2014年11月

グラディウスV(メモ)


※映像は拾い物

今年7月にめでたく10週年を迎えた。いま遊んでもレトロな感触は全くない。

① 0:03-、開幕空中戦。まずは音。「Emergency! Emergency!」の音声と、何やら不穏な音楽。音声を聞き取るのはちょっと難しいが、普通にプレイしていても「Bacterians」とか「extermination」とか言っているのが聞こえる。マテリアルな背景が赤みを帯びて緊張感を煽る。これはバクテリアンの奇襲に対するスクランブルなのだ。
……敵の隊列はシリーズの伝統を踏襲しているが、いきなり要塞面っぽい背景と、メロディのはっきりしない音楽が、新たな展開を予感させる。描きこまれた軌道上ステーションの背景と「斑鳩」冒頭の射出装置の類似が予感を高める。

② 0:30-、ここまで概ね横向きにスクロールしてきた背景が縦向き(上方向)に変わると同時に、下から敵が回転しながら追撃してくる。敵の浮上に応じた方向転換。この一瞬のゲーム上の「間」を利用して、ステーションの切れ目から母星の姿がチラリと見える! だがすぐに敵の攻撃が始まり、視線は自機に戻される。美しい母星はすぐに見切れて見えなくなる。この変化と音楽が展開するタイミングがピタリと合うのが、痺れる。敵は母星の衛星軌道上にまで迫っている。我々はこれを撃退せねばならない。
……ビッグコアと惑星グラディウスの1面序盤での登場。自軍はギリギリの防衛戦を強いられている。画と音で画面内にプレイヤーを引き込む決定的なポイント。

③ 1:00-、ステーションから出る。またゲーム上の「間」に、母星の姿を見せてくれる。背景スクロールが止まり、音楽がブレイクしたところで、「This is Vic Viper T-301.」の音声。敵が全くいない、空白の時間の、この絶妙な緊張感! シューティングゲームは、敵から攻撃されていない時間が殆どない(けど絶対ある)ので、そういう時間にはそれまで見えていなかった背景や音楽の細部が強く印象に残ってくる(ワーニング画面とか)。その点、このゲームの特に1面は、実に緻密に組み上げられていてゾクゾク来る。
……初代のテーマの変奏が聞こえて、惑星グラディウスを背景に見ながら、「こちらビックバイパー」の名乗り口上。この厳粛なる雰囲気に燃えないはずはない。

④ 1:15-、敵は赤い球体。赤い敵と青い母星のコントラストが効果的。敵はたくさん出てくるが、守るべき母星はただ一つである。背景は母星が見切れないように動かされている。2:55-、音楽がフェードアウトし、ボスがワープしてくる。タイミングは完璧だ。
……上下の無限スクロールと赤い球体の組み合わせにゼロスフォース。ボスはいかにもな囲み回転キャラ。ワープアウトしてくるボスはこいつだけであり、2面と7面でビックバイパーが使うタイムワープと同じふうに出てくるあたり、因果なものを感じさせる。回転=ループするし。

⑤ 6:23-、2面空中戦。背景は衛星っぽい星。ノリノリな音楽。この後のデモシーンとの繋ぎを考えると敵配置がうまい。まず後ろから敵が出てくることで自機の位置が下がる。そこに前から赤ザコが来る。カプセルを拾うためには前に出なくてはならない。前に移動したところで、後ろからワープアウト。このことで、自機を追い抜いて何か凄いものがやってきた感じが出る(貼った動画では少し下がってしまったが、前進しきったタイミングでデモに入るとかっこいい)。1面でステーションの敵を撃破し、衛星方面に進撃するのかと思いきや、デモシーンでカメラはくるくる回り、母星に降下する敵艦を追う形になる。大気圏内戦闘。11:25-、敵戦艦から抜け出ると、その間に都市上空に着いている。ボスラッシュを通じて、ゆっくりと降下していく。
……「ありえない、何かの間違いではないのか?」と同時に聞こえる初代のテーマ。ナビコンピュータが「Vic Viper T-301」と言うのに対して、僚機の口上は「This is Vic Viper.」。最終面までの戦闘をこなしたプレイヤーは、識別コードなしの「ビックバイパー」そのものを名乗ることができるのだ。

