2017年05月

(暫定)「ラブライブ!」2期記事のまとめ

「ラブライブ!」2期についての文章です。新しい記事を投稿するときに、このページも更新します。

「ラブライブ!」2期第1話:#14∧#1
高坂プロメテウス穂乃果「ラブライブ!」2期第2話
キョウドウライブ「ラブライブ!」2期第3話
7人のバックダンサー「ラブライブ!」2期第4話
星空中心的「ラブライブ!」2期第5話
オルタナティブみんながセンター「ラブライブ!」2期第6話
ホワイトカラーダイエット「ラブライブ!」2期第7話
のぞみののぞみ「ラブライブ!」2期第8話
第二アイドル速度「ラブライブ!」2期第9話

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第二アイドル速度「ラブライブ!」2期第9話

 この回が特別であることは冒頭でわかる。妹は2階にいる姉に声をかけた:「いよいよ今日だね、最終予選!」。これまで各話の作中時間は2~3日、比較的端正な時間配分でお話を進めてきた。だが今回は最初からライブ当日だ。天候は「Snow halation」らしく雪。2年組はこの雪のせいでライブ会場に行けなくなりかける。このピンチは一般生徒の雪かき支援によって乗り越えられる。生徒の言葉が象徴的だ:さあ、走って。音ノ木坂のみんなで作った道を!。ファンが道を作り、アイドルがその道を走る……。……こんなそれっぽい出来事を描いているのに、映像の印象は何かヘンだ。いきなり吹雪、大げさな音楽、メンバーたちは思いを叫んで大号泣。これは寒い、雪だけに。この、いわゆる「感情移入」を拒むかのような映像は、いったいどうしたことか?

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この映像を見て主人公と一体化して泣くのは難しい。「感情移入」云々は作品のおもしろさとは全く関係ないが、それを拒むような映像であったことは覚えておく。/絵里に抱きついて感動的なことを言った後に鼻水を出して茶化す。この鼻水はあってよかった。なかったらもっとキツかった。

 2期9話の雪は、「ファンが道を作り、アイドルがその道を走る」ことの材料になっていたが、ではなぜ走ったのは2年組だけだったのか? お話としては、もちろん生徒会の仕事=学校説明会の挨拶で、2年組が学校に行っていたからだ(OP後の最初のシーンで絵里が妙に丁寧に説明してくれる)が、これでどんな効果が出たか。説明会の挨拶は、相当に強いオーダーのようで、穂乃果は電話で「理事長は説明会を欠席してもいいって言ってくれてるんだけど、そういうわけにもいかないし……と言っていた。困り顔で「そういうわけにもいかないし」と言うところからは、愛校心や責任感よりも、やむを得ない事情にあたってしまった苛立ちを感じる(だから直後の電話は怒り気味に取る。絵里が意味のない電話を掛けたから穂乃果の苛立ちが見える)。ライブに遅れるのも学校のためならば仕方がない。穂乃果たちは理事長よりも強い力=学校によって引き止められている。

 当たり前のことのようだがこの事実は重い。1・3年組を先行させ、2年組を「生徒会の仕事」で別行動にしたことで、学校がμ'sにとっての障害であるかのように見えてくるからだ。この見立ては校舎前の一般生徒とのやり取りでさらに固まる。生徒の雪かきを手伝おうとした穂乃果はこう言われる:「穂乃果たちは、学校のためにラブライブに出て、生徒会もやって、音ノ木坂のために働いてきたんでしょ。この作品をちゃんと見ているのなら決して聞き流すわけにはいかない言葉。端的に言ってこの認識は間違っている。穂乃果たちは学校のためにラブライブに出ているわけではない。特に2期は確実にそうではない。2期1話でラブライブに再エントリーすることを決めたとき、「学校のため」という理由はまったく語られなかったし、今回海未やことりや穂乃果がそれぞれの思いを叫ぶ段でもそのような言葉はない。生徒は「ラブライブ」と「生徒会」を「学校のため」という目的において並列に語ることで、「生徒会」より「ラブライブ」を優先する選択肢を封じている。「学校のため」という殺し文句で、2年組を拘束している。穂乃果たちは学校のせいでライブに行けないのだ。

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学校とライブは背反的な関係にある。穂乃果たちは雪かきを手伝おうとして、ライブ当日だからという理由で拒否されている。今度は逆に、ラブライブのせいで学校の仕事ができない。/例の雪のシーン、2年組は大変な苦労をしていたが、雪に足止めされていたのは学校の敷地内に限られる。学校の境界線を超えると、雪は弱まった。会場に行くのが大変だったというよりは、学校から出るのが大変だったと見える。今回の学校はジャマ者だ。

 さて先述の生徒たちは続けてこう言っていたのだった:「穂乃果たちは、学校のためにラブライブに出て、生徒会もやって、音ノ木坂のために働いてきたんでしょ。だから、今日は私たち助ける番。私たちも協力したいから。私たちだけじゃない、みんなもだよ」。作品全体でも最大級の引っかかりを残す特別なセリフだ。これを展開する。生徒は穂乃果たちの音ノ木坂への働きを認め、だから私たちは協力する、と言っている。「私たち」の雪かきは、穂乃果たちの「音ノ木坂」への貢献に対する見返りなのだ。ここで生徒は「音ノ木坂」と「私たち」を同一視している。「私たち」とは雪かきに参加している「みんな」のことであり、要するにμ'sの支援者=ファンのこと。そう考えると、この生徒の発言は、アイドルとファンの関係についての認識を語ったきわどい言葉にも聞こえてくる。強引に翻訳すれば……穂乃果たち=μ's=アイドルは、音ノ木坂=私たち=ファンのために活動してきてくれたでしょ。だから、今日はファンが助ける番」。ここに見えるのは、(1)アイドルはファンのために活動している、(2)ファンのための活動とファンの支援は交換される、という認識。これが私たち=音ノ木坂のアイドル論だ。なんと現実的!

