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のぞみののぞみ「ラブライブ!」2期第8話

 街頭でのラブライブ予選出場グループインタビュー。マイクを向けられた穂乃果は言う、私たちは、ラブライブで優勝することを目標に、ずっとがんばってきました。ですので、私たちは、絶対優勝します!」。いかにも穂乃果的な超理論が良い。OP明けには、A-RISEの言葉を思い出して、「認められてるんだ、私たち。3回目の「私たち」が聞こえ、絵里が「最終予選で歌う曲を決めましょう」と言ったところで、画面左下にタイトルテロップが入る。『#8 私の望み』。これまでこの作品では、タイトルテロップは本編開始後すぐに表示されてきた。イレギュラーなタイミングで挿入されたの望み』と、3度語られた「私たち」。8話は、〈曲の選択〉というお話が、〈私の望み-私たちの目標〉の軸に絡んで展開する。希の提案は……「例えばやけど……このメンバーでラブソングを歌ってみたらどうやろか」

「ラブソング」という希の提案は、いかなる「私の望み」から出力されたものなのか。第8話を引っ張っていくこの期待には3度のミスリードがある。まず、(1)「ラブソングはラブライブで有利だから」とした花陽説。「私の望み=ラブソング」と「私たちの目標=ラブライブ優勝」を重ねる美しい解釈だが、これは真姫の「だったら逆に止めるべきよ。どう考えたって、今までの曲をやったほうが完成度は高いんだし」で否定。次に(2)「9人で曲を作りたかった」とした絵里。絵里は希について、「音ノ木坂に来てやっと居場所ができた」だの「だからラブソングを提案したのよ」だの好き勝手言ってくれるが(ひとの望みを勝手に代弁して突き進む感じは1期8話の裏返しか)、本人は「曲じゃなくてもいい、9人が集まって、力を合わせて、何かを生み出せれば、それでよかったんよ」と言っている。では希が生み出したかった「何か」とは?

 そこから始まる希の語り。転校ばかりで友達はいなかった。高校で自分と同じようなひとに初めて出会った。熱い思いはあるけれど、どうやってつながったらいいかわからない。そんなとき、それを大きな力でつなげてくれる存在が現れた。思いを同じくするひとがいて、つないでくれる存在がいる。奇跡の9人。この9人で、何かを残したかった。映像は切れるが語りは続く。「確かに、歌という形になれば、よかったのかもしれない。けど、そうじゃなくても、μ'sはすでに、何か大きなものを、とっくに生み出してる。ウチはそれで十分。夢はとっくに……」。なるほど、ここまでの話から順当に考えれば、(3)希がラブソングを提案したのは「9人で何かを生み出したかった」から。しかし、その望みはもう叶っているのだった。この9人はすでにμ'sという奇跡的な集団を生み出していたのだから……、なんとも感動的!

 が、このいかにも“泣ける”話を平然と語りきった希は、ここで突然崩れる。彼女はお茶に映った幼少期の自分自身を幻視する。幼少期の希がいまの希を見てほほえむ。そして、初めて言葉に詰まるのである。直前までの流暢な語りや、作中でのこれまでの振る舞いを考えれば、ここは相当に特別なことが起こっているように見える。「奇跡の9人」の感動的なお話は幻影によってぶった切られ、なんだかよくわからない断片的な映像:オムライス饅頭にすり替わってしまうのだ。この断片的な記憶のほうが、「奇跡の9人」のストーリーより、希の真に迫っている。では「とっくに」叶っていると言った夢=私の望みは、結局のところ何なのか。焦点はこのオムライス饅頭に絞られる。

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希にとっては、「奇跡の9人」のストーリーより、この断片的な記憶が真に迫った。