⑥ 16:05-、3面。母星の都市に降下していく。降りてみると、宇宙から見えた美しい青は無く、見えるのは都市の無機質な青さ。都市を地下に降下していくシチュエーションは、縦方向のスクロールにうってつけ。22:10-、最深部には、さらに下方向に進んでいこうとするボスが居る。採掘ビームみたいなのを撃ってくるのがいい。
……惑星グラディウスの画。都市の無機質さはバクテリアン要塞と同じような印象も持つが(「要塞面ばかり」という声もあった気がする)、グッと来るのが背景に見える非常階段。階段はヒト型生物の存在を示唆するアイコン、バクテリアン要塞では見ることのない景色。モアイやら植物怪物やらがうごめく宇宙空間から、遂に惑星グラディウスの地表面までやってきたのだ。この階段がよく見えるのは17:00あたり、スクロール方向が横向きに変わるところで、またゲーム上の「間」を使って見せてくれる。

⑦ 24:50-、4面。遠くに母星が見えるがすぐに遠ざかっていく。生物的な敵の登場が、戦闘が新たな局面に入ったことを感じさせる。背景に大きく衛星が見え、自機はさらにデカい生物の穴に入っていく。月との組み合わせがエロくて良い。道中は、母星よりよっぽど生命に満ちている感じがする。

⑧ 32:43-、5面。このあたりから、ステージ間の繋がりはなくなり、自機がどのへんにいるのかわからなくなる。が、とりあえず母星から遠く離れたところまでやってきたのはわかる。36:25-、ボスのブラスターキャノンコアはこの作品の顔。あんな小惑星帯の前線基地に配備されているということで、その火力も納得できるところ。

⑨ 46:00-、6面ボスラッシュ。背景はもう具体的なかたちをとっていない。本作のMk-IIIは、交差レーザーを打つ前後できちんと砲台を動かしていて、芸が細かい。

⑩ 51:50-、7面前半、背景から何となく遠い宙域に来た感じが出ている。6面で異世界っぽい背景を挟んだことが効いている。要塞に入ってからは砲台の破壊音が気持ちいい。54:10-、中ボスのビーコンは絶対に長期戦になるから、前半と後半の明確な区切りとして効果的。後半の要塞面は、不安定に動き続ける背景と、ミニマルに繰り返す音楽が、敵の中枢に入ってきた感を醸す。背景=壁がよく動いていたように、壁コアももちろん動く。

⑪ 1:07:35-、タイムワープ後は、前に下から見上げた戦艦を上から捉える。だから背景には母星が見える。わざわざ母星の直上にワープしたから、この景色が見える。聞こえるアフターバーナーの加速音は一回だけ。今度は僚機より先に突入するのだ。

緊張と緩和の波が作品の時間を作る。シューティングゲームは、プレイヤー=鑑賞者に異常な緊張の連続を強いるから、緊張が緩和された「間」が映え、緩急ある映像のような時間を作れる。ゲームの中でも、時間の制御が完全に作品側にあるシューティングは、視覚と聴覚で映像を感じることができる一群。ゲームの「面白さ」は、何となく、鑑賞者に与えられる課題と報酬のバランスから出てきているような気がするが、ある種のシューティングゲーム(例えば、レイクライシスなど)には、鑑賞者が映像の創造に参加しているかのように感じられるという報酬がある。この報酬は緊張の連続に見合う快楽だ。グラディウスVには、そういう面白さがあると思う。

