよくわからない断片的な映像:オムライス饅頭にすり替わってしまうのだ。この断片的な記憶のほうが、「奇跡の9人」のストーリーより、希の真に迫っている。では「とっくに」叶っていると言った夢=私の望みは、結局のところ何なのか。焦点はこのオムライス饅頭に絞られる。

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希にとっては、「奇跡の9人」のストーリーより、この断片的な記憶が真に迫った。

 このシーンを見るために、8話からいくつかの流れを取り出してみたい。Aパート、恋愛経験のないメンバーが「イメージを膨らませる」ための告白シミュレーション大会と、Bパートのアイデア出しの参考のための恋愛映画鑑賞会。この二つのシーンと希の話の並びから、いろいろと「イメージを膨らませる」。まず(一)語ることへの注意。告白大会では、穂乃果がカメラを回す希に「でも、なんでカメラが必要なの?」と突っ込んだことで、カメラと撮影という要素が強調されている。だから、撮影会→鑑賞会の流れに、素材→作品の過程が重なる。撮られた映像は編集されなければならない。そうしないと一つの「作品」として見られたものではない(穂乃果はそんなものに何の興味も示さず3分で寝る)。これが希の語りにも当てはまる。「奇跡の9人」の映像では、希が「μ's」と紙に書くより前に、花陽が「μ's」と書かれた張り紙を見ていた。この時系列の操作が象徴するように、希の語りは首尾一貫したストーリーを作るために過去を編集した、作為的なものである。何かを語る以上そうなるのは必然。だから、断片的かつ語られない、ラッシュのような「オムライス饅頭」が、なにか真に迫るものとして浮かび上がる。

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希の語りは(当然ながら)編集された作為的なもの。そもそも希はファーストライブを見ていない。講堂の外にいるし、わざわざ目をつぶっている。

 次に、(二)記録物のこと。告白大会で撮影の必要性について突っ込まれた希は、「そっちのほうが緊張感出るやろ。それに、記録に残してあとで楽しめるし」と返す。あとで楽しむために記録に残しておきたい。この「残るもの」への意識は、映画鑑賞(白黒だったことが過去の記録感を強調する)、終盤の写真のやりとりや、これまで希が多用してきたカードを借りた語りにも見えるが、8話のお話では、これが歌詞を作るプロセスにも現れる。映画鑑賞会の前、希はにこに「ノート真っ白やん」と絡む。これも当然ながら、歌詞はノートに書かれ記録されなければならない。アイデア言いっぱなしでは一つの作品は組みあがらない(はず)。だが、μ'sの9人はラストシーンで、まさに言葉を「言いっぱなし」にして歌詞を作る。誰もメモを取らないし録画もしない。手に降り落ちる雪のように、記録されず、言ったその場で消え行く言葉。希の語りをつまらせた幻影も、そこから引き出された「オムライス饅頭」も、客観的な記録物ではなかった。記録され得ない、希にしか見えていない・希の脳内にしかなかったものが重く描かれている。

 さらに、(三)なにかを確定させる動き。真姫と絵里を部屋に招き入れた希は客人にお茶出しするが、ここで希はカモミールティーの缶から日本茶を出す(この指摘は「ラブライブ! 2期8話 - µ'sの母と、希の夢 - : 愛は太陽だよ!」に拠ります)。希の動きによって、缶の見た目とは違う中身が明かされた。ここから示唆を得て例の「オムライス饅頭」を見る。オムライスは、卵からはみ出た米によってかろうじてオムライスと分かるが、それが無ければオムレツかもしれないという疑いを拭い切れない。料理は視覚で外側を見るだけでなく、味覚によって中身を確定させなければならない。だがオムライスはラップに包まれたまま食べられない。対して饅頭は食べられる。「奇跡の9人」の映像中、本を読んだまま動きを見せなかったのと対照をなすように、控えめな動きながらも、希は饅頭を食べる。あの饅頭の味は、外側の皮を見るだけではわからない。

