2015年12月

映画二題

 映画上映イベントをふたつ見た。一つは、「博物館で野外シネマ」(10/3、東京国立博物館)。その名のとおり、博物館の野外で映画を見る。東博本館の正面中心にスクリーンを吊り下げて、周りにパイプ椅子を並べる。明るいうちから椅子はいっぱいになって、椅子なしの人たちは、正面の植え込みも含めて、空きスペースに適当に座ってなんとなく見る感じ。周りに軽食の屋台も少しある。クリーンだがフェス的な雰囲気も。
 作品は杉井ギサブローの「銀河鉄道の夜」! その手があったか! ゴーン、と始まるオープニングが、異様な雰囲気を漂わせて良い。街パートのジョバンニはよく走る。突き出される足の回転と、ひたひた走る音が印象に残る。繰り返しの運動とひたひたと鳴る足音が銀河鉄道を呼ぶ。ジョバンニが動きを止めて横になると汽車が来る。歩かないジョバンニは汽車に乗って移動する、通り過ぎていく諸々を見る。本人は座ってるだけ。章の転換を告げる不気味な車輪の音。
 決して作品を良い環境で見る機会ではない。スクリーンは意外と小さく感じたし、音は割れていた。日は落ちていたが、当然真っ暗というわけではないから、周りの景色が少し見える。スクリーンが景色の一部分になるから、作品への集中度は相対的に下がる。だから、なんとなく作品から自由な雰囲気があって、ちょくちょく話し声が聞こえてきたりする。作品を見て何かを話したくなることくらいあるに決まっている。映画の前のあのマナー広告、ウザいですよね。映画館とはなんとも不自由な空間なのだなあと、改めて。
 司会によると数千人が集まっていたそうで(正確な数字は忘れました)、これほど多くの人が集まって一つの映画を見るのは珍事ではないかとのこと。その数千人が、エンディングで常田富士男の声にビビらされる。集中を強いない空間にあって、注意を向けざるを得ない感じ。そのパワーを出す作品。
 個人的には、真下耕一がコンテ担当の一人ということで出会った作品。そういう需要もある。



 もう一つは、「『2001年宇宙の旅』ライブ・シネマ・コンサート」(11/25、Bunkamuraオーチャードホール)。これもその名の通り、オーケストラの生演奏で映画を見る。作品はもうコレ、最適というか真打ちというか、最強である。というわけで、スクリーンの前に本当にオケがいる! 上映時は、ホールの照明を落として、演者の手元に小さな電球色の照明をつけるスタイル。やや明るいが、映像が見えないということはない。
 でも少し明るいから宇宙が黒くは見えない。モノリスも完全な黒ではない。上の博物館のときと比べると、ちゃんとしたホールでやっているわけで、こちらの不自由さは映画館と同レベルだから、まあ見えなくてもいいか、と寛容にはなれない。気になることは気になる。しかしそんなことより本当に演奏してくれるのだから贅沢だ。本当に歌ってくれるから贅沢だ。あのモノリス的音声(?)にゾクゾクしないわけがない。ボーカル強し。
 わざわざこんなやり方で見せてくれるから、聴覚を根拠にして映像がカッティングされていくのがよくわかる。音楽が終わるから、シーンが変わる。演奏箇所が近づくとオケや合唱団が準備するから展開の予備動作みたいに感じられたのが面白い。サルとリゲティ。宇宙船の回転同期と、美しく青きアレ。鳥肌が立つ。パンフに書いてある。「回転運動の優雅な美しさを表現するのに、『美しく青きドナウ』以上の曲は考えられない」。そうなの?……そうかも。と思ってしまうから最高である。
 最もグッと来たのはラスト。この映画、スタッフロールが終わり、「THE END」の文字が消えても終わらない、なぜなら、まだ音楽が続いているから。真っ黒の画面に音楽が流れ続けるが、ここでホールの照明が回復してくる! オケが見えてくる。映像の推進根拠=その一要素でしかなかった音楽が、視覚的に、動きを伴って、この目の前に現れる! 視線は宇宙的に真っ暗なスクリーンから、動きで音を作る人間たちに降りてくる。聴覚と視覚の位相が組み替えられるのを感じる。奏者の動きが、その技が見える。音楽が映像を貫通する。カッコ良かった。
 個人的には、映画館で涙が流れたいくつかの作品のひとつ。そういう思い入れもある。



 あまり軽薄に言うものではないが、一つだけ……と考えてみると、、、FictionJunctionで「.hack//SIGN」1話なら面白いか?
(追記)アヴァロンがあった。
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