星空中心的「ラブライブ!」2期第5話

 クライマックスのこの作品らしからぬ緊張のない映像にはショックを受けた。お話は簡単だ。二年組が不在のライブで、いろいろありながらも凛がセンターを務める。はじめは拒否していたものの、最後は特別な衣装を着て舞台の中心に立つ。だがなぜ凛がリーダーなのか、理由は明確には示されない。描かれるのは彼女がリーダーに向いていないことを示すエピソードばかりだ。練習の統率に失敗し、意思決定はできず、衣装のサイズも合っていない。特に衣装は凛をセンターにすべきでない決定的な理由になる。花陽は「μ'sに脇役も中心もないの、グループにいる限りみんな一緒だよ」と力説していたが、それは凛をリーダーにする根拠にはならない(じゃあお前がやれ)。真姫はこの話数で「凛が一番向いている」みたいなことを何度も言うが、軽々しく「一番」とか言い出すヤツが一番信用できない。

 第5話のシナリオの大きな動きとして、二年組が他の6人から完全に引き離されていることがある。この操作によって、凛が穂乃果の代役=リーダーを務めるお話が始まるわけだが、だが穂乃果は完全に不在になってしまったわけではなかった。むしろ二年組はしつこいほど画面上に現れ、遊び続ける。アバンの海とプールの場面の対照が印象づけていたように、二年組と一年組は、映像上では並列的に・対称するように並べられている。修学旅行という要素は、二年組を消して代役リーダーのお話の起点となるだけでなく、両者を並べて描くために引き離して配置するきっかけとして持ち出されている。

s-ll2-5-2.jpgs-ll2-5-1.jpg
5話は二年組と一年組の対照から始まる。

 お話を振り返ろう。凛は穂乃果が不在だから代役リーダーをやらされている。ここには穂乃果=リーダーという前提がある。しかし、代役リーダーとしての凛がやらされていたことを具体的に見ていくと、少しおかしなことに気がつく。凛がリーダーの名のもとにやらされていたのは、練習の統率・音頭取り、メンバーがモメたときの仲裁と意思決定、特別な衣装を着てステージに立つこと。これ、ぜんぶ穂乃果もやっていない(できない)ことなのである。思い返せば1期6話では、全然リーダー的に振る舞わない穂乃果は、希から「なんで穂乃果ちゃんがリーダーなん?」と突っ込まれていた。そして2期5話では、凛が本来のリーダー的なことをやらされている同じ時、穂乃果は数日後に迫ったμ'sのライブの心配もそこそこに(台風に逸れろと念じるのは「一生に一度きりの高校の修学旅行」が潰されたくないから)、ただひたすら遊び続けている。二年組(穂乃果)を消すのではなく、引き離した上で一年組(凛)と並べることで、穂乃果の代役を務めることと、リーダー的に振る舞うことの不一致が描き出されている。凛はいわゆるリーダーには不適格だが、それは穂乃果も同じことだ。言い替えれば、凛はリーダーに向いていない点で穂乃果に似ていた。皮肉なことに、だからリーダーをやらされる……。

 凛と穂乃果の併置がよく見えるのが、中盤の、屋上での衣装会議のシーン。衣装を拒否する凛を説得する流れの中で、希が「でも実際、衣装は穂乃果ちゃんに合わせて作ってあるから、凛ちゃんだと手直しが必要なんよね」と言い出す。身体的・外面的な要素(これは凛当人もよく主張していた)で凛を穂乃果から離し、センターから遠ざけようとする。希の「この中で穂乃果ちゃんに近いとなると……花陽ちゃん?」のセリフが良い。この説得力のある意見(どう考えても衣装は体形の近いひとが着たほうが良い)に凛が乗る。凛「かよちんかわいいし、センターにぴったりにゃ」花陽「でも……凛ちゃん、いいの?」「いいに決まってるにゃ」「本当に?」「もちろん!」。このやりとりは、すぐに1期6話を思い出させる。書き出してみよう。1期6話、中盤の部室でのリーダー決め会議シーンより、穂乃果「そうだよ海未ちゃん、向いてるかも、リーダー」海未「それでいいのですか?」「え?なんで?」「リーダーの座を奪われようとしているのですよ」「え?それが?」。ほとんど一緒だ。ここで凛は、見た目が穂乃果に似ていないことを指摘されたことで、結果的に逆に穂乃果と近づけられている。このグループのリーダーは、リーダーをやりたいから・リーダーの仕事ができるからリーダーをやるのではない。μ'sのリーダーとは、集団を統率するスキルがある人物のことではないのだ。

