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俺はESPじゃない「琴浦さん」

 特に最近のアニメが、というわけでもないが、いや最近やたらと独り言というかモノローグが多いと思いませんか、というのはさすがに突っ込みどころなようで、コメントでも「独り言多すぎだろ」的書き込みを散見するが、それが何故問題なのかというと、リアリティがないからとかでは全くなく、おそらく視聴者のリテラシーを過小評価した配慮の結果(わかりやすい=バカにされてるんですよ)、それが見る者と見られる者の権力関係を無自覚に発生させるからだ。さあ「琴浦さん」を見てみよう。



「琴浦さん」1話のアバンは、凡作アニメ全12話をまとめて吹き飛ばすほど贅沢な時間ではあったが、そこで描かれた超能力少女の半生は、他者の心を覗きみて、それをそのまま口に出してしまうという、精神レベル的には中二を遥かに下回るヤバイ女の人生だった。はっきり言って、彼女に同情の余地は全くない。他人に言ってはいけないことがあることくらい学んだほうがいい。精神レベルに問題があるのは両親をはじめとする彼女の周りの人間も同様だが(後述)、もし視聴者が彼女に同情し、男と出会って世界の色が変わる瞬間に興奮するなら、それは演出の成功である。

 超能力少女は他者の心がみえる。ここで注意すべきなのは、彼女はそれを真実であると信じているが、実際はそうではないということだ。鍵になるのは部長の存在である。部長は超能力少女の能力を見抜き(すごいね)、どうやらそれを利用しようと企んでいるらしい。その真の目的とかはどうでもいい。問題はESPを掌握する方法だ。部長は心に嘘八百を描き、それをESPに読み込ませ、同情を誘う。ここからわかるのは、ESPは心を読んでいるのではなく、心をそのまま受け取っている=見ているにすぎないということだ。ESPが見ているのは内面ではなく、内面の表層である。あるいは表象である。読んでいるのではなく、ただ見ている。そしてそれを信じる。

 ということは、ESP少女の能力は、実はたいしたことないのである。だってそれ、普通の人間とあまり変わらないから。「心を読むこと」が怖いのは、それが決してわかるはずがない「本心」=真実を確定させてしまうからだ。ところが彼女の能力は、内面を表象として受け取るだけである。よって本当の「本心」、内面の真実は、いまだ不確定のままだ。これは一般人にとって他者(あるいは自己)の内面が表象から推測することしかできないのとほとんど同じ構造である。この記号処理がESP少女にはわからない。これまでのように、または出会った男のように、心に内面を直接描いてしまうアホならそれでもいいのだが、部長のような、複雑な内面を持った普通の人間が相手だと、彼女はたちまち失敗する。それでもなお彼女は自分の能力を信じ、見たままを真実としてそのまま受け取ってしまう。なんという傲慢、自己過信。

 さて、しかし現実世界にも他者の「真実」を一発で見抜けるESPがいるのである。結論から言ってしまえば、それは読者=視聴者だ。私たちは登場人物のモノローグを通じて彼の本心を知ることができる。どんなにプライベートな場所にも、カメラとマイクを持ち込むことができる。心象風景だって見ることができる。それはほぼ確実に「真実」だ。なぜか?そう決まっているからである。制度として、モノローグは彼の本心であり、心象風景は彼の内面を表している、と決まっている。逆に言えば、私たちが見てあげることが、作品世界の真実性の根拠である。それを裏切ることはルール違反であり、そういうことをやるのはキワモノ作品だ。視聴者とは、登場人物たちの心を覗き見ることができる能力者=権力者なのだ。

 そう考えたとき、この作品は、一見、視聴者の権力性を暴く批評性を保っているようにもみえる。他者の内面を覗き見て、真実を確定できる権力者であるところのESP少女が、実は間違っていることがすぐに明かされるからだ。彼女は間違う。心を覗くことが、真実を確定させていない。彼女=視聴者にできることは、ただ見ることだけだ。読者の能力なんてそんなものなのかもしれない。しかし、である。ここで「琴浦さんが間違っている」という真実を確定させているのは誰か?

 このアニメの(おそらく決定的な)不備は、ESP少女が画面の外にいるときにも、モノローグが挿入されてしまったことだろう。これが視聴者に決定的な権力を与えてしまった。なぜか。もし琴浦さんを介してしか登場人物の心が見えないのであれば、彼女は世界の真実性の根拠となり、作品は読者の姿を作中におく批評性をはらんだだろう。だがこの作品世界で心を正しく読めるのは、どうやら彼女ではなく私たちなのだ。琴浦さんは間違い、私たちにはそれがわかる。琴浦さんがいなくたって、他者の心を覗き見れる。この圧倒的な能力と権力は、フィクションの制度として隠蔽される。こうして「琴浦さん」は、オタクがかわいそうな美少女を慰み者にする凡百のアニメと変わりなくなる。
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