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『双面偶像』

 中国アイドルGNZ48の劇場公演。公演タイトル『双面偶像』は、字の通り「二つの顔をもつアイドル」といったところか。全16曲構成、最後の1曲はエンディング的な曲で、それを除いた15曲の真ん中(8曲目)に、タイトル曲が来る。これがたいへん構成的で、分解欲をそそられた。
#8 双面偶像



00:00 前奏。音も動きも深刻な雰囲気。音に合わせてカメラが切り替わり、登場人物を8人映す。狭い画角とスポット照明で、人物が左右交互にフェードアウトしていくように見える。全員が出たところでカメラが引き、舞台中央でフォーメーションを組んでいたことがわかる。Aメロが始まる。

00:35 1コーラス目。顔を隠したり、背中合わせで並んだりする動きと、それをトレースする後ろのビジョンの映像が、タイトル「双面」 とのテーマ的な関連を匂わせる。01:00の斜めアングルがわかりやすいが、後ろのビジョンには、舞台上の人物が鏡に映っているテイの映像、つまり「鏡像」が映っている。

01:17 サビに入るとカメラは全体を捉える。全員が並んでこちらに進んでくることで、こちらとあちらの前後の対称がより意識されてくる。01:28付近、立体的なフォーメーションの演者と、平面の鏡像との対照を見せてくれるのが良い。テーマに引きつけてみれば、両者は「実体/鏡像」という物理的な対称にとどまらず、「実像/虚像」という、偶像の双面として現れているように見えてくる。
密集するところを寄りで捉えるのも的確。01:47あたりで、ビジョンの映像が、振り返るタイミングや向きまで忠実にトレースするいやに凝った映像であることに気づかされるが、ここまでしつこく鏡像の関係を結んだからこそ、その対称が破れることが意味を持つ。

02:01 1コーラス目の終わりで事態が展開する。少し見えにくいが、「多少人躲在镜子背后(鏡に何人隠れているの)」の歌詞のところで、後ろの鏡像が振り返り、こちらに向き直っている。実体=実像に従属していたはずの鏡像=虚像が勝手に動いている! 実体のほうはその後に振り返って向き合うが、この動きによって実体と鏡像の関係は反転してしまう。実体のほうが鏡像の動きをトレースしたことになるからである。両者が手を合わせるところで、ビジョンの表面が割れて、鏡像が黒の人物に変わる。虚像はこちらの鏡像であることをやめる。
手を合わせる動きは、この後も展開の鍵として用いられる。照明が暗くなるのも効果的で、暗くなれば、当然演者は見えにくくなり、映像は見えやすくなる。つまり虚像側の存在が強まる。この後の展開を予感させる演出。

02:18 人物が左右に分かれていくと、虚像=黒の人物が映像から出てくるかのように現れる。まあ単純な仕掛けだが、映像の変化から連続する展開であり、観客のオタクたちも盛り上がっている。虚像は鏡の縛りを脱したうえに映像からも抜け出した。攻守交代。

02:30 黒が白を向こう側に引き込み、入れ替わるようにこちらに出てくる。2コーラス目は黒のターン。追いやられた白は抵抗するが、その動きがかえって黒との間の壁を示す。この壁が境界=鏡面である。ここの白は表情があって必死な感じだが、黒は振り向いて手を合わせることでそれを黙らせる。手を合わせる動きは、手を合わせているのだから両者は必ず対称関係を結んでいるわけで、この動き一発で相手を鏡像=虚像にしてしまうのである。白を鏡に閉じ込める、そのフォースを感じさせる動き。

02:43 白黒虚実の対称関係を存分に味わえる。舞台上では人物が左右に移動しているだけだが、黒と白でそれぞれ2列(合計4列)で動いていること、対称関係の1-4列目と2-3列目が逆方向に動いていること、映像がその動きをアップで捉えてテンポよくカットしていることで、妙に複雑なことが起こっているように見える。全体の動きが把握しづらいことで、保たれている対称関係がより強く感じられる。
このあたり、ただならぬ雰囲気というか、ある種の作品が帯びるオーラが確信されて、良い。

03:07 サビ。1コーラス目と同じ動きをやっているが、この2コーラス目では鏡像=白が実在しているのが面白い。鏡の動きの通りに後ろ向きに進み、壁に向かってパフォーマンスする白、白黒密集する動きの面白さ、境界線上にカメラを用意している周到さ。刺激的な展開が続いてゾクゾクくる。音がよりノイジーに、ブロークンな感じになっているのも良い。「现实虚拟 不断交错」あたりの歌詞は、わからずとも意味が伝わってくるところ。そして仕掛けが動く。

03:32 後ろのビジョンが左右に開いて本物の鏡が現れる。本物の鏡!! 鏡の出現により、虚実の境界は、黒と白の間から、その後方へと後退する。鏡に閉じ込められていた白が、鏡像であることから解放される。だから白は自律的に動きだす。しかもさっきと違って、この鏡像は映像ではなく実体である。映像では不可能だった動き=前方向への動きが現れ、白は黒に抱きつく。
ここは鏡が現れるスピードも憎い。ゆっくりと、機械的に、運命的に現れる。

03:56 あまりのことに観客のオタクたちからどよめきと拍手が起こる。ブラボーの掛け声はフライングだが、初見の高揚とオタク的な無邪気さが感じられて良い。さて境界が舞台後方に後退し、白黒両者が実像となっている以上、彼女たちは新たな関係、すなわち横方向に並び立つ関係を結ぶことができるはずである。そうできる以上そうしなければならない。次に白黒は絶対に横に動いて並ばなければならない。それがこの曲の論理である。その論理を間奏が焦らし、期待を煽る。この数秒の緊張感。動け、動け、横に動け!

