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今を愛せ「ラブライブ!」第3話

 第3話は一見ヌルい。無人の客席、潤む瞳、駆けつける天使と、いつの間にやら集う仲間たち。お涙頂戴要素をひと通りこなした後、穂乃果は絵里とのやり取りで新たなる決意を語る。ここで「続けます。やりたいからです!」と宣言することで、アイドル活動は廃校阻止の手段から目的に変わった。しかしそれはセリフで語られるほど表層的な変化でしかない。変わったのはアイドル活動の位置づけだけではない。

 第3話は神社の朝練シーンから始まる。やってきた真姫を呼び止める穂乃果:「そうだ、あの曲、3人で歌ってみたから聴いて?」。「ハァ?なんで?」と渋る真姫。しかし穂乃果はどうしても聴いてもらいたいらしく、よくわからない絡みから強引にイヤホンを真姫の耳に挿しこむ。「けっこう上手く歌えたと思うんだ。いくよ~」からOPに入る流れは面白いが、このアバンは、「練習に打ち込む姿」と「真姫への絡み」を並べたことに意味がある。ご丁寧な海未の言葉:「ふたりがここまで真面目にやるとは思いませんでした」も参照しておこう。どうやら穂乃果は、予想外なほど真面目に練習に打ち込んでいるらしい。歌も「けっこう上手く歌えた」ようで、それを真姫に聴いてもらいたいと思っている。つまり、誰かに練習の成果を披露したい

 OP明けのシーンもこの延長だ。穂乃果たちは三年モブに絡まれる:「あしたライブやるんでしょ?どんなふうにやるの?ちょっと踊ってみてくれない?」。この無茶振りに海未は逃走し、ことりさえも「え、ここでですか…?」と引き気味のなか、しかし穂乃果は全く動じず、「いいでしょう、もし来てくれたら、ここで少しだけ見せちゃいますよ?」。朝練での歌に続いて、今度は踊りを披露しようとする。しかもただ披露しようとするだけでなく、ちゃっかりライブ本番の客寄せもしている。穂乃果はこれまでの頑張りの成果を見てもらいたくて仕方がないのだ。

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穂乃果は活動の成果を披露したくて仕方がない。

 この意志は、衣装をめぐる海未とのやり取りのなかでさらに強調されている。ライブ前日の夜、穂乃果の部屋に集まった3人。ことりが完成させた衣装に、海未はビビる:「言ったはずです、スカートはひざ下までなければ穿かないと」。ここで「制服のスカートも膝下までないだろ!」と突っ込むのは野暮だ。海未が羞恥心を克服できることは、チラシ配りのシークエンスで明らかになっている。だから海未が怒っているのは「スカートが膝下までなかったから」ではなく、「穂乃果とことりが結託して卑怯にも約束を破ったから」だ。むしろ怒るに値する裏切りである。しかし穂乃果はこの親友への裏切りを正当化するのである。全ては「成功」のためなのだと。

 穂乃果は言う:「だって、絶対成功させたいんだもん。歌を作ってステップを覚えて衣装も揃えて、ここまでずっと頑張ってきたんだもん。3人でやってよかったって、頑張ってきてよかったって、そう思いたいの」。穂乃果は「成功」を目指している。その定義は、「頑張ってきてよかったと思うこと」。これは親友との約束に優先する。この意志こそ上に挙げた「披露願望」の源泉である。穂乃果が練習の成果を見てほしいのは、その成果を実現した「頑張り」に「よかった」という評価を与えたいからだ。穂乃果の披露願望は、過去の行為への意味付けという意志に裏付けられていたのだ。

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海未は練習さえすれば羞恥心も克服する。

 そしてこの穂乃果の目論見は見事に失敗する。ライブの客席は無人だった。これでは活動の成果を見てもらうことができない。見てもらえなければ、過去の頑張りに意味をもたせることができない。つまり「失敗」である。だからこそ穂乃果は歌い出すことができない。そこに駆けつける花陽(この役を安易に視聴者に振らなかったのは良かった)以下の展開は冒頭に示したとおり。そして決め台詞。「こんな気持ち、初めてなんです。やってよかったって、本気で思えたんです。今はこの気持ちを信じたい。このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。応援なんて全然もらえないかもしれない。でも、一生懸命頑張って、私たちがとにかく頑張って届けたい。いま、私たちがここにいる、この思いを!」

 ファーストライブの穂乃果の評価は、「やってよかったって、本気で思えたんです」。よって「成功」なのだが、ではなぜ「やってよかった」と思えたのか? 花陽が駆けつけ、最終的にはメンバー大集合な状態になってしまったのだから、観客はいなかったわけではない。しかし絵里が「意味があるとは思えない」と言ったとおり、盛況には程遠い状況だった。だから穂乃果が「やってよかった」と思えたのは、上で述べた「披露願望」が満たされたからではない。成果の披露によって過去の活動に意味が与えられた=努力が報われたからではない。それはひとえに「いま」歌い出し、活動することができたからだ。「いま」ライブをやったからこそ、「今まで」の活動を「やってきてよかった」と思うことができている。これは過去の努力とは何の関係もなく、ただ(花陽をトリガーにして)「いま」活動したという事実を作ったからにすぎない。ライブを経験することで、「やってよかった」という思いは、過去を意味づける根拠として「思いたいもの」から、「いま、私たちがここにいる、この思い」として「届けたいもの」に変わっている

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「思いたいのーーー!」と言葉で叫んでも意味は無い。活動こそがその思いを伝える。たとえミスったとしても。

 高坂邸のシーンで、穂乃果は「やってよかったと思いたい」と語った後、窓を開け放ってその思いを叫ぶ。だが叫びで思いは伝わらない。ライブを経験した穂乃果が見出す解は、「私たちがとにかく頑張って」、その思いを「届ける」ことだ。観客の有無は関係ない(「誰も見向きもしてくれないかもしれない」)。評価されるかも関係ない(「応援なんて全然もらえないかもしれない」)。重要なのは過去の積み重ねではない。いま歌うことができるか。いま踊ることができるか。だがその「いま」は即、過去になる。「今まで」はどんどん増えていく。だから「今までやってきてよかった」と思い、その思いを届けるためには、更新され続ける「いま」のなかで活動し続けるしかない。この存在をアイドルと言わずして何という。穂乃果のアイドル活動は、「いま・ここ」を称揚しその思いを伝え続ける、ひとつの巨大なライブなのだ。過去を見るな。未来は忘れよ。ラブライブ=今を愛せ。

(→)まきりんぱなへ至る途「ラブライブ!」第4話(1)
(←)三重開封「ラブライブ!」第2話(1)
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