集大成の最低化「ラブライブ!」第12話

「あなたは最低です!」。確かにそうかもしれないが、穂乃果は12話じゅうずっと最低モードだったわけではない。「ラブライブ出場断念」と「廃校阻止の実現」という、お話的には重要なはずの事件が次々に発生しながらも、中盤まではむしろ普通、いつも通りの「きれいな穂乃果」のままだった。穂乃果が最低化していくのは、ことりの留学を知ってからである。そしてこの最低化のプロセス自体が、彼女の目的や行動原理のタネ明かしとなり、12話を「核心回」として機能させていた。順を追って見ていこう。

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ことりの留学が告げられた場面では、穂乃果の表情だけ見ることができない。

 自宅に見舞いにきたメンバーに、ラブライブ出場断念を伝えられた穂乃果。μ'sの名前がないランキングを見て、ひとり涙を流す。その悔しがりようは妹も驚くほどだ。しかしおそらく翌日の登校シーンでは、三年組にフォロー(わしわし)された穂乃果は、わりとあっさり復活しているように見える。穂乃果「いつまでも気にしてちゃ、しょうがないよね!」絵里「私たちの目的は、この学校を存続させること、でしょ?」。絵里いわく、ラブライブ出場は手段にすぎないのだから、廃校阻止という本来の目的に立ち返るべきである、と。このセリフは常識的に考えて合理的かつ正しい。クラスメイトに声をかけられ駆け出していく穂乃果。とりあえず泣きはしたが、穂乃果にとってラブライブはその程度のものだったのだ。

 さらに屋上での練習中、今度は一年組が、学校存続の決定を伝えてくる。まったく唐突に、何の感動もなく、アイドル活動をする名目であり所期の目標だった「廃校阻止」が、あっさりと達成されてしまったのである。物語の到達目標を次々に消去し、打ち上げパーティまでやってしまう徹底ぶりで、お話的にはもう終了なのだが、とにかく廃校は阻止された。ということは、例えば先の登校シーンで「廃校阻止という本来の目的に立ち返ろう」とした絵里にとっては、アイドル活動を続ける理由がなくなっているわけで、さっそくライブについて「大急ぎでやる必要はなくなってしまった」と燃え尽き気味に見える。しかし穂乃果はそんな素振りも見せず、白米を掻き込みながら「こうやって廃校もなくなったんだ、気を取り直してがんばろう!」と、驚くべき発言。穂乃果にとっては、ラブライブに加えて、廃校阻止という目的すら、実はどうでもよかったのである。では穂乃果はなぜアイドル活動を続けるのか? それが「やりたいこと」だからか?

 その答えとして映されるのが、ことりの留学を知らされ「最低」化した穂乃果の姿そのものである。すっかり鬱モードに入った穂乃果は、「私がもう少し周りを見ていれば、こんなことにはならなかった」と、ネガティブ発言を繰り返す。ここで今度は「歌」と「アイドル」の活動そのものを目的としている真姫とにこが、目標を次のラブライブに切り替えようとフォローを入れるが、穂乃果にはまったく効果がない。ということは、彼女にとっては、ラブライブや廃校阻止と同じく、アイドル活動そのものさえも、本当はどうでもいいことなのである。穂乃果は「私、スクールアイドル、やめます」とまで宣う。では彼女はいったい何がしたかったのか? メンバー何もわからず立ちすくみ、海未は穂乃果を殴り冒頭のセリフを浴びせる。

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μ'sの名前がないランキングは、涙の落ちる下に。輝かしいアライズの姿は、見上げる視線の先に。机に置かれたノートPCという小道具が、上目遣い=虚ろな目線の穂乃果を導く。

ここまでのまとめ
・前回まで目標に掲げていた「ラブライブ出場」に挫折する。
・絵里が目標を「ラブライブ出場(手段)」から「廃校阻止(目的)」に引き戻す。
・だが「廃校阻止」が実現してしまい、目標として無効化する。
・真姫とにこが目標を「アイドル活動」に再設定しようとする。
だが穂乃果にとっては、「ラブライブ出場」も「廃校阻止」も「アイドル活動」も、
 実はどうでもいいことだった。


 絵里は聞く「じゃあ穂乃果はどうすればいいと思うの。どうしたいの? 答えて」。ここで穂乃果が回想したのが「これが9人の、最後のライブになるんだから」という言葉だ。この言葉をもって、彼女はアイドルを辞めることを決断した。つまり彼女は、「最後のライブ」を拒否したのだ。「最後のライブ」が意味するのは、9人のμ'sの終点、すなわち活動を「過程」から「結果」化する点を打つ、ということである。穂乃果がアイドルをやめると言ったのは、これまでやってきたアイドル活動に、一つの区切りという「結果」が出て、そこで終了してしまうことを恐れたためなのだ。結果をもってシャットダウンさせるのではなく、「最後のライブ」を延期し続けることで活動を保留状態にし、「最終回」とも呼ばれた10話までの楽しい「過程」を封印しようとしたわけである。これは今までの穂乃果の行動原理を総動員して導かれた、いわば集大成とも言える決断だった。どういうことか。

 12話に至っては明白だが、1話でも書いたように、穂乃果の興味はそもそも「学校存続」という結果ではなく、「輝かしい高校生活を送る」過程そのものに向けられていた。7話ほかで指摘したように、重要なのは結果ではなく過程なのだ。そして3話のファーストライブを経ることで、「輝かしい高校生活」というぼんやりした表現が、ことりと海未の二人と一緒にアイドル活動をする形を得る。ここで12話のサブタイトルが意味を持つわけだが、10話11話で書いたように、結果を顧みない行動は、常に暴走とも言える気まぐれを燃料にしていた。それでも好意的に受け止められていたのは、強運の力を借りた成功という結果を出していたからだ。結果を顧みず衝動的に行動し、「輝かしい高校生活」という魅力的な過程を見せてきた主人公が、実は結果によって正当化されていた! だから、「結果」を出せなかった11話は「暴走」になり、「過程」が終了することを恐れた12話ではその前に「やめる」と言い出す。しかしこれは「結果」の放棄であるから、同時に自身の正当性の喪失を意味した。ゆえに、彼女は「最低」になるのだ。穂乃果の最低化は、彼女の行動原理とその評価プロセスの、二重の意味で必然だったのだ。

 さて12話ではもう一つ、作品全体にかかわる重要な場面があった。これも何度か書いたが(そして上でも同じようなことを言っているが)、この作品の魅力は、「穂乃果がいかに主人公として映像を駆動していくか」「いかに物語の強制力に抗うか」にある。今のところ穂乃果=京極監督の圧勝に見えるが、当然ながら最終回は物語のパワーが最大化するわけで、その決着に期待しつつ、今回はその言葉だけメモしておこう。

 世界の真実を告げるかのように、彼女たちは語る。

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「私がもう少し周りを見ていれば、こんなことにはならなかった。自分が何もしなければ、こんなことにはならなかった!
「それをここで言って何になるの? 何も始まらないし、誰もいい思いもしない!

(→)高坂穂乃果という永久機関「ラブライブ!」第13話
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