 最後に、(四)9人の関係。前半の告白大会では、希は撮影者という特殊な位置にいる。特ににこを撮影するシーンでは、にこの演技を見て白ける8人を捉えたカットがあるが、ここで希は他の7人より手前、アルパカ小屋の中にいる。この配置では、手前にいる希ではなく、後ろにズラッと並んだ7人(特に動きを見せていることり)に目が行く。撮影者の存在は消されなければならないのだ。映画鑑賞のシーンでは、映画とそれを見る3人・寝る穂乃果と凛・恥ずかしがる海未の何かアクションしている人物は壁際にいる。希と真姫は中心にいるが、見ているだけで動かない。ちょっと浮いている。さらに「奇跡の9人」のお話では、μ'sのメンバーを「熱い思いのあるひと」と「つないでくれる存在」に分け、自分はその8人の外側にいるかのような物言い。だが「オムライス饅頭」では、映画を見たのと同じ部屋で、他のメンバーと同列に並び、同じ制服を着て、同じように饅頭を食べる。穂乃果だけは饅頭の作者として特別な扱いだが、ラストの言葉を投げるシーンでは完全な円になり、穂乃果も特別ではない。

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撮影者の希より、その後ろの7人に目が行く。/希と真姫は中心にいるが、見ているだけ。/饅頭の回想は、映画観賞と同じ部屋だが、様子はかなり違う。他のメンバーと同じ制服を着て、同じように饅頭を食べる。

 ……と、長々と書き出してみたが、大ざっぱに言ってしまえば、8話は冒頭で示された〈私-私たち〉の軸を〈私〉側に寄るように展開していたようにみえる。ラブソングの提案はμ's=私たちの目標に沿うものではなかったし、「オムライス饅頭」のシーンにおいて、客観的な記録物や首尾一貫したお話より、私的かつ断片的な記憶や感覚が真に迫るものとして現れていたからだ(上記一・二・三)。さてその記憶を呼び起こすきっかけとなった幻影は、希が「奇跡の9人」のストーリーを語りきったところで現れたのだった。これは上記(四)で見たような、9人の関係性の変化によるものだと考えられる。μ'sを「奇跡の9人」とするお話を語ったこと自体によって、希はアクションを起こし映像をつくる、語り手のような地位に立っているからである。映像の語りとセリフを重ねるワザは、1期1話のラストで穂乃果が使ったものであり、当ブログではそこに穂乃果の特権性を見た。今回、希は「奇跡の9人」を語る=創作することで、1期の穂乃果のような、映像の中心として現れていたわけだ。その姿に幻影はほほえみ、彼女はブツに頼らず語りまくる自分に気づく。「何か大きなものを、とっくに生み出してる」。ここで生み出されていたのは、……映像の中心=アイドルとして振る舞う「私」

 2期2話の合宿で、曲の制作について、希はこう言っていた:「9人で話してたら、いつまでたっても決まらないよ」。そのことを示すように、2話で9人はバラバラに動きまわり、その動きが創作のエネルギーとなっていた。だが作業をしていたのは元から作詞・作曲・作衣装の係だった3人であり、「ユメノトビラ」は要するにこの3人が徹夜しただけだ。しかし2期6話では、9人のあいだの役割は固定したものではなく、流動的に入れ替えられるものとして描かれていた。2期のμ'sはことりでなくても衣装が作れるし、穂乃果のみならず9人全員がセンター=映像の中心として振る舞えるのだ。ならば、作詞も海未に固有の仕事ではない。ここまで影の立役者のような割り当てだった希だって、思いを語り、「私たち」の言葉を生み出すことができるはず、しかもそれは他の8人にとっても同じこと。だから、最後のシーンで9人が投げた(8話でも、9人の話し合いでは何も決まらなかった)言葉は、それを語るキャラクターとはあまり関係がない。「私たち」ならばどの「私」でも言えるようなことしか言っていない。ここに2期が描いてきた9人の並列化=総穂乃果化は完成したようにみえる(まさに奇跡の9人!)。ただ、最後の希の言葉だけは、その曲を「ラブソング」として確定させる特別な言葉として機能した。私が「好き」と語りたいから、ラブソングを提案する。「Snow halation」は、このシンプルな希の望みから生まれたのだ。

