スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「中二病でも恋がしたい!」第6話・第7話

 今時トラウマ電波美少女とか、この退行しました感、父親の死とか「来い!」とかすべてがどうでもよく、もうドン引きするしかない「中二病」だが、ちゃんと6話の「引き」はメモしておこう。カメラの引きのこと。

 6話は演出的にはいろいろおもしろい回だったが、何より中二病=茶番と演劇を描きわけていたのが良かった。これは観客がいれば演劇で、いなくて内輪(またはひとり)で自己完結していれば茶番、という単純な話ではない。テレビのバラエティ番組の茶番臭を嗅いでみれば良い。大勢の人間に見られることを意識しまくった結果、「ちゃんと見られてることを意識してますよアピール」としてのガヤ音やらテロップやらツッコミやらを入れすぎてもう何が何だかわからなくなり、逆に圧倒的な茶番世界を創り上げている。そしてネットがそれに乗る。却って痛い。だから見られていればいいという問題ではない。

 乗ること=他者の応答を(勝手に)期待しているかどうかが問題なのだ。たとえば、twitterとかでよく見る、「ボクのことどう思いますか」的なタグを本当にやってしまうのが、痛い。他者の応答を前提とするなんぞ、はっきり言って傲慢である。普通、その辺の奴がなんか変なことを言ったとしても、放っておく。放っておけばいいのだ。ほっといてくれよ、である。いちばん痛いのは「ツッコミ待ち」、誰も気にしていないのに、ツッコミ待ちで勝手にボケる。痛い。これぞ中二病。

 たとえば学級裁判で坊主がヘンな演説をしても寒くなかったのは、きちんとまわりに観客がいたから。彼はすでに注目に値していたから、他者の視線を意識しても痛くない。カメラが回りこむシーンでは、窓の外の風景をトバしてきっちり演劇的な空間を作っていた。

 で、部室で頭を刈るシーンにいく。ここで女子連中を部屋から追い出してから、カメラが一気に廊下の端まで引く。この作品ではじめてまともな「引き」が見られたこのカットがあることで、現にだれも彼らを見ている人間はいないし、部室は他者からかなり隔絶された場所であることが示され、彼らの「痛さ」あるいは「寒さ」を、こちらは笑って見ることができるようになるわけだ。引きがない今までの映像は、完全にツッコミ待ちだった。誰に突っ込まれるのを待っているのか?われわれ視聴者である。カメラを「視線」として無自覚に流用し、こちらに応答を迫る傲慢な映像。アホなら「凄いやつだと思わせ」られるかもしれないが、普通寒いでしょう。あの戦闘シーンとか、寒かったでしょう。「京アニ自身が中二病」とは、こういうことである。

 6話には森サマーの瞬間移動とか、他にもいいポイントがあったのだが。そういえば彼女、2話くらいまでウインクを何回か使っていて、ウインク=瞬間的隻眼なわけで、なんとなく対称関係を匂わせてた気がしたんだが、やらなくなってしまった。しかし森サマー、中二病連中に「寒っ」ってツッコむんなら、「おぼえてなさい!」とか言っちゃだめだよ。お前が寒いわ!

 どうでもいいけど、どうでもいいキャラをやらせたら、保志総一朗はすばらしい。で、この6話のあとにあの7話は、つらい。
関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。