 では、μ'sのリーダーとは、一体何をするひとか。穂乃果と凛を比べてみれば、まあなんとなく、危ういからこそみんなで支えてその推進力を発揮させる存在、みたいなものが浮かんでくるが、ここで第5話の気になる要素もう一点、を持ちだしてみよう。この作品においては結構なウェイトを占めている天気という要素は、2期5話では穂乃果の「それろ~」で特に印象に残るところ。沖縄への台風の接近は、二年組が帰れなくなることで、凛をセンターにするお話のトリガーになっている。しかしこの状況設定が導いた動きはそれだけではない。

 結論から言えば、2期5話では、天気は穂乃果が電話をする場所を導く要素としてある。今回、穂乃果は3度電話する。まず1日目、絵里から穂乃果へ、代役リーダー決定の件。次に2日目、また絵里と、代役変更の連絡。最後に2日目の夜、穂乃果から花陽へ、決断を促す電話。最後の電話は、いわゆる「先輩らしいシーン」として記憶に残りやすいところだが、この自分からかけた電話だけは、穂乃果は部屋ではなく、バルコニーからかけている。理由は簡単、外の雨がやんだからだ。前2回は海未とことりと一緒の部屋で絵里の電話を受けていた。外は大雨だった(「イヤミ?」)。だが3回目の電話時には、雨はやみ、頭上には星空が見えている。ここで台風が逸れたのは偶然だが、それによってバルコニーが使えるようになることは必然。さてバルコニーで電話をする穂乃果は、後ろの生徒たちとはガラス戸で隔てられている。風呂あがりの生徒の会話は聞こえない。同じように、穂乃果の通話も建物の中には聞こえないはずだ。穂乃果は花陽との電話にそういう場所を選んだ。つまり穂乃果は、修学旅行中のホテル(出入りとかできなさそう)という、声が聞こえてしまう場所、同級生=海未やことりと強制的に接近させられる空間を嫌ったのだ。穂乃果の「それろ~」は、台風だけでなくメンバーとの接近をも回避し、修学旅行に私的な空間をつくりだす呪文だったのだ。

s-ll2-5-5.jpgs-ll2-5-6.jpg
1・2回目の電話は部屋の中で受けている。修学旅行・外は雨・狭い部屋という舞台設定が、穂乃果を海未やことりと強制的に接近させている(部屋から出ても、風呂あがりの同級生が歩いているかもしれない)。特にババ抜きは、互いに手が届く範囲にまで近づかなければできないゲームだ。だが外が晴れたことで、ガラスで仕切られたバルコニーという臨時の私的空間ができた。この空間は、穂乃果が一人で行動を起こしたことを強調して見せる。

 天気の変化を活かしたベランダという舞台設定は、この電話が、穂乃果が一人で・能動的に起こした行動であるであることを強調して見せた。μ'sのリーダー=センターはこういうことができるのだ。ここで穂乃果の動きは言葉に変換されて電話の相手に語られる。新たに代役センターになった花陽に対して、「決めるのは花陽ちゃんだよ」。自分の意志で、能動的に決断して行動すべし、バルコニーから掛けているこの電話のように。この「自分で決めろ」発言は作品のテーマめいていて語りやすいが、ここで見逃せないのが電話の相手が凛ではなく花陽だったこと。2期5話のこれまでの流れを見るに、電話の相手は凛がふさわしいようにも思えるが、なぜ花陽だったのか? 凛が自身の意志を以ってその服を着ることができるか否か。それを描くためには、凛に直接「自分で決めろ」とは言ってはいけないのである。なぜか。「自分で決めろ」と言われて自分で決めたのでは、自分で決めたことにならないからだ。