以下を参考にしました。
ラブライブ! 2期8話 - µ'sの母と、希の夢 - : 愛は太陽だよ! 特に、お茶についての指摘。「希が穂乃果に憧れていた」可能性に触れられているが、当記事も似たような結論に至った。
Twitter@azure19s 記録物と食べ物についての指摘。

オルタナティブみんながセンター「ラブライブ!」2期第6話

「みんなハロウィンは知ってるでしょ?」、登場人物の知能レベルを疑わせる発言から始まる第6話。μ'sにはアキバのハロウィンイベントへの出演依頼がきているらしい。イベントでのパブリックなステージということで、最初から観客への意識が明言される。花陽「A-RISEと一緒ってことは、みんな注目するよね」、にこ「A-RISEよりインパクトの強いパフォーマンスで、お客さんの脳裏に、私たちの存在を焼き付けるのよ!」。この他者の評価や競争への意識は、1期では作品に緊張をもたらす重要な要素として機能していた(参考:1期9話など)。が、しかしこの線はOP明けの人形劇シーンであっさりと片付けられる。ことりの「優劣つけるものじゃないし、そんなの気にしても……」に対して、にこ「勝負はもう始まっているのよ」さらに真姫「確かに採点も順位も無いけど、お客さんの印象に残ったほうが多く取り上げられるだろうし、みんなの記憶にも残る」。μ'sはラブライブ優勝を目標にしている。A-RISEに勝つためにも、なんとしても観客の印象に残らなければならない。「とにかく大切なのは、インパクトよ!」

 では「インパクト」とは、具体的にはどういうことか。アキバでのインタビューシーンで、A-RISEが二つの要素を出してくる。制服姿で適当な挨拶をするμ'sに対して、映像で早変りを披露するA-RISE、ツバサのセリフは「私たちは常日頃、新しいものを取り入れて、進化していきたいと考えています。このハロウィンイベントでも、自分たちのイメージを、いい意味で壊したいですね」。ここでA-RISEが示した「インパクト」とは、(1)服装=見た目の変化と、(2)イメージを壊す=過去の乗越え。この流れに引きずられて、μ'sは部活アイドルやらキャラ入れ替えやらアナーキーでパンクなパロディとか、まあいろいろやってみることになる。6話のライブパートは、このA-RISE的なインパクトへの回答としてある。

ライブパートのインパクト:見た目の変化

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 2期6話のライブパートは、いつものように穂乃果センターで始まる(左)。街なかでのライブというよりはPVっぽい雰囲気、ハロウィンらしく、背景は夜。だがサビに入ると画面は一気に明るくなり、背景がはっきり見えるようになる。この昼→夜の変化は、当然、3つ前のシーンの穂乃果の発言を受けたもの。会議でモメた後、穂乃果は急にしんみりムードになってこう言っていた:「ハロウィンって、昼と夜とじゃ印象がぜんぜん違うんだね」同じ景色でも、時間が経てば、勝手に見た目は変わる。変化したように見えてしまう。さて、その明るくなった背景は、どうもセットの平面感が気にかかる。(右)のカットは明るくなった直後だが、平面のセットを正面からベタッと捉えているせいで、奥行きが把握しづらくなっている(続くカットで、実はにこが一番手前にいることがわかる)。メンバーの位置取りを混乱させる操作は、次の〈変化〉への伏線である。

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 希へのズームインから、映像がPV風→ライブ映像に変化、1期6話を思い起こさせる映像レベルの飛躍。この変化の強引さに加えて、メンバーがいろんな方向から出てきて動き回ることもあって、彼女たちのフォーメーションを把握することはかなり難しくなる(左)。メンバーはシャッフル状態になる。で、カメラが正面に切り替わると、今度は奥行きのある街の風景を背にして、センターの位置には希がいる(右)1期6話で「みんながセンター」と言いながらその場所を譲らなかった穂乃果に代わって、希がセンターという意外性。この意外性が、ライブパートとBパート冒頭のキャラ入れ替えシーンを繋ぐ。あのギャグシーンは、希センターのライブパートからの視線を得て意味を持つ。