 このシーンを見るために、8話からいくつかの流れを取り出してみたい。Aパート、恋愛経験のないメンバーが「イメージを膨らませる」ための告白シミュレーション大会と、Bパートのアイデア出しの参考のための恋愛映画鑑賞会。この二つのシーンと希の話の並びから、いろいろと「イメージを膨らませる」。まず(一)語ることへの注意。告白大会では、穂乃果がカメラを回す希に「でも、なんでカメラが必要なの?」と突っ込んだことで、カメラと撮影という要素が強調されている。だから、撮影会→鑑賞会の流れに、素材→作品の過程が重なる。撮られた映像は編集されなければならない。そうしないと一つの「作品」として見られたものではない(穂乃果はそんなものに何の興味も示さず3分で寝る)。これが希の語りにも当てはまる。「奇跡の9人」の映像では、希が「μ's」と紙に書くより前に、花陽が「μ's」と書かれた張り紙を見ていた。この時系列の操作が象徴するように、希の語りは首尾一貫したストーリーを作るために過去を編集した、作為的なものである。何かを語る以上そうなるのは必然。だから、断片的かつ語られない、ラッシュのような「オムライス饅頭」が、なにか真に迫るものとして浮かび上がる。

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希の語りは(当然ながら)編集された作為的なもの。そもそも希はファーストライブを見ていない。講堂の外にいるし、わざわざ目をつぶっている。

 次に、(二)記録物のこと。告白大会で撮影の必要性について突っ込まれた希は、「そっちのほうが緊張感出るやろ。それに、記録に残してあとで楽しめるし」と返す。あとで楽しむために記録に残しておきたい。この「残るもの」への意識は、映画鑑賞(白黒だったことが過去の記録感を強調する)、終盤の写真のやりとりや、これまで希が多用してきたカードを借りた語りにも見えるが、8話のお話では、これが歌詞を作るプロセスにも現れる。映画鑑賞会の前、希はにこに「ノート真っ白やん」と絡む。これも当然ながら、歌詞はノートに書かれ記録されなければならない。アイデア言いっぱなしでは一つの作品は組みあがらない(はず)。だが、μ'sの9人はラストシーンで、まさに言葉を「言いっぱなし」にして歌詞を作る。誰もメモを取らないし録画もしない。手に降り落ちる雪のように、記録されず、言ったその場で消え行く言葉。希の語りをつまらせた幻影も、そこから引き出された「オムライス饅頭」も、客観的な記録物ではなかった。記録され得ない、希にしか見えていない・希の脳内にしかなかったものが重く描かれている。

 さらに、(三)なにかを確定させる動き。真姫と絵里を部屋に招き入れた希は客人にお茶出しするが、ここで希はカモミールティーの缶から日本茶を出す(この指摘は「ラブライブ! 2期8話 - µ'sの母と、希の夢 - : 愛は太陽だよ!」に拠ります)。希の動きによって、缶の見た目とは違う中身が明かされた。ここから示唆を得て例の「オムライス饅頭」を見る。オムライスは、卵からはみ出た米によってかろうじてオムライスと分かるが、それが無ければオムレツかもしれないという疑いを拭い切れない。料理は視覚で外側を見るだけでなく、味覚によって中身を確定させなければならない。だがオムライスはラップに包まれたまま食べられない。対して饅頭は食べられる。「奇跡の9人」の映像中、本を読んだまま動きを見せなかったのと対照をなすように、控えめな動きながらも、希は饅頭を食べる。あの饅頭の味は、外側の皮を見るだけではわからない。

 最後に、(四)9人の関係。前半の告白大会では、希は撮影者という特殊な位置にいる。特ににこを撮影するシーンでは、にこの演技を見て白ける8人を捉えたカットがあるが、ここで希は他の7人より手前、アルパカ小屋の中にいる。この配置では、手前にいる希ではなく、後ろにズラッと並んだ7人(特に動きを見せていることり)に目が行く。撮影者の存在は消されなければならないのだ。映画鑑賞のシーンでは、映画とそれを見る3人・寝る穂乃果と凛・恥ずかしがる海未の何かアクションしている人物は壁際にいる。希と真姫は中心にいるが、見ているだけで動かない。ちょっと浮いている。さらに「奇跡の9人」のお話では、μ'sのメンバーを「熱い思いのあるひと」と「つないでくれる存在」に分け、自分はその8人の外側にいるかのような物言い。だが「オムライス饅頭」では、映画を見たのと同じ部屋で、他のメンバーと同列に並び、同じ制服を着て、同じように饅頭を食べる。穂乃果だけは饅頭の作者として特別な扱いだが、ラストの言葉を投げるシーンでは完全な円になり、穂乃果も特別ではない。

