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「のんのんびより」第9話

全体的にカメラが近い。「寄り」は「引き」に対する「寄り」なのであって、「引き」がなければ「寄り」もない。例えば、第4話。ほのかに出会う前、最短距離を歩かず、画面上を蛇行するれんげを捉えたカットと、終盤のれんげの止めアップ長回し。引きのカットが印象的だから寄りの効果が増す。

特にこの作品で、画面に占めるキャラクターの割合を上げることが効果的とは思えない。別に田舎ノスタルジーがこの作品の魅力だとは全然思わないが、キャラの可愛さがだけが取り柄というわけでもないはず。9話、「何に見える?」と問うている本人の姿がよく見えないのには、さすがにちょっとげんなりする。

1話・4話(川面監督)と6話(澤井幸次)はとても刺激的な映像だった。第10話は澤井幸次の再登板、ということで、期待。

以下、twitterでのつぶやきまとめ

田舎/都会(1話・4話)、大人/子供(2話)、妹/姉(3話)。当然ながら、一方はもう一方がなければ成立しない。基本的にはこの二項対立的な構図の脆さというか、滑稽さというか、どうでもよさを軸に展開する。
1話アバン。1カット目の粘りから決意を感じる。風景の静止画が続くように見えるが、雲は動き、川は流れ、その「音」や「影」が動きを伝える。「のんびり」は「静止」ではないのだ。徐々に動きを増す映像と、テンポを上げていくカット割りのシンクロ。
1話B。田舎/都会の枠からまったく独立した価値を持つ美しい桜。そこに至るまでの、見上げた空と森の道。この移動が、映像を田舎/都会の枠から離脱させる。そこは自然であって、田舎でも何でもない。そして桜は美しい。からの田舎オチ。冴えている。
4話。Aパートで、田舎/都会の枠を壊す。都会ぶっていた姉は、さらに都会的な蛍が現れれば田舎に転落せざるを得ない。都会の脆さ。Bパート、ほのかが去ったあとの風景が寂しく見えるのは、もちろんほのかが去ったからであり、そこが田舎だからではない。田舎のどうでもよさ。
4話は長回しもよかった。A地点からB地点まで最短距離を歩かないれんげと、徐々に表情を崩していくれんげ。こういう、物語がどうでも良くなる瞬間を捉えられているのが良い。物語=因果関係の連鎖、これ都会的。1話・4話は川面監督コンテ。
ただ、2話で蛍が語る回を持ってきた構成はダメだろう。あの土地にカメラを据えるなら、異物である彼女を語り手に据えるには早すぎる。冒頭、「変わっていること」を列挙する語りの寒さ。映像にはあの分校しかないのだから、変わっているのは明らかに蛍が語る環境のほう。
なのに「勘違い」を犯すのが小鞠のほう、というちぐはぐさ。これは効果的ではない。
5話。今回はいかん。小さい人間を映したいのになぜ寄る。バストショットにしてどうする。いやバストは重要だがしかし。
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