偶像を記す者「そにアニ」第5話

 1話から引き続き良い。小説家の夢やぶれて燻るタウン誌記者・紀本さやかが、地元女子大生グラビアモデル・スーパーそに子の取材を進めるうち、嫉妬を覚えながらもその在り方に感化されていく。他者の要請によるグラビア仕事をこなしながらも、自身の夢である音楽活動は追い続けるそに子。彼女と彼女の差は、若さや周囲の環境といった外的なものより、内在的な意志と行動力にあった(「好きならやれよ、わたし!」の叫び)。取材を経て、やさかは再び机に向かうことを宣言する……とまあ、一見よくありそうな話なのだが、妙にリアルなお話が、そに子の画面で(妙に丁寧に)描かれるだけでちょっと面白い。異物がきちんと日常を際立たせている。

 5話は何より紀本さやかなるゲストキャラが魅力的である。そに子の事務所にアポを取る場面、PCで電話番号を確認しながら脇に置いた電話をダイヤルする、その視線の動き。そに子と対面する場面、彼女の容姿を表して曰く、「頭小さい、胸大きい、でも細い、化粧っけないけど肌ぷにぷに、まつげ長い、髪きれい」。この対象を即座に分解し描写する目つき。さすが(元)小説家志望。さらに印象的なのが、2日連続の飲酒。1日目は、元同僚のゆうこと愚痴りながら飲み、酔いつぶれて自宅まで送られる。2日目は、(取材中にもかかわらず!)再び酔いつぶれてそに子の部屋で休むことになる。この飲みっぷり、たいへんよろしい。

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アバンから、そに子における〈グラビア/ロック〉の二項は強調されている。画面の真ん中でたじろぐ構図が、両者を掛け持つ彼女の立場を思わせる。さやかのアポ取りの場面は、画面スクロールとダイヤル音を絡めた視線の芝居が良い。

 ぱっとしない職場でやりたくもない仕事を押し付けられるわ、その取材対象は予想に反して妙に純真素直ないい子ちゃん(=ムカつく奴)で、その輝かしい生き方を見せつけられるわで、飲みたくなるのもよくわかる(=内面的な動機づけはきちんと描かれている)。が、さやかの酒はただのヤケ酒ではない。彼女の飲酒は、〈そに子のロック〉と〈さやかの小説〉を結びつける契機として機能している。1日目は、ゆうこがさやかの家に入り、机に置かれた原稿用紙を見る。2日目は、さやかがそに子の家に入り、歌詞のノートを見る。さやかがイマドキ手書きで原稿を執筆しているのは、そに子のノートと対照関係を結ぶためだ。彼女の飲酒は、他者がプライベートに侵入する契機となり、手書きの言葉が両者を結ぶ。さやかはそに子と結ばれる=接近するために酒を飲む。

 さやかは「密着取材」の言葉通り、そに子に接近しようとする。酒を飲んで家に侵入し、ノートを見ることに成功する(朝、おばあさんの力で部屋に侵入した際には、このノートは閉じられていた)。だが最も核心的な場所に踏み込むことはできない。練習中のスタジオには入れず、風呂場にも入れない(撮影が終わると自分から出て行く)。そに子がロックへの思いを語る風呂場のシーンは音響効果もあって印象的だが、「たとえ他者からの評価が得られなくとも夢を追い続ける」と宣言するそに子のあまりの眩しさに、さやかはその場に留まることができず勝手に出ていく。前半部でグラビア活動を始めたいきさつが語られたのは電車内だが(これも音響と夕焼けが印象的なシーンだった)、〈グラビアのそに子〉には電車という箱の中で隣に座るまでに接近できたさやかは、〈ロックのそに子〉には接近することができない。このことを強調するかのように、帰り道は電車にも乗れず徒歩である。だからこそ、1日目にはそに子を走って追いかけた通学路を、さやかが車で迎えに来る最後のシーンにグッと来る。

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ゆうこの目はPC(仕事道具)より原稿用紙に、さやかの目は水(酔っている人間には最も必要なもの)よりノートに引き寄せられる。この対照が、そに子のロックとさやかの小説を結ぶ。

 ……というふうに、そに子における〈グラビア/ロック〉の二項が、さやかの〈タウン誌記者/小説家〉の関係とタブってきて、後者=好きなことを諦めるな、というお話が浮かびあがってくる。が、しかし、〈そに子のロック〉と〈さやかの小説〉の結びつきは、たんに〈やるべきこと/やりたいこと〉のお話的な対立軸に留まるものではないようにも見える。ここで事務所での面会シーン、北村マネージャーの言葉を持ち出してみよう。北村は「偶像ではない、ありのままのそに子を、皆さんに知っていただきたい」と語り、密着取材を許可したのだった。ここで導入されている、〈偶像/ありのまま〉の軸。もちろんこれは、そに子の〈グラビア/ロック〉の軸と重なっている。ムサシノ出版の編集者は、そに子のグラビアを見て企画を立てたが、さやかの誌面はロックを全面に押し出したものだった。ラスト、その誌面を見た北村は、「ありのままのそに子をありのままに書いていただく、こういう記事を読みたかったんですよ」と激賞した。そに子においては、ロックこそ〈ありのまま〉だった。

 この結びつきはさやか自身にも跳ね返る。彼女における〈ありのまま〉は、好きなこと=小説に向かう姿だった、ということになるのだが、注目したいのは、そに子の〈ありのまま=ロック〉を書きえたのが、〈ありのまま=小説家〉としてのさやかだった、というところ。小説とは要するにフィクションであり虚構である。そこへ向かう姿勢を取り戻したさやかこそが、「偶像ではない、ありのままのそに子」を書きだすことができた。逆に言えば、〈ありのまま〉のすーぱーそに子は、虚構を書く者にこそ描ける存在だった偶像=アイドル的存在はどこまで行っても虚構的な存在であるという、この厳然たる当たり前の事実。「ありのままのすーぱーそに子」なぞ、字面が既に失笑モノだし、そんなものは「ありのままのすーぱーそに子」という体の、虚構の中の偶像に過ぎない。どこまで行っても本質に触れることなどできるわけがない。だがさやかには、そのようにみえる記事を書くことができている。なぜなら、彼女は第5話を通して、虚構を記す者として再生しているからである。

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出来上がった誌面は、企画当初のグラビア的なものとは全然違っている。

 Bパートのラスト、さやかは車を運転し(酒を飲んでは絶対にできない行為!)、すーぱーそに子なる偶像を、自身の空間に招き入れる。この接近。Cパートで出来上がっている誌面を見ると、ギターを抱えるそに子の写真(=〈ロックのそに子〉に接近できた証)の服装が、この取材2日目(劇中3日目)のものであることがわかる。小説家としての意志を取り戻したエンディングの直前で、さやかの取材はようやく始まった。彼女はそに子に密着し、その〈ありのまま〉を書きだすのだ。

〈ありのまま〉を書けるのは、記者ではなく小説家だった。「そにアニ」第5話、なんとも痛快な一本。
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