 この後、穂乃果たちは閉じこめられていた学校から脱出し、会場まで走る。生徒たちの協力のおかげでライブには間に合った。お話的にはまったく喜ばしいことだが、これまで書いてきたような視点に立てば、ここでは2期全体にかかわる決定的なことが起こっているように見える。2期9話において、学校は穂乃果たちを拘束する障害であった。このことを意識すると、「穂乃果たちが学校から出て行った」という事実が、彼女たちが「学校」という存在あるいは「学校のために」というマジックワードの拘束から抜け出した、と読み換えられるからである。のみならず、彼女たちのダッシュは、アイドルとファンの関係についての「音ノ木坂」的認識、すなわち「ファンあってこそのアイドル」という認識からも逃れ出る象徴的な走りとも見えてくる。これは革命的な事態である。2期9話の「音ノ木坂からの脱出」は、μ'sから、「ファン」という、アイドルに宿命的に課せられた拘束をも解除するものだったのである。その「走り」を、2期9話は露悪的に大げさな映像で写し取った。視聴者の「感情移入」を拒む映像は、彼女たちが「ファン」という拘束から解き放たれた証なのだ。

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吹雪がやみ、学校と公道の境界上から、穂乃果は生徒たちを見る。雪は道を遮ると同時に、視界を遮るものでもあった。雪が弱まり、視界が晴れたから、生徒たちの姿が見える。同様に、生徒たちは走る彼女たちを見ることができようになる。こうして「『ファンが作った道をアイドルが走っているところ』をファンが見る」構図が成立する。/生徒は学校を背負って立つ。何ともおそろしい。

 そして、さらに驚くべきことに、2期9話では、穂乃果たちの学校からの脱出において決定的な力となったのが、他ならぬ一般生徒だったことが描かれているのである。ここでファンのための活動とファンの支援を交換する現実的な期待は決定的に崩れ去る。μ'sに対する支援は、彼女たちが学校から脱出するための加速に、ファンから離れていくための推進力に使われている。ライブ直前の場面でも、穂乃果は「学校のために歌う」とは一言も言わない(「学校が好き」とは言うが、好きなだけである)。もちろん、「みんなのために歌う」とも、「ファンのために歌う」とも言わない。彼女たちは好きなものを(心中で(!))列挙してから歌う。その言葉は観客の耳には届かない。観客たちはパフォーマンスから「ありのままの気持ち」を推察するしかない。ファンは何ら特権的な見返りを得ていない。ただパフォーマンスを見ることができるだけである。そこにはまっとうな壁がある。

 今回、音ノ木坂の生徒は「ファンが作った道をアイドルが走る」場面を目撃している。この作品はファンとアイドルの関係を慎重に(あまり関係ないものとして)扱ってきたように見えていたから、はっきり言って出しゃばり過ぎに感じたし、違和感の残るところだったが、2期9話で生徒たちがやっていたことは、単なる「支援」ではなかったのである。雪かきの生徒は言った、「来たよ、全校生徒が」。しかし雪かきに参加しなかった音ノ木坂の生徒は少なくとも9人いる。「音ノ木坂」や「全校生徒」といった不用意な一人称は、9人のアイドルを他者として学校から排除する。「全校生徒がμ'sを支援する」という形をとった時点で、μ'sは音ノ木坂の生徒ではない。困難を乗り越えて「Snow halation」を歌ったことで、彼女たちはファンとは「違う世界の人」になってしまったのである。そのとき、彼女たちは「感情移入」の外に行く。私たちは彼女たちの涙を共有することができない。彼女たちは学校から出て、私たちが理解できる範囲の外に行ってしまったからだ。そして、このことは、他ならぬファンの力で成し遂げられた。アイドルとファンが最接近したとき、両者は決定的に別れたのだ。

 学校という要素を意識すると、彼女たちの存在にかかわる本質的なことが語られているような気がしてくる、というのがこの作品の仕掛け(というほどのものでもないが)。先を見通せば、スクールアイドルという設定と学校という時間空間的拘束の緊張のようなものは、この先で問題になっていることではある。作中、穂乃果がライブ会場にまだ来ていないと言われたツバサは、「今日のライブで、この先の運命は決まる」と言っていた。2期9話のライブが転換点だとすれば、それは物語展開だけの問題ではないと見える。

穂乃果たちが走り出す瞬間、下り階段で加速する動きは、映像では捉えられていない。欲しいところだった。
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