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撮影者の希より、その後ろの7人に目が行く。/希と真姫は中心にいるが、見ているだけ。/饅頭の回想は、映画観賞と同じ部屋だが、様子はかなり違う。他のメンバーと同じ制服を着て、同じように饅頭を食べる。

 ……と、長々と書き出してみたが、大ざっぱに言ってしまえば、8話は冒頭で示された〈私-私たち〉の軸を〈私〉側に寄るように展開していたようにみえる。ラブソングの提案はμ's=私たちの目標に沿うものではなかったし、「オムライス饅頭」のシーンにおいて、客観的な記録物や首尾一貫したお話より、私的かつ断片的な記憶や感覚が真に迫るものとして現れていたからだ(上記一・二・三)。さてその記憶を呼び起こすきっかけとなった幻影は、希が「奇跡の9人」のストーリーを語りきったところで現れたのだった。これは上記(四)で見たような、9人の関係性の変化によるものだと考えられる。μ'sを「奇跡の9人」とするお話を語ったこと自体によって、希はアクションを起こし映像をつくる、語り手のような地位に立っているからである。映像の語りとセリフを重ねるワザは、1期1話のラストで穂乃果が使ったものであり、当ブログではそこに穂乃果の特権性を見た。今回、希は「奇跡の9人」を語る=創作することで、1期の穂乃果のような、映像の中心として現れていたわけだ。その姿に幻影はほほえみ、彼女はブツに頼らず語りまくる自分に気づく。「何か大きなものを、とっくに生み出してる」。ここで生み出されていたのは、……映像の中心=アイドルとして振る舞う「私」

 2期2話の合宿で、曲の制作について、希はこう言っていた:「9人で話してたら、いつまでたっても決まらないよ」。そのことを示すように、2話で9人はバラバラに動きまわり、その動きが創作のエネルギーとなっていた。だが作業をしていたのは元から作詞・作曲・作衣装の係だった3人であり、「ユメノトビラ」は要するにこの3人が徹夜しただけだ。しかし2期6話では、9人のあいだの役割は固定したものではなく、流動的に入れ替えられるものとして描かれていた。2期のμ'sはことりでなくても衣装が作れるし、穂乃果のみならず9人全員がセンター=映像の中心として振る舞えるのだ。ならば、作詞も海未に固有の仕事ではない。ここまで影の立役者のような割り当てだった希だって、思いを語り、「私たち」の言葉を生み出すことができるはず、しかもそれは他の8人にとっても同じこと。だから、最後のシーンで9人が投げた(8話でも、9人の話し合いでは何も決まらなかった)言葉は、それを語るキャラクターとはあまり関係がない。「私たち」ならばどの「私」でも言えるようなことしか言っていない。ここに2期が描いてきた9人の並列化=総穂乃果化は完成したようにみえる(まさに奇跡の9人!)。ただ、最後の希の言葉だけは、その曲を「ラブソング」として確定させる特別な言葉として機能した。私が「好き」と語りたいから、ラブソングを提案する。「Snow halation」は、このシンプルな希の望みから生まれたのだ。

以下を参考にしました。
ラブライブ! 2期8話 - µ'sの母と、希の夢 - : 愛は太陽だよ! 特に、お茶についての指摘。「希が穂乃果に憧れていた」可能性に触れられているが、当記事も似たような結論に至った。
Twitter@azure19s 記録物と食べ物についての指摘。
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