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初日の出を見たひとを見る「のんのんびより」第10話

 まずアバンが素晴らしい。1カット目、終業式と書かれた黒板。夕焼けに染まる無人の教室が、それが書かれてから日が経っていることを感じさせる。れんげのナレーションは「二学期の終業式が終わって、冬休みになって、あっという間に年末なのん」。終業式後、年末と言うからには、だいたい最後の1週間くらいだろうか。と思っているうちに、ニンジンを食うウサギの前で姉は言う:「帰ってうちも年越しの準備しないとなぁ」。年越しの準備が必要ということは、もうラスト3日くらいかもしれない。場面は移って越谷家、鏡餅が飾られている。ならもう30日くらいか? 寝っ転がっている夏海は部屋の掃除をサボっているらしい。「明日じゃダメ~?」に対して、母親明日はもう新年でしょ」。一条家の玄関には謹賀新年の正月飾り、ぬいぐるみは着物を着た「お正月バージョン」。蛍はさやえんどうの筋を剥くために立ち上がり、カメラは宮内家に戻ってくる。そこにはおせち年越しそば。寝ているれんげの姿を見ていると、除夜の鐘が聞こえてくる。日付が明示されなくても、確実にその日が12月31日だったとしみじみと思い至る。徐々にピントを合わせるように配置された(食)文化アイコン。

 初日の出を見るための「一時間くらい」の登山。ここで5年前の回想が入る。れんげと駄菓子屋のエピソードだが(登場しない先生は顔を隠されている)、挟み込まれたこの回想が、移動=登山の時間経過を感じさせる。肝心の初日の出のシーンは、日の出そのものではなく、徐々に変化する明暗とれんげの表情を捉えている。表情の変化に応じてじわじわと寄っていくカメラが良い。ぼんやりと明るくなった地平線は映されるが、丸い太陽が昇ってくるような無粋な映像ではない。れんげのアップを挟んで、もう一度日の出方向が映されたカットでは、カメラは二人の後ろに回りこんでいて、初日の出よりも逆光のれんげと駄菓子屋の姿が印象に残る。

 アバンの映像が示していたように、年越しなど暦の上の出来事にすぎない。例えば宮内姉妹に世話されるウサギや、小毬に掃除される落ち葉は、その日が大晦日だろうと何だろうと関係なくそこにいる。人間の文化的活動がなければ暦などなく、自然にはただゆったりとした季節の移り変わりがあるのみ。だから初日の出そのものは、他の364回の日の出と何も変わらない。初日の出が特別なのは暦=人間のせいであって、それを見るひとが年月を経て新年を迎えられているから。長めの回想を挟んだ構成はここで生きてくる。「回想から現在に至るまで」と「登山を始めてから山頂につくまで」という二つの時間経過が、れんげと駄菓子屋が年月を経た=暦をまたいで新年を迎えられたことを強く感じさせる。だからこそ、日の出は二人の後ろから捉えられなくてはならない。太陽は主役ではない、二人の姿を照らす照明である。

 初日の出を見たということは、年月を経た=変化したということ。しかし二人の寝姿からは、時間を経ても変わらぬ結びつきを感じる(だがもちろん変化はあるわけで、姿勢がちょっと違うのも良い)。回想との間には、ミルクとお茶、ボーロと餅といったさりげない対照も散りばめられている。ここに来て、アバンの夕日が「最後の日の入り」だったことに気づく。技巧的な構成の映像が描いていたのは、もちろん初日の出ではなく、初日の出を見たひとである。
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