04:07 舞台上で完全に正しい現象が展開する。白と黒が入れ替わるようにして、左右の向きで対称に動く。その動きが鏡に映って、前後対称の光景をつくる。さらに、各々の白/黒は、隣の黒/白とも対称関係を結んでいる。そしてそれもまた、鏡に映っている。
こういうことだ。04:10付近に映っている4人を「黒A・白A・黒B・白B」とすると、まず「黒A-白A」「黒B-白B」の組が見える。しかし白と黒が横に並んでいるので、「白A-黒B」「黒A-白B」もまた鏡面の関係になる。これらの関係は後ろの鏡に反射して、「黒A-黒A'」のみならず「黒A-白A'」または「黒A-白B'」の対称関係も発生させている。こんなことが各々の人物に対して起こっている。
この錯綜が効果を生む。張り巡らされた対称関係は飽和して消える。これまで白黒セットで一つの存在を構成しているように見えていたのが、その「セット」が無数に出現することで、かえって一人ひとりが独立した存在として浮かび上がってくるのである。手を合わせてからは、白黒は対称を破りつつ、各々一個の存在として干渉しあって動いている。ここに至って白=黒は実像=虚像である。どちらも実像であり、虚像である。鏡の前で、その両者が支え合う。双面偶像が踊る。

04:44 白と黒が激しく入れ替わる。それらは双面の片割れではなく、それぞれ双面を持つものたちとして見えている(最後の決めポーズがちゃんと「二人」に見えるところがグッとくる)。2コーラス目には無かった、鏡が割れるような音が入っているのも、良い。拍手、拍手。

白=実、黒=虚と当てておいてからその関係を逆転させ、さらに関係を錯綜させて崩すことで、一人ひとりが実像と虚像の双面を持った偶像として立ち現れてくる。舞台装置を効果的に用いて、タイトルのテーマをよく感じさせた。見事。

もう1曲。
#15 Gravity



 クライマックス15曲目。冒頭一撃である。ストリングスの音に合わせた腕の動きと、上半身だけを動かして傾くセンターの踊り。これは明らかにマリオネットを連想させるところで、ストリングスの音がやむと沈み込んでしまうのも、操り人形は操られていないと重力に逆らうことができないから。ここで歌い始めた人物たちが、人形を吊り上げるように、または無から像を生成するかのように、腕を振る。するとその動きに連動して、 沈んでいた人物たちが立ち上がってくるのである。歌詞の入りは「泥沙做的偶像……(泥で作られた偶像…… )」 。冒頭20秒、タイトルたる重力/それに逆らう力を動きによって表現し、偶像と操り人形を重ねつつ、歌詞でそれがありふれた素材から作られた存在であることを示唆している。超高密度、畳み掛けるつくりに鳥肌が立つ。

 こんな自己言及的(?)な始まりなので、彼女たちが自立して動いていること自体に、なにか特別な意味があるように感じられてきてしまう。曲自体が重厚な雰囲気なのももちろんあるが、ここは公演全体を見渡す視点を使うと面白みが増す。

 まず最初の弦楽器の演奏というアクションは、#1のリピート(#14の最後の動きからも繋がっている。芸が細かい)。#1は小道具を使うのに対して、#15では身体のみで表現する。00:50あたりの人物を持ち上げる動きは、歌詞を参照すると広州塔の表現のようだが、この広州塔は#4の03:20あたりで後ろのビジョンに映っている。#4では映像なのに対して、#15では身体による表現。このビジョンは、上述#8では大活躍していたが、#15では真っ黒のまま。背景なしのステージで人物を見せる。そのほかにも、02:40付近の上下動、02:55付近の腕を振り回す動き、03:22付近からのよろめく動き、これらはいずれも生身の人間による表現であることを意識させられる振り付け。こんな感じで、演者たちの身体が動いているという事実そのもにに、妙な感慨を覚えることができるようになっているのである。序盤からの展開という視点では、「Gravity」という曲名自体、#3「Fly」と対称的な関係を結んでいる(序盤の曲との雰囲気の違い!)。#8に「双面偶像」が置かれていることで、公演構成上でも鏡のような関係が結ばれ、クライマックスでの人物たちの小細工なしの表現に、なにか彼女たちの「もうひとつの顔」があらわれているような気がしてくる……、というわけ。

 この曲は、重力という下方向への宿命的な力に対して、アイドルたちはそれに逆らって翔ぶ、という展開になっている。ラスト04:33付近からは、演者が一人ずつ自分の名前を叫び、最後に両足でしっかりと立って終わる。煽りまくる曲調もあって非常にアツいところだが、最後に付け加えるなら、この名乗りのシーンでは観衆のオタクたちがとても良い仕事をしている。聞き取りにくいが、彼らはおそらく「Team G!」と叫んでいる。その声が気づかせる。そういえば、これは「Team G」という集団の公演なのであった。Gとはすなわち重力である。
・中国語はポップスでも漢詩のように押韻する(脚韻)。さらに、(漢文で習ったように)日本語の音読みでもそれが概ね理解できる。この事実だけでも面白い。(例えば上記の「Gravity」では、像・上・場・揚、装・向・上・攘、……と続いていく。英語の部分も合わせることがある。)
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