数字とアイドル(部)活動「ラブライブ!」第7話

 第7話のストーリーはシンプルだ。アイドルの甲子園たるラブライブが開かれる→理事長に出場許可を貰いに行く→条件は赤点回避→勉強。会長のエピソードが挟まれるが、メンバー加入には至らず。最後には試験の結果が明かされ、見事赤点回避。めでたしめでたし。以上、このストーリーは何も面白くない。穂乃果が最終的に赤点を取らないことはわかりきっているから、お話が映像の推進力になりえないのだ。だから点数開示前の溜め:「もうちょっといい点だったらよかったんだけど…」は寒いし、同級生二人がハラハラしているのも白々しい。いや、お前ら一緒に答案返却されただろう。

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ペンも持たずに数学が勉強できるか!

 問題はお話が面白くないことではない。ふつう、このようなストーリーからは、赤点回避という結果ではなく、それまでの過程、すなわち努力(あるいはサボりなど)を軸にプロットを構成する。ここにはいくらでもドラマが場を持つ可能性があるからだ。というか、この作品自体が、わかりきっている結果(μ's結成とメンバーの固定)に至るまでの過程にドラマを置く構造を持っている。μ'sに会長が加入することは、ラブライブのコンテンツ展開を知らなくても、OPを見れば一発でわかる。重要なのは、結果ではなく過程なのだ。

 ところが第7話の映像は、努力する彼女たちを放置する。勉強合宿という恰好のイベントも、開催だけ匂わして描かない。なんか知らん間に穂乃果たちは学力を上げ、赤点を回避してしまう。数少ない勉強シーンで、各々のキャラが掘り下げられたとも言いがたい。つまり、「赤点回避」というストーリーが、ほとんどドラマを生み出していない。試験勉強の作用は、副会長が準メンバー化したことと、会長+妹と接触する役割が、穂乃果ではなく、ここ数話で顔芸キャラと化していた海未に割り当てられたことくらいであり、これは別に試験イベントでなくてもよかったように思える。ではこの「赤点回避」のお話が用意された理由は何か?

 ここで第7話に描かれたもう一つの「数字」に注目しよう。作中のイベント「ラブライブ」と、それが依拠しているランクシステムだ。「ラブライブ」にはランク上位20位までのスクールアイドルが出場し、ナンバーワンを決定する……らしいが、第2話からたびたび登場するこのランクシステムが、いったいどんな制度なのか、これまで一切説明がない。それどころか、主人公であるμ'sの順位さえ、まったく明かされることがない。穂乃果たちがアイドルを始めた最初の動機が廃校阻止だったことを考えれば、彼女たちの活動が外部にどのように評価されているのかは重大な問題のはずだし、話数ごとに順位を上げていくさまを見せることだってできたはずだが、しかしわざとらしくモニタは隠され、「順位が上がってる!」とか、「急上昇のピックアップスクールアイドルにも選ばれてるよ!」とか、あいまいなセリフでごまかされてしまう。肝心の現在順位はさっぱりわからない。

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順位を見た反応は描かれるが、モニターは隠されたままだ。

 その代わりに描かれるのが、真姫を出待ちする少女たちの姿だ。ランクを見た真姫が出待ちエピソードを語るのは、この二つが「活動の成果」として繋がっているからである。真姫を出待ちする少女たちは、動画のコメントを除けば、初めて具体的にあらわれた外部の反応だ。身長から推測するに、おそらく中学生だろう。つまり高校進学予備群だ。中学生の出待ち少女の出現は、所期の目的=廃校阻止への成果を意味する。決定的なのは会長の妹だ。会長の妹は、もっと直接的に、μ'sを見たことで、その高校への進学を考えている。それどころか、μ'sへの加入も決意しかけている。数字が明らかにされなくても、アイドル部の活動にはきちんと成果が出ているのだ。アイドル活動の成果は、数字ではなく、動きのある映像として描かれている。

 そう考えると、試験イベントを設定しながら、努力の過程が描かれなかった理由もわかってくる。試験は数字で決まる世界だ。結果が全てであり、過程は価値を持たない。いくらがんばっても赤点なら赤点だし、がんばらなくても合格なら合格だ。一方、アイドル活動(さらに言えば部活動一般)は、「ラブライブ!」という作品自体がそうであるように、結果はどうでもいいのである。たとえ結果がわかりきっていても、そこに至るまでの過程がドラマを生み、私たちを惹きつけるのだ。ここで穂乃果が異様に数字に弱いことを思い出そう。彼女は「やっぱ確率だよ~!」と意味不明な言葉を吐き(5話)、数学を勉強するのにペンを持たず、七四は26なのだ。そのくせ使っている参考書は『大学受験のための数学』なのだ。数字とは対極的な世界にいる穂乃果たちは、結果ではなく、過程によって人を惹きつける。そしてその成果は数字ではなく、応援や出待ちといった動的なかたちであらわれる(第6話のスペック競争で、数値的にはほとんど差がでなかったことを参照してもいい)。第7話では、「試験勉強」と「アイドル活動」、すなわち「静的な数字による結果の世界」と「動的な活動による過程の世界」を、赤点回避への過程を描かないことで対照して見せたのだ。

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成果は数字ではなく動的なかたちであらわれる。

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制服から考えて、同じ中学だろうか。

 これは作品の根幹に関わる。アイドル部の活動が認められて、生徒会の活動が認められない理由はここにある。生徒を集めて廃校を阻止することが目的なのか、輝かしい高校生活を送ることが目的なのか(1話)。笑顔を見せることが目的なのか、笑顔にさせることが目的なのか(5話)。アイドルに向いているからやるのか、アイドルをやってみたいからやるのか(4話)。理事長が「簡単なことよ」と言ったこの事実が会長にはわからない。だから「素人にしか見えない」→人を惹きつけられない→認められない、となってしまう。しかし素人にしか見えないという結果は、はっきり言ってどうでもいいのだ。人を惹きつけるのは、結果ではなく過程である。数字という結果よりも、(部)活動という過程のほうが、何倍も価値を持っていることは、この作品を見ればすぐにわかることなのだ。というわけで、第7話でイマイチだったのは、会長のバレエが本当にうまいのか、なんだかよくわからなかったことだろう。「ショックを受けた」という言葉でしかあらわれない映像は、それこそ人を惹きつけない。
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