入れ替えシーン:希-穂乃果の外見軽視

 印象的なキャラ入れ替えシーン。凛の真姫がやたら上手かったり、恥ずかしがっていた海未が一度やり始めたら結構イケていたり、その海未は自分のモノマネを見ても平然としているのに対して、穂乃果・ことり・にこは意外とビビっていたり、いろいろと楽しい。このシーンで希は穂乃果を演じ、迫真の「いや~、今日もパンがうまい!」を見せてくれる(これを見て素に戻ってしまった穂乃果の「私って、こんな……?」に対して、役に入ったままドライに返答することりが良い)。注目したいのは、他のメンバーが(乗り気でなかった真姫を除いて)服装だけでなく頭部パーツも入れ替えているのに対して、穂乃果と希は髪型の入れ替えを省略していること。ここに現れている傾向を読み込む。髪型とは服装より根本的な外見的要素である。入れ替わりとは互いの特徴を模倣することだ。つまり、入れ替わりにおいて髪型を省略した穂乃果と希は、互いを認識する特徴を外見に見ていないのだ。それに構わず、希は穂乃果が喋りかけたところに割って入り、「いや~、今日もパンがうまい!」。この入れ替わりはことりをも納得させるほどのクオリティだった(らしい)。要するに、最も重要なのは見た目ではなく、各々のキャラ付けである

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にこはことりを演じた。希は穂乃果を演じる。

+衣装係シーン:にこ-ことりの個性認識

 加えてこのシーンでは、にこ-ことりの入れ替わりにも注意を向けさせられる。にこはことりを演じていた。セリフが少ないので印象は微妙だが、ことり本人は引くほどの出来栄えである。今回このふたりといえば、もちろん衣装係をめぐるやりとりが浮かぶ。ライブ前のシーン、衣装作りをすることり・にこ・花陽(と希)。花陽がミシンをミスったところに、にこが「おかしいと思うんだけど」でバトルスタート。「何で私たちが衣装作りやってんの!?」、花陽「みんなはライブの他の準備があるから……」にこ「よく言うわ、下らないことで時間使っちゃっただけじゃない!」。花陽の言う「ライブの準備」とは、先に見た大掛かりなセットのことを指すのだろう。作中の時間経過は例によってわかりづらいが、あのセットを準備し始めているということは、この日はライブの前日か。そう考えると、にこ言うとおり、確かにおかしい状況である。なぜ前日になってまだ衣装ができていないのか。そんな状況で、なぜ衣装係でもなく、ミスするほどスキルのないメンバーが、衣装作りという重要な仕事をやっているのか。こんなに時間が押しているのは、「下らないことで時間使っちゃった」からではないのか。このままでは夜なべで服作りである。それなのに、当の衣装係のことりは「私は楽しかったよ」とか言っている。それは人が良すぎるだろう。「衣装係って言われて、損な役回りに慣れちゃってるんじゃない?」

 にこは入れ替えシーンで、「にっこにっこにー」を披露した花陽に対して、顔を引きつらせながら「にこはそんなんじゃないよ~」とツッコんでいた。花陽のにこは、もちろん髪型もしっかりフォローし、なかなか質の高いものだったように見えた(セリフも長かった)が、それでもにこ本人は明確にダメ出ししている。真姫も自分のモノマネに嫌がってはいたが、クオリティが低いとケチをつけたのはにこだけである。ここに見えるのは、各人のキャラクターは代替不可能であるという意志の傾向。だからこそ、「私たち」が衣装作りをするのはおかしいのである。それはことりの個性であり、そのスキルは誰にも代えられないはずだからだ。メンバーが「下らないことで時間使っちゃった」せいで、夜遅くまで作業しなければならない。ここは怒るべきだ。それでも文句を言わないなら、「損な役回りに慣れちゃってる」としか言いようがない。

