「そにアニ」第7話・第8話・第9話

第7話
そに子以外の人物がほとんどいない画面。別に中条がゴーストタウンなわけではなく(彼女が言っていたように特急も停まる)、そに子ひとりの画を描きだすために、彼女は「ワイルドな一人旅」に出て、「なんとなく」胎内にたどり着く。中条駅で広げたパンフは星まつりのものだが、ガラス工房での会話と宿の予約をしていなかったことから、たぶんほんとうに偶然そこにやってきた。その場その場でかかわりを持った人たちが、お話をつくるパーツとしてではなく、そに子と話すというだけの理由で画面上に現れる。温泉のポスターと親子の会話で星まつりが浮かび上がり、電車内で作った歌詞を思い出すことで、彼女は「迷わず歩き出す」。ガラスの向こうの流れ星が見えたとき、バラバラに画面に現れてきた人びとが、こんどはその画に辿り着くための理由として再構成される。これはそに子が「スターレイン」を見るお話なのだ。
そうなると気になるのは、本当に何の関係もなかった、新宿のシーンで映り込んだ女性。ただ、なんとなく「迷わず歩き出そう」っぽい雰囲気は匂わせている。付かず離れずの距離感が良い。
コンテ演出はOPと同じく中山奈緒美。

第8話
7話から一転、そに子を画面から消す。早々にただ転んだだけという真相が明かされながらも、彼女がいなくなった画面では、「なぜそに子がいなくなったのか」をめぐる下らない推理が空転していくことになる。別にその真相とかはどうでもよい。探偵役は推理を続けるためだけに推理する:「そに子さんが起きたら真相がわかっちゃうでしょ、推理ができなくなるじゃない!」。推理とは真相に至るまでの過程であり、その過程を描くことが作品の時間を作る。ただここで推理は空転している。推理の空転という全く中身の無い時間を作り出すために、そに子は画面から排除されている。そに子はこの作品の原理として在るから、「全く中身の無い時間」を作ることができない。
ただ真相を明かす最後の一言は余計。あと推理が下らないことは事実なので、推理のための推理をする場合は、トンデモ面白い叙述トリックとかを用意しておくべき。

第9話
こんどは画面上にそに子を増やす。トリプルブッキングに対応するために、友人二人がそに子に化ける。ピンクの髪+ヘッドホン+巨乳、という、外見的なアイコンはトレースしているが、各々はかなりフリーダムに振る舞う。というか、似せる気がない。鈴は行動的に機転を利かせるし、フウリは肉まんを食べる。とりあえず外見はそに子っぽいが、行動はそに子っぽくない。しかし、画面の中心にあって場を支配するというキャラクターの機能的には、各々の場ごとにすーぱーそに子として現れているように見えている。それぞれの持場ですーぱーそに子として現れ出ているからこそ、化けた三人は同じ画面には入らない。

手を変え品を変え描きだしてくるから面白い(特に7話が良い)。EDも毎回凝っていて楽しい。
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