 凛は例の服を着てセンターに立った。しかしアレは自分の意志で決めたことなのか? 開演前、衣装を着たメンバーたちにぐるっと囲まれ、朝から練習して動きを合わせてきたとまで言われる。これでは選択の余地はない。半ば強要と言ってもいい状況だ(1期8話の絵里と似ている)。よって、ここで凛があの衣装を着ること自体は、それほど重い決断が下されているようには見えない。集団の圧力で個人を屈服させる気まずさすら感じる。そんな展開で衣装を着たってあまりグッと来るものではない。この微妙な展開に呼応するように、映像もテキトーな感じで1期4話を引用し、凛が衣装を着る動きや、ステージに見た一本道、そこに踏み出す動き等々を捉えることなく終わってしまう。凛がセンターに立ち、曲が始まるその瞬間、なんと画面は沖縄の二年組に飛ぶ。ライブ当日に遊び呆ける二年組。受信したメールには、「大成功」という事後報告と集合写真。ライブは既に終わった!

 せっかく「女の子らしい」衣装を着たのに、何とも微妙な扱いではないか。センター凛の扱いの微妙さ。ここから最後の展開を導こう。「Love wing bell」のラスト、スカートの練習着を着た凛が屋上の扉を開ける。ここで凛が練習着を変えたこと。これまで見てきた展開はすべてこのシーンに結びつく。この練習着変更は余談ではない。お話を思い返しても、ここの変化に伏線みたいなものはない。2期5話のお話は、代役リーダー=センターとライブ衣装をめぐるものであり、凛が練習着を変えるか否かを悩むお話ではなかった。だからこの変化は唐突に感じられる。そう感じるから重要なのである。お話の筋と関係なく、他の人物の介入もなく、凛が全くもって自主的に・自らの意志で決断を下すこと。このような動きを描くためには、お話に沿った、他の人物との関係の中で起こったものとはぜんぜん関係ない変化を起こさなければならなかった。それが練習着の変更だったのだ。これに比べれば半ば強要による花嫁衣装の着用など霞む。凛が練習着を変えること、この決断を描くために2期5話はあったのだ。

ll251.jpgll252.jpg
練習着を変えた凛に真っ先に気がつくのは、ライブをほったらかして遊びほうけ、花嫁衣装の時間を横取りした2年組(右)。左は、那覇空港で衣装を着た凛の写真を見る三人。どちらがより重いものを見ているかは一目瞭然である。目の輝きが違う。

 というわけで、長々と見てきたように、2期5話はいろいろと技巧が凝らされた回に見えた。まず二年組と一年組を離すことで並べ、代役リーダーのお話で凛と穂乃果を接近させた。凛のリーダー不適格性は穂乃果にスライドするが、しかし穂乃果の行動がμ'sのリーダーたる条件を示した。天気の変化を活かしてベランダという場所を用意し、仲間と接近した屋内空間から移動させることで、花陽への電話が、穂乃果が一人で・能動的に起こした行動であることを見せた。さらに電話の相手をずらして、今度は凛が一人で・能動的に「自分で決める」ことができる余地を残した。物語の展開上、花嫁衣装は「着せられた」ようになってしまうから、最後に練習着の変更を用意した。こうして、凛が自ら決断するさまを描き出す。なんとも凝った構成!

 しかし、2期5話の映像は、どうもこの凝った構成についていけていない気がしてもどかしい。凛が衣装を着るシーンは、その動きを捉えようとする緊張感に欠けているし、最もアツい瞬間であるはずの練習着の変更も、わりとアッサリ流されてしまっている。一応、屋上の扉を開ける動きは映るが、いやあれでは弱い! 引用されていた1期4話では、背中を押された花陽が、その後自分の意志で振り返る動きが、緊張感をもって、印象的に捉えられていたのに……。と、残念な気分は尽きないが、とはいえ2期5話の自分の意志で動くことで画面の中心に場を占めるという要素は、2期2話のバラバラ感・4話のにこ(全く私的な事情でセンターに立ちライブする)・6話のみんながセンター・8話の希(一人語りで映像を動かす)にも現れている、作品を通した一つのポイントであるように思う。担当回の主役がセンターを張るのは作品上の強制だが、穂乃果が常に中心にいた1期を思い返してみると、いろんなメンバーが中心に置かれていること自体から感じることはある。