 が、この指摘に対することりの反応は、「私には私の役目がある。私はみんなが決めたこと、やりたいことにずっとついていきたい」。ことりによれば、「役目」を負っていることは自覚しながら、それは「衣装係」という仕事とは関係がない。「みんながやりたいことについていきたい」から、いま衣装作りをしているという。夜遅くまで衣装を作ることは、ことりに固有なスキルと結びついた仕事ではなく、「みんながやりたいことについていく」という個性から発生した「役目」なのだ。ここで個性とは、キャラクターに固有の静的なものではなく、状況によって変化する動的な・代替可能なものとしてある。よって、スキルのない花陽を含めた「私たち」が衣装作りをやっていてもおかしくはない、それはその時たまたま9人の中で相対的に発生した役目なのだから。「みんなが集まって、それぞれの役割を精一杯やりきれば、素敵な未来が待っているんじゃないかな」ということりは、メンバーの個性を固定的なものではなく、流動的に変化する関係性として捉えている

ライブパートのインパクト:今の肯定

 ここまでの流れをまとめてみよう。A-RISEが示したインパクトとは、(1)服装=見た目の変化と、(2)イメージを壊す=過去の乗越えだった。穂乃果はすでに会議後のシーンで、時間の変化によって必然的に「ぜんぜん印象が違」ってくることに気づいていた。それは見た目の問題にとどまらない。まずキャラ入れ替えシーンにおいて、穂乃果と希が髪型の交換を省いていたことから、見た目より本質的な要素として「キャラの個性」のようなものが浮かび上がっている。加えて、にこ-ことりの入れ替えと衣装係をめぐるやりとりが、「個性」なるものを、特技・スキルと結びついた固定的なものから、メンバー間で流動的に担われる「役割」、相対的な立ち位置として描きだす。こうしてライブ前の穂乃果の言葉が導かれる。「A-RISEが凄くて、私たちも何とか新しくなろうと頑張ってきたけど、私たちは今のままが一番いいんだよ。だってみんな個性的なんだもん」、云々。わざわざ過去を否定して変わろうする必要はない。個性的なメンバーなら、放っておいても、時間とともにその関係性を交換して、変化のインパクトを残せるはずだ。

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 希がセンターに立つライブパートの終盤は、この6話の論理のパフォーマンスによる現れと見ることができる。「センター」という物理的な立ち位置が、メンバーのあいだで相対的に決定される役割=位置取りと重なるからである。1期6話でも書いたように、センターとは単なる位置を示すと同時に、必然的に「リーダー」や「牽引役」の役割を呼びこむ(そこで「みんながセンター」と言ったはずの穂乃果がそれでもセンターに立ったことに、映像の牽引役としての現れを見た)。その「センター」に、穂乃果ではなく希が立ったという事実。さらにライブの終盤では、背景に奥行きができたこと(あるいは周囲にいる観客の視線)と呼応するかのように、メンバーを様々な角度から捉えている。そのたびに、映像の中心にいる人物は代わる。(左)ではにこが真ん中にいるように見えるし、(右)は穂乃果がその場所に立つ。時間とともに、メンバー間の相対的な位置を変化させるパフォーマンス。いわば2期6話では、ついに「みんなが歌ってみんながセンター」が実現したのである。

 “状況に応じて誰もが推進役と補佐役を果たせるグループ”。こう書くと、なんだか個性を活かした理想的な集団みたいだが、もし本当に誰もがセンターに立てる=その役割を果たせるのだとしたら、そのグループは最初からかなり危うい。メンバーをまとめる何かがなければ、誰もが中心=推進役となって、拡散して勝手にどこかに行ってしまうおそれが常にある。ライブ直後の穂乃果による唐突な目標の確認:「よーし、絶対にラブライブで優勝するぞー!」は、そういう危機をぼんやりと感じさせるものがある。2期2話では、μ'sは9人が勝手に動き回るアツさをエネルギーにして創作に向かったのだった。μ'sというひとつの集団と、それぞれが中心として現れるメンバー9人。既に放送されている展開を先取りして言えば、この緊張は、9人がバラバラの言葉をひとつの音楽として創作する「Snow halation」おいて、ある極点に達するだろう。

入れ替えシーンの髪型についての指摘はtwitter@inu_bを参考にしました。